肌に感じる汗の痕は決して不快感ばかりではない

祭りのあと

触覚をも刺激される。
祭りのあというタイトルからも、なんだか夏の夜の肌が汗でべとついた感触がすぐそこにあるようにすら感じる。夏の夜の生ぬるい風の感じが楽曲の中の端々に感じるからか、肌にまとわりつくベタベタした肌の感触がどうにも離れない。お祭りの最中も肌のベトベトは気になっているだろうが、まわりに人がひっきりなしにいたりとか、出店に夢中になっていたりとかで、そこまで気にはならない。でも、友達と別れたりした後に、急に祭りのあとの静けさや寂しさから、肌にまとわりつくいつもと異なる感触が妙に気になってくるが、なぜかそれがその日のお祭りの思い出のように感じられ、余韻に浸る一つの要因にもなったりする。そんな肌の感触を助長するような「祭りのあと」。

TERUのアカペラがなんだか夏の終わりの寂しさのようなものを連れてくる。息遣いと絞り出すような声だけで、切なさを表現できるなんて。。とのっけから圧倒される。
そして、「祭りのあと」の寂しさや夏の終わり物悲しさを表現するのに欠かせない要素が、ドラムの軽めの音。楽曲の基盤を作るためのドラムというよりも、ボーカルをはじめとした、その他の要素を引き立たせるためのドラムの鳴り方が秀逸。例えば、アカペラの後のシンバル?のシャラシャラした音。お祭りの夜の生温かい風をふわっと生み出す。また、サビ前の歌うベースの横でベース音を引き立たせることで、サビへの盛り上がりを彩っている。決してドラムそのものが主役となるわけではなく、他の楽器を際立たせることで、その存在感の大きさを実感させる。拍の中心を3拍目においているのも、大人になることに少しだけ背伸びをしている焦燥感のようなものを創り出す効果があるように感じられ、楽曲に深みを与えている。楽曲の持つ力を信じてのアプローチのように思えるのは、単なる想像ではないはずだ。

この楽曲、ちょっと背伸びをしたい子の気持ちを

昨日までの雨のせいで道はまだ泥だらけになってた
靴を綺麗を思った 真っ白よりもカッコ良い気がしてたんだ

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と表現し、この主人公の器の広さを

哀しみは分け合って 
喜びは君への贈り物

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と謳っている。

真っ白い靴よりも、少し泥にまみれた方がかっこいいと思っていた子が、「哀しみを半分に喜びを2倍に」ではなく、悲しみの半分を請負い、自身の喜びは相手に与えようという大人に成長していく。この成長物語が1曲の中にそっと入れ込まれる濃密さを見せながらも、夏の終わりの物語として書き上げられていることに、奥行きを感じずにはいられない。

打ち上げ花火ではなく、線香花火のような思い出を残してくれる夏の名曲。



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