ひゃーーーーーーーーーー↗️で始まるロック
FATSOUNDS
「悪いGLAY」で3回演奏された曲という副題が付きそうなほど、インパクトが相当あった。果たしてそれを「悪い」とするかどうかは受け取り方次第だが、自身にとってはただただ楽しくて面白くて、GLAYの底抜けの優しさを感じるものであったため、「悪い」よりは「おいしい」という表現の方が的確かもしれない。
そんな時の1曲としてピックアップされる「FATSOUNDS」。確かに、あまりたくさんのことを考えずに思い切り暴れられる楽曲だと思うし、のっけからTERUの「ひゃーーーーーーーーー↗️」にとにかく心身ともに持って行かれてしまうので、だいたいサビくらいにはもう、酸欠状態になっていることが多い。そのため、じっくりと楽曲に聴き入るというよりは、音への条件反射的に体を動かしてしまいがちだが、この楽曲が訴えようとしていることは深い。歌詞をじっくりと噛み締めることで、その深みにハマっていく感覚もまた心地よい。心地よいなんて言い方をしているが、実はこの楽曲の歌詞に救われた過去がある。自身がコンプレックスに感じていたことをそれでも良いと肯定してもらえたように感じたのが、この歌詞。
性急に成果を求められるコミュニティの中で、なかなか成果に結びつけられずにいた時、「遅咲きのヒーロー」という言葉に救われた。そのコミュニティの中では成果をすぐにあげられずとも、別の環境においては、糧となっ武器となって成果をもたらすことができれば、それで良いという考え方。それを肯定してくれる存在があることでどれだけ救われることか。自分を否定するばかりになった時に帰ってきたい場所。帰ってくることで、心の平静が保てる場所。自分を卑下せずにいられる場所。そういう場所があることの安心感。だからこそ、この楽曲をライブで聴く時は、全身の力を抜き切って、思い切り暴れる。
そう、
誰かの評価や顔色ばかりを伺うよりも、ちゃんと本音を吐ける環境で、ちゃんと自分を肯定していく。自分らしさは捨てずに。
こういうことの全てが、最初のひゃーーーーーーーーー↗️と最後の
に詰め込まれている。ちゃんと放出して、回収されている。
この楽曲を3回連続で25周年記念ライブにやる意味の全ては、ここに詰まっていると今は思う。
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