30年以上のバンドが「らしさ」を残しながら進化している事実

誰もが特別だった頃

初めて聴いた時から、懐かしさが込み上げてきた。何がそうさせているのかという答えは、ライブでの映像を観て、最終完結した。音楽が持つ頭の中で映像化させる力は、実際の映像とリンクさせることにより、不足している部分を補ったり、他の印象をもたらせたりする。振り幅があって、また聴くタイミングによって解釈が変わったりするところは、音楽の許容の広さだと思う。
この楽曲のライブでの映像は、自身が思い描いていた「懐かしさ」という抽象的でぼんやりとしかイメージできなかった映像をまさに具体的なものにしてくれた。だからこそ、思い描くような映像が、ライブでの映像を創った人と、それを確認してGOを出した人と同じだったということは、この楽曲がもたらすイメージは、比較的共通の何かが根底にはあるということになる。

その「懐かしさ」を感じるのは、なにが起因しているのだろうか。一番は、カラカラカラっとなる楽器の音ではないかと思う。ただ、それが継続的に規則的になっていたらちょっと重くなってしまうだろうけど、1小説の中の3拍目と4拍目あたりにそっと顔を出して、メロディに温みを加えていく。そして、楽曲が盛り上がりに向かうBメロやサビではスッと姿を消す。こういうポイントポイントで出てくる音の選び方が、共通映像を生み出していく。そして、GLAYは映像を作るための音選びが本当に丁寧だなと感じる。
今までにはないものなのに、そこにGLAYを見つけずにはいられないのは、こういう音への配慮があるからだと思う。そして、その音源を大事にしながら、それに縛られない形でライブだけの進化形につなげていくわけだから、音楽の持つ可能性を最大限に信じていることが伝わってくるし、それを受け手が受け取ってくれるという信頼もあるように感じるからのファンとしては嬉しい限りだ。

新しいがGLAYらしい「誰もが特別だった頃」だが、そうは言っても30年以上バンド活動をしているからこその楽曲であることは言うまでもない。
この楽曲を20年前にやったとしても、今のような楽曲の持つ世界観を表現できないだろう。長く続けてこそできる楽曲で、そして、ファンにとっても長くファンとして追いかけているからこそ聴ける楽曲が増えていくこともまた、喜びの一つである。
サビで急に音が高くなり、ファルセットで優しさと力強さを表現しているあたり、30年バンドだからこそなせるもの。楽曲そのものがあっても、それを表現するに足りなかったら、楽曲の持つ魅力を最大限には伝えられないだろう。今だからここまで胸の奥までストレートに届く「誰もが特別だった頃」をGLAYが一番良い形で見せてくれているのだと感じる。

レトロな雰囲気を持つ映画館の宣伝楽曲になったら、めちゃくちゃハマると思うのに(って、ライブのTAKURO主演の映像に引っ張られすぎてるか)。。。

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