ライブ序盤での絶対的起爆剤

ビリビリクラッシュメン

何も考えずにこのタイトルを受け入れてきたけれど、よくよく考えるとビリビリクラッシュメンってなんだろう。。。でも、ビリビリクラッシュメンと言われた時に頭の中で鳴るであろう音が、あのイントロなのだろうなということが想像できてしまうから不思議だ。タイトルができてあのイントロなのだろうか、はたまたイントロ含めてのタイトルなのだろうか。いずれにしても語感から、タイトルコールをしても、気持ちいいだろうなと思う。

ビリビリクラッシュメン(以下:ビリビリ)は、ライブ前半の2〜3曲目あたりに投入され、まだ少し緊張感の残る会場を一気にGLAYモードにもっていく起爆剤的存在(・・・と思ってセトリを見返すと、意外とそうでもないことの方が多い。所詮、記憶なんてバイアスだらけということ)。GLAYのライブのある意味での象徴的な楽曲だと思う。作曲がJIRO氏であるが、他の楽曲よりもベースとして着目されるポイントが少ないようにも感じる。・・・が、ライブにおいては、見せ場だらけというか、それはJIROに限ったことではないが。プレイとしての華々しさが際立つ。

まずは、タイトルから想像ができるイントロ。コロコロ、カラカラする音が変則的なリズムを刻み始めたかと思うと、一気に骨太ギター。ライブでは、ピンスポットの当たるHISASHIが妖艶さを交えてステージ前方に立つ姿の神々しさに、まず息を飲む。その後に、細かくて速いドラムが入り、目立ちはしないが、メロディアスなベースが基礎をグッと作り出す。
TERUのボーカルが入ると、GLAYの世界観が一瞬で確立される。楽曲の雰囲気から強めのボーカルをイメージするが、入り方は艶やか。この艶やかさを一定保った状態で、Aメロを繰り返し、歌詞に合わせて自身の身体を弄るような動きをするわけだから、会場のボルテージの針が一気に振り切れるのも無理はない。
その振り切れた針がいよいよ姿形をなくすくらいの見せ場がBメロ。TERUとJIROがステージの中央でマイク1本で主メロとハモりを一緒にやるという、酸欠だった体中から全酸素がなくなるようなパフォーマンスへと突入。それまで、TERUとJIROは大抵、ステージの両サイドの方にそれぞれが行っていて、Bメロに合わせてステージ中央に走って戻ってくる。たまにどっちかが間に合わなかったり、TERUがJIROの横をわざと走り抜けて行ってしまったりなんてこともありながら、この楽曲の一種の頂点の時間をサビ前に迎える。
※余談だが、2022年のFCライブで披露されたときは、マイク1本スタイルをとらなかった。まだ感染拡大が予断を許さないタイミングだったことからの配慮とのこと。そのときは、寂しさを覚えたが、そういうことへの細かい配慮ができるGLAYが好き❤️

そして、サビでは、「New York」でメンバーも会場も全員がジャンプ!この結構客席間が狭い会場とか、アリーナにパイプ椅子のようなものを並べている座席だと、だいたいこの時の着地に失敗して、膝からかかとくらいまでの間に痣を作ることになる。そこも踏まえてのビリビリだが。

そして、間奏ですよ、間奏。間奏の前半は、TAKUROがJIROと向かい合ってギターを掻き鳴らす。長い指の動きが正確であるために、その繊細ながら、迷いのない指の動きに目を奪われる。その横で、ギターに翻弄されないベース。ベースも結構動きがあるので、ベースの指の動きも一緒に見られたら、もうそれは、そこだけで芸術「作品」の域。
そして、間奏後半戦に引き継ぐ時のベースよ。ここもさほど目立つところではないが、間違いなくボールが渡るような配慮のある、でも遠慮ではない存在感もあるベース。JIROのベースが冴え渡る。その上に乗るのが、HISASHIの代名詞的なキュインキュイーンなギター。いつから、ピストルの形をした機材(名前とか効果効能はよくわからないけど、会場がメチャクチャ湧くやつ)を弦にこするようようにし、キュイーーーーンを増幅させて大サビへ。
もちろん「New York」で痣を増やしながら、サビ終わりアウトロで、TERUが大ジャンプでちょっと締め的な感じに。このジャンプの着地が、アウトロの再度の走り出しを左右するから重要。まぁ、いつも高く華麗に宙を舞うようなジャンプにより、楽器隊が最後に向けて一層気持ちのあった演奏を続け、締める。

そう、終わった時にはかなりヘロヘロになる。まだ序盤の序盤なのに。。。という時が多いのも、ビリビリの特徴。
でもさ、ライブの序盤に顔を出してくれた時の盛り上がりと絶対的な安心感。これもきっと、来年のアニバーサリーライブでは、会場を絶叫の渦に巻き込んでくれるはず。

https://www.youtube.com/watch?v=ZtwYUJvBLbY


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