違和感から始まる中毒性

WORLD'S END

ライブでは、「THINK ABOUT MY DAUGHTER」のように、TERUとHISASHIが背中合わせになって始まる楽曲。こういうお馴染みの演出は盛り上がる。ライブだからこそ味わえる醍醐味はこういうところにある。

HISASHI楽曲の中毒性の一つに、破調が挙げられると思う。どことなくある違和感は、何度も繰り返すことで、それがないことへの違和感に変わっていき、夢中になっていく。破調に限らず、最初に聴いた時の引っかかりのようなものが必ずどこかに存在しており、それが、反芻された結果、中毒性に変わっていく。しかも、その違和感が毎回全く違う角度から顔を出すもんだから、想像できない。想像以上が何回も続くと期待に変わり、その期待を超えることはなかなか難しいけれど、いつもその上をいくものが届けられるから、どんどんと沼にハマっていうという循環。もう、抜け出そうとも思っておりません。

この楽曲は、ギターの存在感とドラムの疾走感との掛け合わせがとにかく気持ち良い。HISASHIのギターは、流れるようなメロディや、それこそ違和感を何かしら持ってしまうようなアプローチや、TAKUROとの心地よいユニゾンが多いが、この楽曲においては、一音一音が強い。一音一音で存在感を出しているように感じる。だからこそ、楽曲の中でのポイントとなるところに、インパクトのあるギター音が存在している印象を受ける。そして、疾走感のあるドラムが、楽曲のピークへ引き連れていく役割と、思い切りサビの世界が広がったところに、すっとシートを敷くように、楽曲の礎を支える存在に徹していくところに職人技を感じる。
そして何より聴くべきは、Aメロのバスドラ使い。メロディアスなベースを邪魔しないようにしながらも、小節の頭の二音のバスドラが、Aメロの耳にフィットする状態を自然ともたらしていると思う。そこまで目立つ音ではないと思うけれど、その音を選んだ理由が必ずあるだろうと思いながら聴き、そのストーリーをイメージすると、一層、楽曲への愛着と敬意が湧いてくる。

1番後に入る間奏のおいても、ギターソロが他の楽曲よりも骨太に感じる。その裏のドラムについては、他のフレーズと比べると速さはないが、その分、リズムのごまかしが効かず、BPMが落ちている分、リズムの連れがより目立つ。そこに、敢えてそのアプローチをするところに、楽曲としての強さと、作曲者に対してのリスペクトを感じる。

HISASHI楽曲は、年を重ねるごとに新しい角度から切り込んでくるから、どうしてもその新しさやもの珍しさに気持ちが動きがちだが、ちょっと前にリリースされた楽曲の中にも、これだけの名曲があるという事実に、30周年常に第一線で活動しているバンドに敬意を止めることなどできるわけがない。

#GLAY #WORLDSEND #TERUとHISASHIの背中合わせからスタート #ギターとドラム

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