誰かといきることは、予想外ばかりが予想通り

あなたといきてゆく

GLAYが放つ言葉としては、非常にしっくりくる楽曲。
イントロからGLAYがぎゅっと詰まっている。でも、ふとしたところで変拍子が入ったり、「愛してる」の意味が広くなったり、そこに変化や進化、深化を感じる。
この頃は、日々の生活に追われすぎ、ちゃんと楽曲を聴きこんだり、MVを楽しめる余裕がなかったが、今思えば、こんなにも貴重な時間があったのだから、もっとゆっくりと音楽に触れる時間にすればよかったななんて思ったりもする。ただ、そんなせわしない生活の中に、すっと溶け込んでくる「あなたといきてゆく」は、リアリティがあるからこそなんだと思う。それが、ああまりにもフィクションとして作られているものならば、生活に追われる人の懐に入って来られない。そういう生活密着型バンドGLAYの楽曲は年々壮大になっていくななんて思ったりもする。

Aメロの拍子が均等リズムじゃな区、少しだけ前のめりになる感じ。ここに、生活の中の慌ただしさとか、物事は思った通り進まないようなもどかしさのようなものが込められているように感じる。だって、自分一人だって想像以外のことのほうが多いのに、誰かと生きていく過程が全て自分の想い通りだったら、ある意味でのカオスだ。整い過ぎているが故のカオス。そういう解釈ができる余地というか、余白を楽曲や歌詞の中に散りばめている。
そして、どこか冷静な視点で物事を見ている歌詞。タイトルから想像するのは情熱に満ちた楽曲だが、実は客観的に自身の出来事として、結婚という人生の一大イベントを捉えているように見えて、そこもまたGLAY節の中に見えるちょっとした影のような部分であると思っている。

GLAY楽曲の中では、四季のそれぞれの季節に紐づくような楽曲も多いし、1曲の中で、春夏秋冬を歌いきっている楽曲もある。四季の移ろいにおいては、作者なりの感情があると思うのだが、「あなたといきてゆく」は、四季を人に例える楽曲。そういう手法で有名なのが、「四季の歌」(春を愛する人というタイトルではない、それはGLAY楽曲)だ。祖父母と父母をそれぞれの季節にたとえるが、「あなたといきてゆく」もそれぞれの季節に家族の誰が合いそうかということを話したかもしれない。でも、人なんて場所や状況、周囲との付き合い方によって、いかようにも変化していく。そういう余白もちゃんと残されている。

自分たちだけで作るのではなく、ファンにも解釈の振れ幅を残しているあたりがやっぱりGLAYだなと思う。

#GLAY #あなたといきてゆく #解釈の余白を作る #四季の歌

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