My name is DATURAが意図するもの

My name is DATURA

HISASHIの才能はどこまで果てしなく、そして深いのだろうとこの楽曲を初めて耳にした時に思った記憶がある。聴けばHISASHIの楽曲であることは、想像できる楽曲だし、楽曲そのものに大きな意外性が存在するわけでもないのに、冒頭のような感覚を抱いたのは、HISASHIが生み出す世界観の多様性が想像の斜め上ほどにあることが理由であるような気がする。この楽曲で言えば、間奏で何語かわからない言語で、ものすごい色気のある低音で歌われている数小節だけの謎めいたメロディの箇所。ここが生み出す世界観は、それまで進んできた楽曲をまったく別軸の次元に送り込むような役割をしているように感じる。2次元で考えていたものが、急に3次元の世界で展開されるような感覚。急に連れられた場所で、軸がXYだけではなく、そこにZも加わりますなんて言われた日にゃ、パニックを起こすだろう。それほどまでに、急にこの部分が現れて、あの低音テノールを耳にした時は、何が起こっているのかの判断すら危ういほどだった。

そう、HISASHI楽曲はそんな感じで、別軸の世界に連れて行ってくれることが多い。常人では思いつかない発想?という熟語での表現ではあまりにも失礼に感じられるほどに、きっとこれもまた別軸の空間に引き出しがあるのだろう。想像の斜め上なんて言ったけれど、それすらもう何次元での話なのかも怪しいほど。中毒性があって、1度耳にしてしまうとそれこそ何度もリピートしてしまい、それにまたどっぷりと浸かっていくというストーリーはどの楽曲でも同じ。楽曲のどこにその中毒性のもとになるものがつまっているのか知りたいほど、何度聴いても毎度新しいさのようなものも感じる。

1曲の中に象徴的なリフやメロディがあることは多いが、この楽曲でいうとそれがイントロど頭にあることもまた、中毒性を増すことの一つの要因でもあるように感じる。楽曲の中にこのリフが散りばめられていることで、「ほら、始まるよ」と手招きをされているようで、そこに吸い寄せられていく。このリズムを生み出すドラムの細かい粒の音、職人だなと思う。このリズムが崩れたら、それこそこの楽曲の核となるものが揺らぐことになり、象徴も何もなくなってしまうだろうからとにかく重要なフレーズ。ドラムを中心とした他楽器隊の息が合うことが成功の唯一の方法。ライブでは毎回気持ちよくこのリフに吸い寄せられていたから、ピッタリと息遣いがハマっていたのだろう。ライブでは、楽曲の音全体がお腹の奥の方にまでリズムが根付いていた。

そして「DATURA」の花言葉の意味を知ると、これまで書いてきた内容のすべてがここに回収されていくような気持ちになる。HISASHIよ、あなたの才能の深さをもっともっと踏み込んで知っていきたいのです。

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