土曜の午後の青空と生意気な笑顔達

グロリアス

そう、初めて行ったライブは土曜の午後で、青空が印象的で、そしてステージもファンもみんな笑顔だった。当日は、そこまでこの歌詞の意味深さを理解できぬままいたが、余韻に浸っているときにこの事実に気づき、またおいおいと泣いたことを覚えている。
(余談だが、自身の結婚式のちょっとしたイベント的コンテンツ内でこの楽曲を使ったが、その日も土曜の午後だった。ただ、そこは雨女。残念ながら小雨がぱらつきそうな曇り空だったそうな。)

TAKUROがなにを想像して、この歌詞を書いたのかは定かではないが、このどこでも使われる単語の組み合わせが、バンドとして記録にも記憶にも残る大舞台の日の状況にここまでハマるとは、運命的というか、このステージで演奏するために生まれたのではないかと錯覚してしまうほど。
そして、この楽曲によりGLAYはいわゆる「トップ10入り」というものを初めて達成したわけで。
ファンの贔屓目と言われるかもしれないが、この楽曲が受け入れられない世の中なんて、あるのだろうかと思うほど、楽曲としての大衆性に富んだ楽曲だと思う。もしこの楽曲に対して違和感を覚える人がいるとするならば、それはこの楽曲が持つ圧倒的な眩しさが理由ではないか。その眩しさゆえに受け入れにくいというか、苦手意識も持ってしまうという理由。でも、それはよくわかる。落ち込んでいる時に元気をもらえる一方で、落ちすぎているときにはあまりにも眩しすぎる。

このMV、全員がいわゆるヴィジュアルっぽい感じの様相をしているにも関わらず、楽曲がPOPでポジティブで、そんなちょっとしたちぐはぐした感じがなんかくせになる。今の彼らのライブの動きがしっくりくる身としては、この頃の動きとかに逆に新鮮さのようなものを感じたりするのは、自身が歩いた年月が長くなってしまったからだろうか。

冒頭に書いた歌詞以外にも、「グロリアス」の歌詞には結構お世話になっている。

I wish you will be happy life

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

メロディにすごく綺麗に歌詞がはまっているし、この楽曲のいわゆる象徴的な役割をする歌詞だと思う。タイトル「グロリアス」を補完するようなところもあり、この楽曲の最後を締めるのに、これほどまでにふさわしい歌詞を、誇張するのではなく、自然に、でもそこに必然性を残した形で入れられるTAKUROの匠の技には、ただ、頭を垂れるだけだ。

少し注目ポイントを変えてみるが、GLAY楽曲については、いつだれがそれを始めたのだろうと思うライブでのお決まり的な動きがある。大抵は、TERUが発端となり定着するものが多いが、ファンからなんとなしに始まったようなものも結構あったりする。自身が初めてライブに行ったときには、もうすでに定着をしており、理由も分からぬまま、今では当たり前のようにやっている振り?がいくつか存在する。
「グロリアス」で言えば、それこそ「土曜の〜」の直前に、Bメロから再度Aメロに戻る前に、【チャッチャッ】と楽器隊がリズムを弾ませるところがあるのだが、ここでファンは、片方ずつの腕をリズムに合わせて上げるのだ。
もちろん、初めて参加したときにはその慣習を知らずにいたためにできなかったし、2回目〜3回目くらいまでは、「そうだった、ココはチャッチャッのところだった」と思い、一緒にできなかった自身を悔やんだもの。そうやって、定番を習得していく。
でもGLAYは当初から、全員にこれを強いることは決してなく、(人に迷惑をかけないのは大前提の上で、)それぞれの楽しみ方で楽しんで〜というスタンスなので、もちろんそれを定着させない人もいる。私自身は、溶け込みたい派なので、ライブでの定番の動きは積極的に取り込んでいったが、やはり「この楽曲の時は、動かない」と決めている楽曲もあり、周りに合わないこともしばしある。

話がそれたが、夏の野外がとって似合う楽曲。来年の30周年記念のライブが夏前後に野外であるならば、久しぶりに「グロリアス」が聴きたい。

↑96年の初武道館の映像。トゲトゲしているように振舞っているけれど、ねの良い人を隠しきれない(笑)



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