空と鳥への想いが強い理由が何か

Little Lovebirds

そうそう、誘惑のc/wなのさ。だから1998年にもっとも多くの人の手元にあるカップリング(あえて表記を変えてみる)ということだ。そう思うとなんか不思議。リリースされた当時はライブにまだ行けていないもんだから、リリースにライブで聴くことが当たり前ではない楽曲。だから、これだけ多くの人の手元にある楽曲なのに、ライブで聴いたのはほんの数回。今ではライブのセトリに入ることも少ないのでレア曲だ。TERUのストレートさがそのまま楽曲として誕生した、そんな感じの楽曲だ。この楽曲もそうだが、もう1曲TERU楽曲の中でターニングポイント(という表現で良いのか。。。)になる曲にも「bird」という単語が含まれている(でもこの楽曲は「バード」ちとは発音しないところがミソ)。TERUは鳥が苦手だと言っていたが、思いを乗せる対象としての鳥には何か強い思いがあるのだろうか。でも、「空」を大切にするTERUにとっては、その空を自由に羽ばたく鳥が特別なものであることは、想像に難くない。

2016年に開催されたファンクラブライブ会員限定ライブでの映像がアップされているが、それを改めて観て気づいたが、HISASHIが弾いていると思っていたギターをTAKUROが弾いていてびっくりした。この手のギターはHISASHIが弾くというのが当たり前の雰囲気の中で、TAKUROだったか・・・と。ファンを長くやっていても、全く気づいていないところもあるもんだ、まだまだ知ることができる余白があるなと面白くなってきた。

優しくて、穏やかで、良きタイミングで自然とそっと背中を押してくれるようなそんな楽曲だけれども、TAKUROが弾くギターが入ることで、この楽曲をただ優しい楽曲だけではなく、骨太さを感じる楽曲に押し上げている。
初めてこの楽曲を聴いた時、なんだか不思議な感覚に陥った記憶がある。その正体はまさに、優しい楽曲だと思っていたところに入ってくる楽曲の雰囲気に似つかわしくないエレキギターのフレーズだと思う。学生の身で、ギターもベースも同じように思ったいた頃に感じたものなので、その感覚そのものが怪しいなとも思っていたが、今聴いた時の解釈もさほど異ならないので、その時の感覚は間違っていなかったと今もそこは胸を張れる。
エレキギターが表現するものは何かわからないが、自分はあの頃、雨が降ると途端に元気になる人のことを表現しているように感じられた。人との感覚がずれているから、人が興奮しないポイントで興奮してしまう。でもそれは感じ方の問題なので、人それぞれで良いが、どうしても解を作ってそこに嵌めようとするから窮屈になるのだ。
そういう意味では、この楽曲が目指すべき目標は、自分を見失わず、自分らしさでいけば自ずと結果はついてくるというメッセージをTAKUROがHISASHIっぽいフレーズを弾いたことによる理由とも思えてくる。

だからバンドの音って面白い、そしてそれが時をかけて変化を纏っていくr所も。人によっては音源通りを望む人もいるだろうが、自分は、その時のバンドメンバーの体調や気持ちが反映された楽曲にこそ、新しい魂の可能性が眠っているように感じる。

#GLAY #littlelovebirds #ラバーズと読む #HISASHIと思ったらTAKURO

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