まるごとの春を思い切り吸い込んでみる

HELLO MY LIFE

昔、春という季節が好きではなかった。季節柄はっきりしないし、暑いなら暑い、寒いなら寒いというわかりやすい季節でもないし、でも秋のような情緒がないし、そこまで魅力に感じられるポイントがなかったからだと思う。
今考えると、なんてつまらない人間なんだろうという理由ばかりが並べられているが、当時の自分にとっての春という季節は、すぐに過ぎ去ってもらってよい季節という程度の認識だったと思う。
雪国で過ごす時間が長い方にとっての春は、待ち侘びるものであるということを聞くが、そういう経験も少なかった自分にとって春という季節が魅力に感じられるようになったのは、社会に出てからだったように思う。

春という季節は、学生にとっての方が変化の大きな季節だが、社会に出てから、その変化の多さとそれに伴う自分の感情の変化が大きい事実に気づき、その変化の大きさに対するとまどいを和らげてくれるのが、春という季節であると感じた時、春という季節への趣深さやありがたさに気づくことができた。これ、もっと寒い冬だったら寒さに心も凍えそうだし、秋だったら情緒よりも物悲しさの方に心が動いてしまうだろう。夏は、暑さで脳がちゃんと働かずに正常な判断に至らなそう。
総合的に考えて、春という季節の穏やかさや暖かさに救われる面は多いと思う。真っ青な空に桜のピンクが映える景色を見たら、だいたいのことはそれで「チャラ」になってしまうような感覚になる。少しいつもよりも深く息を吸えば、「春の匂い」なるものを体に取り入れることができ、それと同時に悪いものもいっぱい吐き出せるような気にさえもなる。春を吸い込めるのは、春しかない。息を吸い込んで、こんなにも心穏やかでいられる季節は唯一春だけのようい感じる。(そして、自身が花粉症でないことにこの上なく感謝する。)

「HELLO MY LIFE」には、そんな春が詰まっている。いや、構成要素の9割以上が春もしくはそれに関連するようなことではないかと思う。だからこそ、この楽曲を浴びれば浴びるほどに、春を思い切り満喫したような気分になれる。そして、ちょっとだけ懐古して、それがまたある意味でのスパイスになったりもして。サビがまた展開していく感じが、ストーリー性があって、それにもまた共感して、ほろりとする。

言えないままの片道の恋「ずっと好きだった」
季節はずれの粉雪が降り忘れられてる

春の日に散る 片道の恋「ずっと好きだった」
季節はずれの粉雪が舞うせつないほどに

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そう、片道とわかっていただろう恋が春の日に散った。その時の粉雪は舞っていたわけで。舞っている状態は降っている状態より自由で、自由だからこそ、よりそこに切なさを感じる。そしてそれは季節外れで。降らなくてもよい粉雪が、なぜがもう春になったのに舞っている。それが、片道の恋に対するなんらかの象徴なのではないか。

そんなことも含めて、この楽曲のもつピュアさが春という初々しい季節とよくマッチする。そんな季節に「HELLO」と言いたくなるのは自然の流れ。

#GLAY #HELLOMYLIFE #季節はずれの粉雪が舞う #片道の恋

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