優しさだけはではなくて、全てを背負う覚悟がそこに

刻は波のように

とても明るくて前向きで、優しさの詰まった楽曲。でもそれだけではない涙腺を刺激する要素があれこれ詰まっているからこそ、何度聴いても鼻の奥がツーンとして涙になる。

TERUの楽曲にはそういう要素がたんまり詰まった楽曲が多い。自明の理を唄っているだけのようにも思えるのに、そこには大いなる説得力があって、あたり前のことのありがたさやそれを幸せと思えることの意味を理解することで心が洗われていく。自明の理だからこそ、そこにその人のリアリティがなければ、「そんなことはわかっている」になってしまう。そんなことはわかっているのに、それを実感を持って伝えてくれるから、その温かさとその意味の重みに人は心が動かされる。TERUの作る楽曲には、その気持ちをダイレクトに感じられる優しさに溢れている。そして、それが彼の真骨頂。歌うというアウトプットまで含めると、真似できるものはいない。唯一無二。

すごいのは、故郷の近くの海の景色がイメージできること。よく、故郷の風景の写真をアップしているから、それに引きずられている可能性は大いにあるあろうが、それでも、TERUという人が過ごした近くの海は、こんな感じなのではないだろうかと、この楽曲の歌詞だけでも想像ができる。歌詞だけではなく、歌い方や楽器の奏でる音が、函館の海近くの景色を浮かび上がらせ
てくれる。そこまで大きくない波が、誰もいない砂浜を少しずつ連れて、海の方に貯めていく。大きな音を立てるわけではないけれど、確かに音を刻んでいて、それがある瞬間は一定のリズムで寄せて、返してをリピートしているので、オーケストラとかの合奏で、音の一部の役割を担っている様にも聴こえたり。だからこそ、その音を大切にしたくて、耳をそばだててみる。鼻から吸った潮の香りがより海の近くに戻ってきたことを、そこが愛する人の故郷であることであることを実感する。

優しい楽曲が、少しの間、とてもたくましさを見せる箇所がある。ドラムの音が強くなり、自身がはっきりを物事を誰かに突きつけるような感覚。覚悟を決め、それを実行に移すフェーズでは、優しさだけではなく、強靭的な肉体と精神力で前に進んでいく。それを決めた時の力強さは、ちゃんと楽曲の中でアクセントになっている。自身の子にこの様な楽曲を書いてもらえる親はこれ以上にない幸せを持っている方なんだなと、純粋に羨ましいし、微笑ましい。TERUという人物は、この楽曲の中で歌われている全てであると実感させられるような楽曲。TERU楽曲の変化と進化がとにかく毎度楽しみ。

この楽曲を聴きながら、ソフトクリーム片手に海辺をあてもなく歩きたい衝動に駆られています。

#GLAY #刻は波のように #母を思った歌最強説 #函館の海辺

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