七色の顔を持つ曲、バンド力が試される
Holy Knight
ライブで魅せられた、その世界観がこの楽曲がどういうものであるのかを物語っていると思う。音源として聴いた時の印象とライブでの演出含めてのイメージがこんなにも異なることを考えると、この楽曲が持つ潜在的な力を実感させられる。GLAYの楽曲と言われれば、そうだよねと思う一方で、いや、これまでのGLAYの楽曲の何に似ているか?と言われるとそれも思い浮かばない。ただ、一つ言えることは、TERUが歌うことによって、圧倒的にGLAY楽曲になっていくことは、揺るぐことない真実である。それだけ、TERUの歌力によって、楽曲の持つ印象そのものまでも、大きく変えることができるということだ。
聴いてすぐに脳が心地よいと判断するような透き通った声で始まる。そこだけを聴くと、明るい冬の歌なのかと脳が思い込むだろうが、そうでないのが、この楽曲の奥深さ。楽曲が進むにつれて、まだこの表情も見せるのか?と思えるような展開を幾度となく起こるものだから、本当に1曲なのか?と錯覚を起こしそうになる。
そして、いつものベースよりも重量がなく、ギターの音かと最初は勘違いをしてしまうようなメロディのようなベース。ベースそのものが小節を先導しているようにも感じる。
そして、なんと表現すれば良いのかに迷う音がある。ただ、この一音を放つだけで「Holy Knight」の世界に引き込まれる。寒くて空気が異様に澄んでいる朝、空気中に霧状に水を撒いた時に、小さな小さな水の粒がふっと空気中を流れていく軽い軽い音。軽いけれど、その軽さの一つ一つに重みや濃さを感じるような音。その音がイントロで楽曲の大きな方向性のようなものを示す。
スローテンポで始まったのかと思えば、その後、アコギのような音でツインギターが重なり合ったり、2本のギターの行き先が急に分かれ、ロック調のギターとアコギがぶつかり合うように溶け込んで行くような展開があったり、雷鳴が轟くような激しさを見せる場面があったり。楽曲全体で、なんとも形容に窮する雰囲気を持っている楽曲であるからこそ、演出一つで、楽曲の持つ世界にぎゅっと入り込んでしまうのだと思う。ライブの演出を目の当たりにした時に、この楽曲が完結できるのではないかとさえ思う。
TERUというボーカリストの持つ声の可能性に末恐ろしさも感じられるようなこの楽曲は、このアルバムツアー以外のどこで、今後出会うことができるのか、この先が一層楽しみになってくる。
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