大切な言葉をポップなメロディにのせることへの解釈

BE WITH  YOU

98年にリリースされた楽曲だから、きっと彼らは急に忙しくなって、スケジュールに追われ続けていた頃だっただろう。リアルタイムでリリースされた作品を買うようになっていたので、まずは手に取ると本当に擦り切れるくらいまで聴いた記憶がある。まだ、効果なコンポなぞ買ってもらえてないので、とりあえずCDは聴けるというどこのメーカーかわからないようなプレイヤーで聴いていた。1作(同時リリースだから2作か)前あたりから、シングルの仕様がオリジナリティに富んできて、通常とはちょっと異なる特別感があって、そのあたりに謎の優越感のようなものを抱いたりしていた。

この楽曲、2014年のEXPOを最後にライブで聴いていない。10年ほどが経とうとしている。年々楽曲が増えていくため、仕方はないだろうが、この楽曲場合は、何か大きな理由があったのでだろうか。
GLAYの王道、真骨頂のような楽曲、おそらく「世間」が知っているGLAY楽曲の典型のようなものと言われても否定できないだろう。ちょっと嫌な言い方をすれば、食べなくてももう味はわかる。●●っぽい楽曲でしょ?と反応される。
そういうものだけを放ち続けると、それはきっと崩壊の始まりを助長するTことになる。この楽曲がいつ制作されて、いつリリースが決まったのかは記憶が定かではないが、「価値」ではなく、「勝ち」が最初にきてしまうと、どれだけ強固な基礎も、急に緩んだり、亀裂が入ったりしてしまう。私にとって、この楽曲は、そんな楽曲なのではないかと邪推をしてしまう。その理由はやはり、すごく大切にしている言葉を、ポップなメロディに乗せているから。ポップな楽曲であれば、重みのある言葉も、ライトTに届けられる効力があると自身は思う。ポップさに重さの少しを取り除いてもらう役割。音楽の持つ力とも言える。ストレートに言葉だけで伝えるのではなく、それをメロディというある意味での媒体を通じて、歌詞が変換される感じ。

だから、この楽曲に込められた言葉の重みを一層感じる。ところどころ、そうであることを示すかのような楽器隊のちょっとした主張のようなものを見つけた時、GLAYというバンドの懐の深さを再認識する。本人たちの当時の状況から、どんな生活を強いられていたのか、想像もできないが、その中でメンバーらのある意味ので救いである音楽が、自身の楽曲が、消費されないようになにかにしがみついている感じに、「やっぱりGLAYが好きだな」と改めて実感させられる。

今、ライブで聴いたら、また今までにはなかった感情が生み出されそうだ。


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