王道の中に光るもの

ASHES-1969-

久しぶりに・・・と言うよりも実はこれほどじっくりとMVを観たのは初めてかもしれないと思うほど、MVのかっこよさをじっくりと実感した。ただただ、歌い、演奏をしている映像がこれほどまでに神秘的なものになるとは。GLAYのかっこいいいところを理解してくれる監督さんだったのだろうか。シンプルな演奏シーンだけでも、十分に映像としては成立するのだから、ライブ映像とかも、下手な演出ほど興醒めするものはないなと改めて実感。

ど頭からボーカルが入るのだが、TERUの息遣いがダイレクトに伝わる感じがたまらない。息を吸うということは、そこにボーカルが生きていることの証明でもあり、歌おうとする意思が存在(あ)る。ちょっと前にブレスを消すと何事か!という記事を書いたことがあるが、この息遣いがあってこそのボーカルだと思う。特にTERUはピッチ矯正もほとんどしないそうなので、歌っている声がそのまま手元に届いている感覚は確かなのだ。特に、イヤホンで聴いているときの息遣いは癖にある。しばらくそこだけリピートしても良いくらい。こういうファン心理もぜひともレコーディングに反映させていただきたい。

楽曲がシンプルでGLAYの王道をいっているからこそ、一つ一つの音に迷いがないし、固さもない。滑らかに流れるように、その流れの中にとんがったところがあって、そこに楽曲の特徴を見つける。この楽曲は冒頭に書いたTERUの息遣いに加えてベース。ベースもGLAYの王道を地でいくものだが、他の楽曲と比較しても、ベースの存在感が強い。そしてロックナンバーなのに、歌うようなベースである。音の粒感を残しながらも、滑らか。表面に触れてみるとざらざらしているけれど、その感覚が心地よくてクセになる。音階を辿るようなラインがあれば、一音一音が飛び飛びになっていて、それが楽曲に奥行きをつくっている。そして、そのベースの横で、自然に、でもその存在感が確かなのがドラム。結構テンポ速いドラムなのにも関わらず、主張するわけでもなく、ベースを際立たせて、かつ楽曲を間違えなく支える。
この音と音の交わり方にバンドのカラーが出るなと感じる。
ベースとドラムが職人であればあるほど、楽曲がたしかなものになり、さらにグルーヴ感を生み出す。

しばらくライブでは聴いていないし、前回ライブで聴けた時には、さほどベースを意識していなかったと思うので、ライブの場でベースをより感じたい。
30周年記念ライブ。。。ではないか。

#GLAY #ASHES1969 #ラストサビのファルセットの艶っぽさよ #演奏シーンがかっこいいのが一番

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