「相方」という存在
Buddy
とGLAYは歌う。
自身にとっての相方との「出逢い」は不思議でもなければ、小説のような唯一無二的なストーリーもないが、「贈り物」であることは間違いない。
そんな相方のことを考えてしまったら、このツアーで披露された未リリースの新曲「Buddy」が泣ける泣ける。だってさ、タイトル「相方」そのままじゃん。
この楽曲は、パートナー(配偶者)についてのストーリーだが、メンバーへの思いを綴ったことはファンなら秒で理解できる。そのストーリーにGLAYを重ねながら聴き、ファンはそれぞれの思いに耽っていただろうが、私は自身の相方に重ねてしまって泣いた。おおいに泣いた。
相方との出逢いは23年ほど前に遡る。まだ学生の時。月並みな表現だが、出逢ったその時に、23年後にこんなことを公に綴る日がくるとは夢にも思わなかった。そして、相方がいなければ今の自分はいない。私の人生が、誰かに大きな迷惑もかけず、自らの家庭を持てていることも、直接的ではないにせよ、相方との出逢いがプラスに関わっていることは確かだ。
いつから相方と呼ぶようになったのかは覚えていないが、きっかけはもちろんお互いにGLAYが好きであること。ただ、当時はまだ世間のGLAY熱は灼熱状態だったため、周りにGLAYファンを公言している人はそれなりにいた。ただ、その中でも相方は、自身の上を行く(と当時は思っていた)存在だった。なんせ、国語の授業で(その時の教材の流れで)宝物は何か?と問われた際に、周りが「家族」とか、「友達」とか答える中で、毅然と「FCの会報とライブチケットの半券」と回答したのだから驚きだ。筋金入りだと思った。今でもそれを覚えているのだから、私にとっては、相当のインパクトだったのだろう(本人は忘れている模様)。そんな衝撃の出逢いから23年。相方でもあり、私の人生の師でもある存在は、とてつもなく大きい。ライブ後とか、旅行の後とかに痛切に感じる。
同じ熱量で、同じ目的を追いかけることができ、その喜びや感動を分かち合える人の存在のいかに大きなことか。
特に感動を分けあえることが、どれだけ幸せなことか。自身と同じ幸せを、幸せだと思える存在のありがたさよ。
自身がまだ実家に暮らしていた頃、ライブ後にどれだけ幸せな状態で帰宅をしても、その幸せをすぐに壊されるような話を母から聞かされ、いつもうんざりしていた。幸せな余韻にすら浸れなかった日々を思うと、ライブ直後から生ビールで乾杯し、泣きながらライブを振り返ることができるなんて。。
。一方が語り、もう一方が聞き役では成立しない。同じ温度感で、熱量で、それが絶妙で、適量?適正?で、語り合う。
GLAYはもちろん、それ以外の共通項があったこともあるだろうが、今でもツアーがあれば、どこにいつ行くか?と当たり前のように打ち合わせをして、当たり前のように2人で参加。互いにまだ小さな子を抱えているので、毎度とは行かずとも、ライブ後の打ち上げも決行する。そんな関係。
そして、さらに嬉しいことに、次回アリーナツアーには、相方の息子くんも参加予定。学生時代に出逢った友人が、相方となり、それぞれのパートナーを見つけ、授かった子も一緒にライブに行けるとは。。。感慨深すぎる。
自身にとっての最高の相方は、GLAYが引き合わせてくれました。
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