100回以上参加し続けて、今まで見たことのない景色を見ることができた

THE GHOST of GLAY

何を隠そう、ホールツアーの「最後のファイナル」公演は、最前で最善だったのだ。チケット情報上は、まったくもって最前感はない。だって、4列って表記されていたのだもの。
前日に別の席で公演を楽しんだ後の規制退場時、退場を促される座席番号と人の動きを見ていて、もしかしたら1列目と2列目は使われていないのでは。。。という事実を掴み、実質上の2列目かもしれないという事実に心が踊ったところまでは、前日のこと。
そこで、相方(今後はBuddy表記にする予定)がぽろっと一言。「明日はビデオシューティング(未だにビデオといってしまうは昭和生まれの性ですか。。。)だから、3列目も封鎖されて、最前になったりして」と。まぁ、そうなればいいなくらいには思っていたけれど、そうは問屋が卸さないだろうと、笑い話にしていた。

そして、開演の30分前に会場入り。とりあえず座席だけ見てからトイレに行こうなんて話をして、最寄りの扉から入り、目にしたのが・・・最前という事実だったわけで。昨日よりも座席列が1列少ないことに気づいた時の驚愕と興奮に、椅子の前で膝から崩れた。そりゃそうだ、最前だという心の準備をしないまま無邪気に会場に入ってしまったのだから。
2列目かもしれないという期待は持っていた。でも、2列目と最前というのは、やっぱり全然心持ちが違う。だって、最前って字のごとく、最も前なのである。自分の前に観客はいない。パッケージ用の映像のための撮影隊はレールの上をものすごいスピードで動いているし、クレーンの映像機械が頭上からその存在感を意識させるが、常時目の前にいるわけではない。そう、遮られてるものが全くない状態なのだ。メンバーと自分の間の隔たりが一切ない状況。それは、こう言う状態なのであるということを、100回以上のライブのGLAYのライブを経てようやく事実を目で確かめることができた。

開演30分前に知った事実に足が震え、動悸が早くなり、口が乾き・・・というあらゆる緊張症状は、ライブが始まるにつれて、どんどんとエスカレートしていき、バラードゾーンに突入するまでに、相当量のエネルギーを消費した。マスク越しにメンバーの名を呼び、ともに歌い、拳を振り上げる状態が5曲くらい続くと、脳に満足な酸素が届かない。酸欠ってこういう状態を言うのかもななんて妙に冷静にその状態を判断しながらも、それで行動を控えられるほどならば、今、こんな興奮状態でキーボードは叩いていないし、100回以上ライブに行ったりはしない。

2ヶ月半ほど前に、同ツアーのNHKホール公演も運良くチケットが取れた。座席表記は、今回と同じ4列、そして事実も4列目だった。この時も相当な近距離で、メンバーの顔に刻まれたシワさえも認識できたが、それでも4列目。誰も自分の前に遮るものがないという状態ではない。

今回は、撮影クルーがいるのために、距離的にはNHKホール時とそう変わらないだろうが、他の観客の隔たりがないという事実だけで、これだけ見え方が違うものか。見え方というか、心持ちというか。首を少し上げ、見上げるような形でそこにメンバーを拝むことができる。これは、人生の中における最良の時間と言うにふさわしい、というか、これ以上の何があるだろうと思うほど。ライティングをしているものとしてはあるまじき、「言葉にできない」というのはこういう時を指すのだと思う。

少しずつ、思い出しては、楽曲解説とともに言及していきたい。
今回のコンセプトは、「幽霊のような普段は存在感がない楽曲に光をあてる」というもの。もともと、HIGH COMMUNICATIONS というツアーは、アルバムの冠がついているものではなく、コアな楽曲をセットリストに組み込んでいくことが特徴で、ファンの間では、「ハイコミツアー」が好きな人は多いはず。ただ、だいたいアルバムリリースにともなうツアーではなく、結構なコアファン向けのツアーであるために、ホール規模で行われることが多いため、各会場のチケット争奪戦が熾烈を極める。今回のツアーにおいても、あまりにもチケットが取れない問題がメンバーの耳にも届き、MCで「絶対にまた会いに行くから待っててと友達に伝えてね」と何度も発言していたほど。
話は逸れたが、そんな感じでどんな楽曲がくるのかわからない面白さ・ドキドキ感、期待値があるのが、通称「ハイコミツアー」。そこに選抜された楽曲たちが、メンバーの手でどうステージに反映されていったのかも触れていきたい。

何よりも、GLAY、3ヶ月/32本に及ぶロングツアー、お疲れ様でした。そして、やっぱり昨日のライブが、一番良かった。それは、最前だからではなく、最新だから。11月からのアリーナツアーも、期待して待っています。


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