草の根に佇んだ名もない花たちが力強さになる、本当に。

THINK ABOUT MY DAUGHTER

時は2017年の夏。この楽曲に私は何度救われただろうか。
2001年にリリースされた時は、どちらかといえば、歌われる立場に近い方にいたが、時が経ち、歌う側の気持ちに共感する立場になった時に、この楽曲が作り出す世界観への圧倒的な共感性と緻密さを知った。この世界観を、当事者でないTAKUROが生み出したことは、リリースから20年以上経った今でも解けぬ謎の一つ。

2017年夏になぜ救われたかといえば、この楽曲の世界観が本当であったことを身を以って感じたことはもちろんであるが、なかなか泣き止まない赤子の存在に、打つ手がなくなり、心が無の状態であった時、まずは自分の心をなんとかしようとすがる想いで再生してみたところ、それまで何をしても泣き止まなかった赤子がスッと泣き止んだ。目から鱗とはこのことよ。
いつぞや、反町隆史氏の「POISON」で泣き止むなんていう噂が広まったしたが、我が子は、生後数ヶ月でまだ首も座っていない状態で、この楽曲の魅力に気付いたのだろうか。無意識のうちに、自分が歌われている立場にいることを悟ったのだろうか。そんなことを考えてしまうくらい、スッと泣き止んだし、それは1回だけ奇跡的に起きたことではなく、8割くらいの打率だった。

ライブではTERUとHISASHIが向き合った状態からスタートするこの楽曲は、めちゃくちゃレアというわけでもないが、そこまで頻繁に演奏される楽曲ではないから、ライブで聴けた時はゴキゲンだ。ポップなメロディなのに、そこにちょっとした切なさを感じる、GLAYの真骨頂。ポップでメロディアスで、でもバラードではなく、心の隙間に吹く風に気づいて、その穴を塞いでくれるような存在。だから、感想のギターとベースが揃ってジャジャッジャジャッってやるところが好き。そして、この辺りで楽曲が走り気味になるところも好き。楽器隊が結構ここを弾く時に感情を込めているんだろうなと感じる弾き方がまた、涙腺を弱める。バンドサウンドに泣ける。

しかし、TAKUROがここまで的確に親の立場で歌詞がかけるという事実は、信じがたいほど、歌う側に共感できる「リアル」を描いている。でも、自分が当事者でなければ、ここまで実感は正直得られなかった。だからこそ、リアリティがリアルでない状態で描けるなんて、やっぱりTAKUROは人生を何周かした後なんだろうなという結論に至る。それ以外に納得した答えはないと思っている。

楽曲についてあまり多く語るよりも、↑この映像を見てほしい。

#GLAY #THINKABOUTMYDAUGHTER #なぜここまでリアルに描けるのか #TAKUROは人生何回目かという議論

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