通勤note#14 相補性


"会話のキャッチボール"という言葉がある。最近思うことだが、これは言い得て妙だなと思う。キャッチボールというものは
i) 相手に向き合い、グラブを用意して(相手の言葉を受け止める準備をした上で)
ii) 相手が受け取れる速さ・高さのボールを投げる(相手に投げる言葉を選別して適切に発する)
必要があり、出来なければ成立すらしない。
何を今さら、と思うがこれを実践できていない人があまりに多い。もちろん自分などは"コミュニケーション能力"の低い人間なので自戒を込めた話である。世の中はおよそ全ての物事で"相手"というものがいる。自分本位では、つまり相手の準備ができていない所にボールを投げ込んで「捕れよ!」と主張しても、相手はそれを受け取ってくれない。


上述ではコミュニケーションのキャッチボールについて話したが、もう一歩引いて最近考えるのは、一方向のみの"期待エネルギー"の行き来では成り立たない事象がたくさんあるということだ(←もうちょい良い言い方が思い浮かばなかった)。
よく議論を生む"お客様は神様か?"論とか(生産者vs消費者)、Twitterでよく見る"歳食ってるから偉いのか?"論とか(若者vs老人)、所謂二項対立的な物言いにもこれが当て嵌るんだろう(夫婦とか奢り論争等の男女関係論は疲れるので省く)。どちらかの"過剰期待"が立場の違いを生み、双方を(それも主に勝手に期待された方を)疲弊させる。
僕に身近なもので言えば"上司と部下の要求水準の違い"も上記のような構図が当て嵌る物事の一つと言える。上司は部下に期待し、部下は上司に期待する。お互いにいがみ合い嫌い合い、文句を言い合う。


そもそも上司と部下でどっちが提案をしていくべきかとか、そういう類の(他方への要求水準に関する)論は結論、「まあお互いに」となって終わるのだから議論そのものが無意味とも言えるし、その過程を繰り返して「お互いに」の再確認をしていくことが大事とも言える。
たぶん、"情報の非対称性"という言葉が、①~③で述べたことをざっくり理解するのに良いのだ、というのが現在の仮説だ。そもそも情報の非対称性は解決できないものとして見た方が良くて、必ず存在する非対称性を如何に乗り越えるか・或いは最小化するか?というのがポイントである。人間関係においてはベタなのだが、「腹を割って話し合う」ということになるんだと思う。

④結
たぶん、お互いの、お互いに対する要求水準というものは絶対に一致しない、ということを理解することがまず大事なのだと思う。これが限りなく一致したのが(例えば上司と部下の関係なら)最強のコンビとか呼ばれるものであって、一般には部下が上司に相当忖度するとか、上司が根気強くかつ適切に部下をコントロールするとかいう程度のものがせいぜいであろう。
ということで今日も上司に忖度しながら適度に進言し時に反発し、相互理解を進め、仕事をしていきたいと思う。と同時に、こういう結論で良いのか?結局は安っぽい話で終わっているのではないか?と思わされ、なんだかスッキリしないまま月曜日の朝に出社している。

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