通勤note#10 成功体験への記憶

キュウです!

今日はいつも思っていながら言語化できなかったことを文字にしてみようと思う。相変わらず短文だしそもそも下手なのでその点はお許し願いたい。

①起
成功、という言葉がある。ネットで簡単に検索してみると「物事を目的どおりに成し遂げること。」「物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声を得ること。」とある(goo国語辞書より)。言葉通りだが、何かを成し遂げたり、成し遂げた結果手に入るものを指すようだ。日々生活していて成功するためには何が必要なのか、という記事や本を目にすることは枚挙に遑がない。こうした記事等が空虚な内容ではいけないので、大抵実例が出てくることになる。それを真似すれば "成功に近づく" という訳だ。成功するなんて実に簡単だ……本当なのだろうか?

②承
いつも思うことなのだが成功した原因というのは「結果論」である。原因があるから結果がある、というのはただ人間がそう思いたいものであって、希望的観測というやつなのだ。努力を死ぬほどしたが全然成功しなかったり、その結果打ちひしがれて人生に大きなマイナスを受ける人はたくさん見受けられる。自身の受験での成功と友人の失敗から友情が崩壊した体験、学習塾でアルバイトしていた時の経験、勉強が苦手で仕方ない人達(九九ができない)に高卒認定を取らせるボランティアをしていた記憶からも、そう言える。失敗した人に「あなたが成功しなかったのはあなたが努力をしなかったからだ」と言い放つことはできるか?僕にはできない。決してその人が可哀想とかではなく、それが100%正しいと思わないからだ。「あなたが成功しなかったのは才能が無かったからだ」と言う方がよっぽど正しい指摘であることが多いような気がする。

③転
思うに成功者は自分がたまたま成功した事実を自身の努力と結びつけすぎであるように思う(こんなこと成功者の多くは認めないだろうが)。「あなたが今ここにいるのは "あなた自身が" 或いは "あなた自身の頑張りが" 良かったからだ」と言われるのは心地が良いし、「あなたが今ここにいるのは "運が" 良かったからだ」と言われるのは何となく釈然としない。そんなものである。要は人間は(当たり前だが)自分自身を肯定したい生き物なのである。たまたま良いポジションにいたから他の人を押し退けてここまで来れた、とは思いたくないわけだ。これは極論だが、上記の思い込み(記憶のすり替え・思考の高尚化)は成功者が失敗者を「キモい」「ダサい」「負け組」と思う自分を認めたくないだけなのではないかとすら思う。

④結
世の中弱肉強食、資本主義、生き馬の目を抜く世界であるので成功者の意見が「正」とされる。それは別に良い。しかし弱者がそんなあやふやな成功体験談を聞いて自分自身(の努力や選択や、ひいては価値観)を否定してしまうようなことを見ているのが本当に世知辛いと思うことがある。だから何だよ、で、結論は?という成功者のツッコミが聞こえてきそうだが、しょうもない話で恐縮ながら、そういう考え方を知るだけでも成功者以外の(つまり、大多数の人の)気が楽になるのではないかと思う次第だ。成功者が声を大にして(自分を肯定したいばかりに)ああだこうだと言うのは仕方がないが、別に他の論が存在しても良いのではないか?とふと考えることがある。

⑤結の結
最後に上に述べた努力と成功の関係性に関する僕が思う最高の名言を紹介して終わりたいと思う。

至高のボクシング漫画 はじめの一歩 の41巻(だっけな)の鷹村の初の世界タイトルマッチ前の鴨川会長の一言である。誰かの名言を真似たのか作者が思うところを鴨川会長に言わせたのかは分からないが、本当にその通りだと思わされる一面だ。この言葉を信じてこれからも努力したいし、努力が報われないからと言って打ちのめされて立ち直れないようなことがないようにしたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?