通勤note#11 自責

キュウです!
新年最初の通勤noteです。今年もゆるゆる、よろしくお願いします。

①起
何でも他人のせいにする人がいる。これを"他責"と呼ぼう。他人のせいにするな、という言葉が小学校や中学校ではちょくちょく飛び交っていたような気もするが、大人になるにつれてそうした指導や文句は聞かなくなってきたように思う。まあ実際、歳をとるにつれ直接的な他責の弁はあまり聞かなくなる。一方、それらしい言葉で塗り固めて事実上は責任逃れをしているような弁を発見することは増えたような気がしている。客観的な原因(らしきもの)を述べることにより自分の言動には責任は無かったと間接的に言うような話はよくある。

②承
"日本では過剰な自己責任論があってそれが個人を潰している"という論も、(最近は僕がそうした話を避けているからなのか分からないがよく見ることは減ったものの、)まあよく風説に立つような話だと思う。個人として責任感が強い人は、まあこうした"一般論"の通り過剰な"自責"を辞めるべきだとは思う。
但し実際の社会では他責が蔓延しているような気がするのだ。オマエノセイダ!という表現そのものは聞かないが、重要な場面で他人のせいにして逃げたりする上司が実際、身の回りにいる。そんな上司は部下からの信頼も得られない、と本等でもよく言われているにも関わらずこうした態度を取ってしまうようだ。

③転
思うに個人の中の原因が2つある(面倒なので社会的な分析はしない)。
1つにはそうした態度を取って自分が表層を取り繕っている/責任放棄して逃げていることがバレてないと思っているのだと思う。これは個人的な考えだが人間的に浅い人は他人への興味が薄く、そのため分析も甘い。要は他人を(事実上)ナメているので自分の"高尚さ"が保たれていると信じきっているのだ。或いは自分の"高尚さ"を信じたいがために他人からの視点を考えていることに蓋をしている、とも言えるかもしれない。
2つ目は単に、心が弱いのだ。何かが起きた原因として自身のミスを認めるのはけっこう辛いものだからだ。一流企業の記者会見ですらそうした場面が見られることもあるらしい。
これらの変化球として合コンで3,000円を請求されて怒り出す女子の心境にも一部共通するものがあると思う。奢ってくれなくて悪いのは男で、それだけの負担を出そうと思わせなかった自分達への分析は無いはずだ。これは男が大学生や社会人になって初期に経験する困惑でもある(当然、男には男の責任があるし、これはジェンダー論の話でもないことは付け加えておく)。

④結
さて、年が明け2019年になって、僕は新年の目標をブログに書いた。今年は一言で言うと「責任を取(れ)る男になる」を目標に据えた。今のところ仕事でもプライベートでも、他人に迷惑かけまくり・ケツ拭いてもらいまくりの状態だ(もちろん、それぐらい好きにやらせてもらって感謝はしている)。今年は表層を取り繕う人間・心が弱くて逃げる人間から脱して、人として二段階ぐらいは成長したいところである。よってこの心持ちを新年第一号のnoteとする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?