見出し画像

「見えればいい」⇒「快適に見たい」

若い頃はメガネをよく紛失した。その都度、妻からメガネ代をもらった。どこで失くしたのと聞かれる。それが分かっていれば紛失とは言わない。空のメガネケースが5個、10個と増えた。

馴染みの店でお酒を飲み、気分よくタクシーで帰る。運転手さんに「真っ直ぐに行って」を連発。「行きどまりです。前は海です」と言われ引き返したこともある。紛失の原因は泥酔かな。

近視と乱視のためメガネをかける。眼科医は「病気ではありませんから」という。飛蚊症のときもそうだった。メガネにすぐ頼るのは頂けないが、レーザー近視手術を受けるほどでもない。

「父と母の昔話」(文春文庫)を読んだ。日本エッセイスト・クラブ編/96年版ベスト・エッセイ集。「眼科医という仕事」(坪田一男、東京医科歯科大学教授・眼科学)「本」12月号。

「今までの眼科医療は『見えればいい』というレベルだったが、これからは『快適に見たい』ということも重要な時代になってきた」。将来はメガネが無くなってしまいそうな話である。

27年前に書いたこのエッセイ。さて、現在の眼科医療はいかに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?