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数寄屋橋での街頭演説30年以上続ける

東京での第一歩は大塚仲町だった。山手線大塚駅に到着後、住み込みで働く新聞販売店へ電話。「車ですぐ迎えに行きます」というのでひと安心。ほどなくして30代の男性が自転車できた。

この人は毎年東大を受けていた。店長夫婦と4月から小1になる長男が1階で、2階の二段ベッドに専業1人、浪人2人、大学生1人、休学中1人。先輩の中に入り新しい生活が始まった。

日経205部、スポーツ紙、業界紙含めて計250部を配達した。お客様には大日本愛国党の赤尾敏総裁がいた。集金に行くと自ら出てきて新聞代を払ってくれた。街頭演説のときとまるで別人。

喫茶店で赤尾さんをよく見かけた。いつも取り巻きと一緒だった。赤尾さんと言えば東京・数寄屋橋での街頭演説が有名だ。30年以上も続けていたという。91歳で亡くなって33年が過ぎた。

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