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敬語の時点で振り落とされる

敬語の勉強をした。いつかはしなくてはいけないと、ずっと思っていた。

数年前に知人に頼まれて電話対応のボランティアをしたことがある。
電話がかかってきませんように、といつも祈っていた。
適切な答え方が分からなかったからだ。

マニュアルはあったが、全ての会話がマニュアル通りにいくなんてありえない。予定外の会話になったら、自分がふだん使っている言葉を、敬語に変換しなくてはならない。機転をきかせなくてはならない。私にはそれができなかった。
後になってボランティアを引き受けたことを後悔した。

今回敬語の本を読んで、ビジネス敬語はやはり苦手だなと思った。
どうしても、自分と比べて言葉ばかりが立派な気がするのだ。

敬語をきちんと使えることは社会人の常識だ。不適切な敬語や過剰敬語は、内心冷ややかな目で見られることになる。この人間は教養がないという印象を与える。

その通りだが、息苦しい。

だが社会人を振り落とす様々なシステム(文化)によって、社会は秩序を保っているのだろう。

私の息苦しさは努力不足の現れで幼稚に過ぎない。こんな感想は一刻も早く捨ててしまい、適応するための経験をするべきなのだ。
たとえどれだけ恐ろしくても。


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