ラジオ#2「マルチ・ポテンシャライト」

こんにちは!わああ、noteを書いているのが久しぶりの感覚で、文章に想いを乗せることに新鮮さを感じ直している、いまです!

この記事は、先日わたしがパートナーとともに始めたラジオ、その名も・・・ちょっと口にするのが憚られるのですが・・・「ゴキブリーズラジオ」で取り扱う内容を、記事としてまとめてみたものです。

「ゴキブリーズラジオ」とは?

大学卒業後、鎌倉の古民家シェアハウスに移り住んだわたしたちは、そこでいきいきと暮らし、また人間よりはるか昔からちゃっかり図太く生き残っている住人、ゴキブリたちに翻弄される。しかし、次第にそんな彼ら彼女らのように、みんなから嫌われたってさ、そんなことおかまいなしで、ただ図太く自分らしく生きていたいじゃないという憧れのまなざしすら抱くようになっていたーーー。そこで気づけばゴキブリーズと命名していたわれわれの活動の軌跡として始めたラジオであり、とにかく力をあわせて自分たちをありのままに表現する中で、ともに表現しあうことによるパートナーシップの探求も試みている

第1回はこちら。

なぜ、ラジオを文章に?

ふたつあります。まずは、第2回目の収録で、わたしがテーマについて話す内容がパートナーに理解してもらえずに、ラジオが一向に進行しない(T-T)事件が勃発したため、理解してもらいやすくするためにあらかじめ文章でもまとめておきたいと思ったことと、もうひとつは、わたし自身がいま、それぞれの「表現手段」の可能性について探求しているため、ラジオと文章を掛け合わせた表現の可能性について確かめたいと思ったからです。

『マルチ・ポテンシャライト』を読んだきっかけ

それではさっそく、本について触れていきます!

まずはこの本を読むに至った経緯、読む前のわたしの状態について。わたしには、これまでほとんどの時期で陥っていた行動パターンがあります。それは、「常にさまざまなことに興味が沸き、最初はワクワクしてそれぞれに注力しようとするけど、うまくエネルギーと時間を分配することができず、消耗して、結果すべてがどうでもよくなってしまう」ということ。せっかくやりたいことがたくさんあるのに、ひとつを満足に終えることすら難しく、最終的に、「なにかやりきれなかった感」が残る。そんな自分に対して「もったいないな」とずっと思っていたし、どうしたら自分の良さーー中でも好奇心が、もっと活かされるだろう?といつも考えていました。そんな現在の自分が見つけた、多くの人生の師との出会いを予感して胸高鳴るような本。それが『マルチ・ポテンシャライト』だったのです。

学び:”どんな”マルチでありたいのか?「多様性」の意味の広がり

実際に読んでみて、この本は人々の中にある「マルチ」や「多様性を求める」部分がどこにあるのかをより鋭い角度から観察することに大いに役立つ資料なのではないかと思いました。言い換えると、「マルチ・ポテンシャライト」と呼ばれるような限られた人に寄り添うものではなく、「あなたのマルチポテンシャライトな部分はどこですか?」というように、人類全体に向けて呼びかけられているように聞こえたのです。今日あらゆる場面で用いられる「多様性」という言葉で思考停止せずに、「人生を通して、どんな『多様性』を大切にしたいのか?」という、ひとつ深化した視点で探求の歩を進められるようになるフレームワークが、この本からわたしが受け取ったひとつの大きな価値でした。

資料:「マルチ」の求め方パターンと個人的解釈

この本では、マルチ・ポテンシャライトにおすすめのキャリアの歩み方として、以下の3つが紹介されています。

「グループハグ・アプローチ」
:あるひとつの多面的な仕事につき、いくつもの分野を行き来する。(1つの職場で多数の役割)さまざまな能力を求められる仕事が好きで、「お金のためにしていること=自分の活動」にしたい人に向いている。
「スラッシュ・アプローチ」
:パートタイムの仕事を精力的に掛け持ちする。ポートフォリオ・キャリアとも呼ばれる。融通が利き、退屈とはおさらば。何に関してもフルタイムでやると考えると息が詰まる人、興味関心を1企業のために提供するのには興味ない人向け。
「アインシュタイン・アプローチ」
:安定した(生活を支える)ほどよい仕事を持ちながら、情熱を注げる取り組みを他に持つこと。もうけにくい分野を気軽に追求したい人向け。(アインシュタインは特許庁のゆるい仕事を持っていたから発明に取り組めた)

最初は、それぞれの生き方に、「ふむふむ。これもいいな。」と思っていただけだったのですが、ここから理解を自分なりにかみ砕いてみると、以下の設問と選択肢が浮かび上がってきました。

・【いま・ここ】で、目の前に広がる仕事は(1つだけ / 複数)
・【長期的な時間軸】における仕事の幅は(1つだけ / 複数)
・【所属している場所】は(1つだけ / 複数)

内省:自分はどんな「マルチ」を求めているのか?

となると、自分はどんなタイプになるんだろう?と、自分で作った設問を自分に投げてみます。

・【いま・ここ】で、目の前に広がる仕事は(1つだけ)
・【長期的な時間軸】における仕事の幅は(複数)
・【所属している場所】は(複数)

具体的にはどういうことかというと、ーー「いま・ここ」では目の前の1点に超集中、没頭している状態が理想的だけど、変わりゆく対象やその過程もすべて楽しみたい。そして、関わる人や、異なる思考文化を持つコミュニティには常に複数触れ合っていることで、自己の学びが促進されるとともに、生きる上での安心が担保されると思っているーー。

わたしがえらくコーフンするのは、1つのことに没頭して、全身余すことなく使い切ったエネルギーの結晶ともいえる何らかの作品を通して、最後にたくさんの人とつながっていた、そう思えるのが至福の瞬間なんだと思います。(3種類のアプローチでいうと、グループハグ・アプローチ以外の2つになりそう。)

そこで、さらに自分のタイプの輪郭をくっきりさせるために、この価値観を形成した自身の体験をつらつらと紐解いてみたいと思います。それは最初の方に書いた、「さまざまなものごとへの好奇心から始まるのに、やりきれなかった感に終わる感覚」が、いつどんなふうに形成されたのか、を紐解いていくことでもあるかもしれません。

超没頭型でマイペースだった

小学生の頃の自分は、1つのものごとに対する超没頭型だった、と記憶しています。日々・目の前の「やりたいこと」に迷った記憶はなく、ある時期は友達と小説を書いて回すことに没頭し、またある時期は家の近くの広い公園でやるオリジナルのゲームを開発してみんなで遊ぶことに没頭していたり、授業もそうだけど、とにかく何をするにしても、まわりが見えなくなるほど没頭していました。

一方で、その頃のわたしが口にしていた「夢」は不定期に変わり、そのたび堂々と公言していたことも思い出します。末っ子の愛をいっぱいに注がれて気分が良くなった幼稚園の頃のわたしは「スーパーモデル」、小学校に入り、お姉ちゃんが漫画家になりたいというと真似してわたしも「漫画家」。絵ではお姉ちゃんに叶わないと思うと原作を提供する「小説家」になりたいなどと言っていました。つまりその頃のわたしは、「目下1つのことに超集中型である一方で、時期によってやりたいことが変わる」タイプでした。

マルチタスクへの苦手を克服することに必死になった

そんな自分に新しい風を吹かせたのが、大学生のときに始めた飲食店のアルバイト。慌ただしく動く人の中で、その瞬間にもっとも適切な一手を取ることが求められる場においては、「常に周りを観察し、周りの動きに対して反応し続ける」という、わたしにとってまったく新しい思考・行動スタイルが「美」として信じられているように感じました。そんな中真っ先にぶち当たったのが、「優先順位をつけること」の難しさ。いま考えると、これまでぶち当たらなかったのは、自分が打ち込みたいことにだけ集中(内的世界からの呼応すればよくて、優先順位をつけることすら必要なかったからかもしれないですね。

「好きなときに好きなことばかり好きなようにやってきた甘えんぼ末っ子魂は、社会では通用しないんだよ!」ーーそう、「社会」という大きすぎて実態の不明瞭な物体から言われている気がしてーー当時は、もっと何となく、「これからする仕事は、きっとこの飲食店で必須の『場つまり外的環境)をみて瞬時に優先順位をつけること』ができないとできない仕事ばかりに違いない。このままのわたしを受け入れてお金をくれる場所なんて、日本にないんじゃないか!」とすら思い(実際に海外で働く場所を探しに世界一周もしてみたりし)ました。

また、大学に入ってから、よさこい、映像制作、旅、教育など、たくさんのやってみたいことに出会う一方で、そのたびに「好奇心のまま無計画に飛び込むなんて、いつまでもやっていいことじゃない。そろそろひとつのことに絞らないと」と、漠然とうしろめたさを感じていました。本来自分に備わっていた性質(すなわち上に書いた3つの設問のわたしの答え)は、そのとき自分が置かれた環境に準拠した「落ち着きがない」「視野が狭い」「段取りが立てられない」などの評価を素直に真に受けて、その形を変えようとしていたんですねえ。(一方、いまのわたしはあらためて、「無知の知」ならぬ、「無知の力」、これを提唱していきたい。この話はまたどこかで…)

「中途半端」への恐怖

それから、ほとんどマルチタスクへの苦手を克服するために、飲食店に靴屋さんなどさまざまな接客業に挑戦し、少しずつ慣れる中で、「常に全体を把握し、いろんなことをバランス良く進める」こともできるようになってきたように思います。でも、何かを学ぶことは、必ずしもいいことばかりではありません。そこから何かを熱中してやりたいと思っても、「まずは全体を把握してからやらないと」という力が働くようになったとも言えます

タスクの概観を把握している間に、流れていたエネルギーが止まって、再現できなくなってしまう。またエネルギーを放出できるようになるまでに多くの時間を必要とすることになるのですーーというのは、今度はまた自分が、没頭型の活動を展開していきたいからなのでしょう。読書や執筆、映像制作などの特に一点集中が大切な活動と、全体に注意を分散させる必要のある活動が並行しているいま、そのスイッチの使い分けに余計にエネルギーが割かれてしまっているのかもしれません。

マイペースでやりたいことをやる力。全体を見ながら一度にいろんなことをする力。どちらが悪い、克服すべきだとかはきっとなく、とにかく自分に巡るエネルギーをいかにたくさん活用できるように工夫するか。そして、スイッチ使い分けのときのエネルギーを節約するためにどうするか。スイッチを使い分ける必要をなくすーーなんて発想はとてもワクワクする!など、もっと探求していきたいところですね。

さいごに。ラジオに向けて

自分の中の多様性を受け入れられたこと、そして同じようなモヤモヤを抱えて生きる多くの人の存在を感じ、彼らの生き方を知れたことは、わたしにとって小さなライフハックでした。そして人は日々変化する生き物であり、自分のタイプを認知しても、また変化していくのであるーーすなわち「諸行無常」の理解と受容に向けても、少し背中を押してもらえた気がしました。

表現したいことはだいたい文章でまとまったし、同じテーマでラジオしなくてもいいんじゃない、と思う気持ちも出てきそうな一方で、前提条件の中あらためて話せることを、パートナーとのインプロを、楽しんでみたいなと思っているので、またラジオも楽しみにしていただけたら嬉しいです!このページにも後から載せようと思います。

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