受験期の脳内

長文で駄文。何の脈絡もない話題をつらつらと書いているだけです。私がこの頃の気持ちを思い出すために残します。

天才は99%の努力と1%の才能ってやつ、99とまでは行かないけどある程度は確かに努力なのかもと思った。今まではいやもっと才能の割合高いでしょって思ってた。勉強ができる人とできない人で世界を二分したら、私はおそらくできる方に入ると思うけど、その同じようなレベルの人の中で、大成するのはどう考えても努力ができる人。同じ土俵に立っているならそういうもんかもと思う。その土俵に立てるかどうかが才能なのかもしれんが。でもこれは才能っていうか性質?っていうほうがしっくり来る。私が今まであった人でもどう考えても真面目に時間かけてやってるのにやってない私のほうがよくできるってことあった。単純に勉強に向いてる向いてないっていう性質の差はあると思う。そのうえで、そのラインを超えた上ではじつは才能っていってももとから持ってるものにはそんなに差がないんじゃないかとおもったり。でも努力できるは十分才能に入るような気もするけど。ちょっとよくわかんない。思ってたより努力って重要だなと思ったってこと。

後期は受けるな。これ今月中に私が死んだら遺言にしてください。
前期の結果が気になって仕方ないし怖い。受かってる受かってるって自分に言い聞かせてみるけどそしたらもう後期の勉強は手に付かない。しかしそう思い込まないとやってられないほど不安だし、そうやって自分を安心させることと、どうでもいい楽しいことを考えていないと本当にあやばい泣きそうっていうときが頻繁に来る。どうしよう無理だったかもで思考が埋め尽くされていく。人生が一本道を進んでいくように流れているとしたら、人生の調子がいいときは、ハムスターの走るやつみたいな丸いなにかの中に入って、くるくる転がっていくような感じ。この線超えたら明日みたいな区切りに見向きもせずに転がっていくイメージ。今は私が入ってるそのなにかがカクカクで、力いっぱい押してようやくゴロンって回る感じ。そうしてぎり明日を迎えるって感じ。かなりきついこれ。

試験後から合格発表までの気持ち


わからないものを見るとなんとなく安心する。(わからない”問題”はまた別)意味不明とまでは行かなくとも、ああわかる1割分かるような気がする8割全然わからん1割みたいな割合で構成されてる本とか動画とか音楽とか聴くとせかいひろーいって思えていい。東大とか京大とか、あとおとなになるとか(年齢的に)、もっともっと遠いと思ってたものが思ってたより近くにあって、気づいたら自分より大きい人全員が自分よりものを知ってる世界じゃなくなってて、なんか不安になる。世界を知り尽くすなんてそんなの無理だってもちろんわかってるし私は別に天才ではないのでできるとも思ってないんですけど、知らないわからないに触れるのが喜びになりつつある。理解出来なさそうな難しいことを楽しそうに話す大人をみると安心する。

受験生の何が辛いって、圧倒的に、怠惰な自分と向き合わなきゃいけないところ。周りの人が全員自分より努力してるように思えてくるし、やらなきゃやらなきゃを何度頭の中で唱えても、18年間の習慣で染み付いた怠惰はそう簡単には折れないよ。一番強い。自習室行ってもスマホ見てばっかだったり、家帰ったら何もできなかったり、かといって自習室にいる時間伸ばせるほどのやる気と根気もなかったり、、、そもそも朝からだらけ始めた日には自習室すら行けなかったり。早寝早起きが肝心なのに、急に夜中に3時間別に好きでもない人のyoutube見続けちゃったり。楽な方へどんどん引きづられていく自分をだめだと思いつつ変えられない。この気持ちがいちばんつらい。だから私は勉強してる他人を見ても落ち込むだけで全然モチベになったりしないし、偏差値30から逆転合格みたいな話には耳をふさぎたくなる。そして意地が悪いからその努力を疑いたくなってしまう。人間ってそんなに努力できるもんなの?って。サボってた日もよくあったって言ってよ!!!!って私の心が悲鳴をあげてしまう。努力という二文字の眩しさに一生目を背けて生きていくんだろうなと思います。

今の所、怒られることより褒められることのほうが圧倒的に多いし、選ばれないことより選ばれることのほうが、見捨てられるより期待されるほうが多い人生だから、周りに期待されてるって思いすぎてるんじゃないかとちょっと自分で思う。そうやって形成されてきた私だから、私が私に期待しすぎている感じもする。うまくいってるときとかいきそうなときはそれが追い風になってすごくいい気分で頑張れるけど、不安なときとか一度悩み始めるとそれがどんどん重くなってくる。不安を複雑にして心からはなれなくしちゃう。これが。あの人を残念な気持ちにさせたくない、私の行いで嬉しいって思ってほしいって思う。がっかりさせたくないがいつもあるような気がする。定期テストもいい点取りたい気持ちより、いい点取れる私のままでいたい、そういう私と思われていたいっていう気持ちのほうが大きかったような気もしてくる。気にし過ぎなんでしょうねいろいろと。全く期待されてなかったらうおーやったるぞー!!!ってなるのかって言ったらそれも違う気がする。めんどくさいわたし。

弱い人の強いとこより強い人の弱いとこに惹かれる。射的を命中させるのび太くんより、大喜利できない出来杉君のほうが好き。
でも大喜利得意な人大好き。

受験を終えて偉そうにアドバイスする奴らの話は聞くな。受験生の勉強法にも過ごし方にも志望校の決め方にも正解なんてない。キリ概のテストと同じくらいない。彼らにとってそれが正解だっただけで、(もしかしたら他の方法を選んでたらそれが”もっと正解”だった可能性もある。)その人と自分は違う。あれをやれこれをやめろに惑わされすぎちゃうと良くない。そんなことで無駄に心をすり減らすのはガラスのハートの受験生にとって害でしかない。聞いてて、そんなのできないよそんな事言わないでよってなることは気にしない。できそうなやつと自分の今のやり方を肯定してくれるものだけ都合よく聞き入れたらいい。教科書を一字一句暗記するとか、何も書かずに数学をやるとかそんな方法で勉強しようとしてるなら見直す価値はありだけど(これも世界中探せばこのやり方がベストな人もいるかもしれん)大抵のやり方は間違ってるなんてこたあない。効率のいい勉強法とかくそくらえ!!これを私が効率良くしていくんだよ!!!のマインドが大事。
そしてこの話もまた、偉そうなアドバイスだから適当に聞き流されるべきもの。

学歴か恋人で世界中に自分を売るyoutuberにだけはなりたくない。
手に入れたいっぱいの幸せや功績を自慢したくなる気持ちは容易に想像できるけど、それをやってプラスに働くことがあるか???特に恋人を載せる人、カップルチャンネルとかやる人、幸せがどんどん逃げてるんじゃないのって思っちゃう。二人で閉じ込めておけばその幸せそうな表情の相手を見るのは自分だけだったのにそんな宝物を見せびらかして、その切り取った一瞬だけでしか得られない情報で下したジャッジを正しいと思い込む人たちにいいことも悪いことも好き勝手言われてあんたたちはほんとにそれでいいんか??ってなる。何が嬉しいの??って思う。
学歴もそれを使ってうまくエンタメに昇華させてる人たちは上手いなって思うし面白く見れるけど、ただ学歴だけを圧倒的な武器にしてみてよ私俺こんなに頭がいいのよって自慢しなくても、というかしないでいてくれたほうがあなたは魅力的だし美しいのにっておもう。魅力がさがるというか自信のなさと大きすぎる承認欲求が丸見えだけど恥ずかしくない?って思う。しかし私にもというか人間誰しも自分のすごいところを自慢したくなる気持ちはあるからこういう事にならないようにしようという自戒。
なにも全世界に向けて容易に個人が特定できるような形でする必要はない。Twitterで見る大きくない普通のアカウントのただの惚気はいいと思うし好き。そこの違いが私の中でまだ明確じゃない。

合格した!!!!!!!!!!嬉しすぎる!!!こんなに嬉しいことがこの世にあっていいの?っていうくらいに嬉しい。未だに受かってるのが信じられなくて何度も番号を確認しちゃう。ほんとに私でいいの?あの解答であってたの?ってすごい思っちゃうけど同時に嬉しすぎて爆発しそう。私って賢かったんだって思ってる。今だけは許せ私が天才。早慶落ちた時点でもう私はだめなんだ、賢いとかうぬぼれだったんだとおもって激落ち込みしてたけどギリうかったみたい。まじか。信じられないっていう気持ちが大きい。はやくママ帰ってきて〜抱きしめて〜っていう気持ち。私は独り言の大きいタイプではないけどさっきからしきりに嬉しい、まじか、ほんとに?を繰り返し言ってる。信じられないが大きすぎてなんもできん。怖くて見れなかった解答速報やっと見てきたけどそれでも私こんなこと書けてた?が多すぎる。ほぼ奇跡。後ろの人の書く勢いが強すぎて椅子ががたがた揺れるから、緊張して集中力が散漫になってる私にはそれがめっちゃきつくて英語の文章なんもはいってこねえなって試験時間中になったから、絶対落ちたと思ってた。天才なのか?私は。賢すぎるだろ。30人だぞ定員。倍率六倍だぞ?ほんとに受かったの?なにこれ嬉しすぎるおかしいおかしいこんなに嬉しかったらよくない。みんな今日元気で帰ってこれるかな。車に気をつけて。

受かってみてほんとに思う。話したい。受験期の体験。偉そうにアドバイスする奴らの気持ちもわかる。だってすごいもん。
でも、私はお手本みたいではないよな〜とも思う。サボったし、いっぱい寝てたし、楽しいものと好きなものをずっと手元においたままだったし。あと模試を受けたのが高3になってから、過去問を冬からやった、私立の赤本を試験一週間前に買った、予備校の先生が嫌い、予習復習が半端、質問が苦手、志望校を決めたのが遅い、などなど。受験生としては全く優等生じゃない。早いうちからコツコツ努力して、色んな人のアドバイスを聞いて毎日毎日頑張った人達に比べると自慢できるほどのものでもないような気もしちゃう。私みたいに外面いいだけで一人にされたらめちゃくちゃサボる人でもなんとかなるよっていうのだけは伝えたい。

予備校はほんとに迷うポイントだった。一年間行ってみた結果は力にはなったけどストレスにもなった。これに尽きる。なんで予備校講師は揃いも揃ってあんなに焦らせたいのでしょうか。不安を煽るような言い方は(「この時期ならこれはもう知ってないとやばい」「受かる人は全員これをやってる」とかそういうやつ)危機感のなさが勉強時間の少なさとか成績の伸びにくさに繋がってる人には効果的だろうけど、私はそれではないので普通に辛くて嫌な気持ちになるだけ。危機感はあるけど嫌なの、あるからこそ怖いなどうしよう大丈夫かなでいっぱいになってとにかくそれに関わるものから逃げたくなっちゃうの、っていう気持ちの人には怖いだけ。より嫌になるだけ。
予備校の講義は例えるならたわしで心をゴシゴシされてる感じ。2,3時間の講義を受けて、よくわかっていなかった部分がわかるようになるという意味で、きれいになってる感じはするんだけど、なんかずっと心が擦り切れていく感じがある。

でももちろん全員が全員そうだったわけでもない。もちろんね。予備校講師とひとくちにいうのはよくないよ私。土曜日の授業のおじちゃんは淡々と必要なことを話してくれて、ときどき全然関係ない雑談をしてくれたから好きだった。あの人には感謝してるし一回くらいはちゃんと話してみたいけど、他人に興味なさそうだったし(それが心地よくて好きだった)覚えられていないような気がする。水曜日のあの人も基本的には良かった、はず。後半は私がだいぶできるようになってきてわからないが減って苦じゃなくなったっていうのはあると思うけど。息子の話とか、ゲームの話、行きがけにみたドラマ撮影の話とかしてくれたのはかなり好きだった。そう思ったら、毎週受けてたのはこの二人の授業だけだし、それは良かったのかも。夏期講習とか冬期講習が良くなかった。あれがまさにためになったけどストレスにもなったものたち。もっと褒めてくれたらいいのに。あれが性に合ってたひともいるのかな〜。人間みんな褒めて伸びるタイプってわけでもないのかな。私はずっと褒められてたい。大海が存在してることは知ってる井の中の蛙でいたい。(ちょっと違うか。視野が狭くありたいわけじゃない)とにかく自分よりすごい人がいっぱいいるのは十分承知の上で狭いコミュニティの中での評価で満足していたい。〇〇に関しては私がいる場所では私が一番って私が思っていたい。そう思えるような言葉をずっとかけられていたい。なんてわがままな。
というかそもそもこっちがなにか返答をするわけでもない一方通行の講義でなにか褒めるほうが難しいのか、、、にしてももっと柔らかい言葉で話してほしかった。

あと面談があったのは予備校の良かったポイント(ストレスだったけど)。学校の面談はとにかくやってくるものじゃなくて相談したいならいつでもっていう感じのものだったから(少なくとも私にとっては)、選択を迫られる機会を強制的に生み出してくれたのはありがとう面談っていう感じ。志望校決められたのは面談あるからそれまでには何かしら考えておかなきゃって思ったからだったし。その点はあってよかった。

短所を利用せよ!!←これ言おうよ
質問が苦手。わからないものをめちゃくちゃ引きずった。最低でも一日、何なら今も解決してないことある。(それは全然良くない)数学の問題を解いて、わからなくて解説を読んで、それが意味不明だったとき、それを私はずーっと考えるの。基本的にはその場でわかるまで考えるし、そうこうしてたら2時間経ってたみたいなときは一回寝かせて別の日に考えたり、気分いい日にもっかい読んでみたりした。関連する範囲の教科書読んだり、ノート見返したり、過去に解いた気がするなっていう類似問題探したり。意外とちっちゃい勘違いとか見落としでわかってなかっただけだったってなるパターンが多かった。なんでそんんなに質問したくないのかは自分ではよくわかんない。プライドが高いのかも、教わるのって時々悔しい。自信がないのかも、実はこれってめちゃくちゃ初歩的な疑問かもしれないって思っちゃう。諦めが悪い。長所でもあるよね

家族ありがとう!友達ありがとう!先生ありがとう!って気持ち。私の心が純粋な感謝の気持ちだけでいっぱいになる瞬間が度々あることを伝えたい。お世話になったみんなに。一番はほんとに家族に感謝。この家で良かった〜って何度も思った。ママは生活のすべてを支えてくれて、私を勉強する赤ちゃんにしてくれたし、絶対落ちたって泣いてたときも(24時間テレビで絶対号泣するくらい涙もろいくせに)あんまり泣かないで根拠もないのに大丈夫大丈夫言ってくれたし。初恋の悪魔思い出すね。パパは休みの日はいつも塾まで車で送り迎えしてくれたし、私より受験に関する情報を調べてたし。でもいつも嬉しそうに迎えに来てたから二人で話す時間を作ってあげた私の優しさに感謝してよねって気持ちもある。むしろそっちのほうがある。あとお兄ちゃんの存在はかなりありがたかった。お兄ちゃんが受験のときのほうがパパもママもピリピリしてたし、あのときは浪人反対してたはずだし(確か)一度は乗り越えたっていう余裕を両親にもたらしてくれたことがめちゃくちゃありがたい。あと楽しそうに大学生活を送る人が近くにいることも良かった。弟はひたすら変わらずいてくれてありがとうって感じ。一緒にピアノの練習するのが楽しい。

ガーシーよりガーシーに投票した人のほうが嫌。

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