愛しかない獣、ノケモノ
お久しぶりです。kyuphyちゃん、生きてるよ。
バカほど辛い毎日ですが、人匙の幸福を求めて生きているので、道端に転がる石ころですら、美しく見えてしまうのです。この宇宙から見た人類が本当にちっぽけなことは、多くの人類に散々言われてきたことだけど、そのちっぽけさを意識して生きている人間なんてほんと一握りかもしれない。私はそんなちっぽけさを決して忘れたくはないのです。
冬になると思い出すのは、ガキのころ、石油ストーブに近づきすぎて服が溶けた朝のことです。焦げたプラスチックの嫌な匂いを今でもたまに思い出します。鮮明に思い出すのは、タバコの灰を服に落としてしまった時です。外は雪が降っています。それをただ眺めていた朝のことです。
名が知れた人ほど、その命が終わる時、多くの人の注目を得ます。今までなんとも思っていなかった人であっても、なぜかご冥福をお祈りしてしまうのです。人間が決して勝つことができないのは孤独です。誰も勝つことはできません。人間はいつも誰かと生活することしかできないのです。
きっと私は知らない誰かが死ぬ時、悲しむと思います。命の終わりというものは人間にとって抗えないエンディングだからです。大好きな漫画が最終回を迎えると心底悲しいように、知らない誰かが死んだら、きっと私は悲しいです。人間が大好きだからです。まして、自分の物語に影響を与えた人間であればあるほど、悲しみは増すものです。ありがとうございます、そして、お疲れ様でした、チバユウスケ。
多くの創作物において愛を知った怪物、優しさを知った獣キャラが存在するのは、怪物や獣という恐ろしい存在が愛や優しさを持っているというギャップが愛や優しさの欠如した人間に対するアンチテーゼになるからだと思います。人間という生物は下手に知性を得てしまったから、冷酷になるのだという考え方があります。だからこそ、頭脳キャラは冷酷だし、俺バカだからわかんねぇけどよぉキャラは人情があるんでしょうね。ヤンキーが優しさをチラ見せしたら、人気キャラになるのが、いい例です。
悲しいことに、社会の現実は、愛しかない獣は除け者です。優しさはつけこまれるだけの欠点にしかならないことの方が多いからです。だからこそ、TikTokやYouTubeで優しさを押し付けたような感動話が伸びるんです。普段、優しさのカケラもない理不尽な社会で生きているからです。全部がそうとは思いませんが、動物動画が伸びるのも似たような理由だと思います。
定期的に終末の予言をする人や、未来人や、パラレルワールドの住人や、その他もろもろの都市伝説が生まれるのは、現実に嫌気が差した意外に何があるのでしょうか。幽霊や霊障や、怪談話が人気コンテンツなのは、実際に体験したかどうかは置いておいて、非日常性に恋しているからじゃないでしょうか。オカルトの真偽は知りませんが、真であったとて、現実の幸せに直結しますかって問いに答えられる人間は多くないと思います。
エンドレスエイト然り、終わらないサマータイム、逆行する世界、いわばシュタインズゲートの選択を思い描くのも、似たような理由です。人間は人間を超越した存在、あるいは神に近い存在を考えざるを得ない生き物なのだと思います。だからこそ、自分にできないことを望む、ないものねだりな性格をしているんだと思います。超越した存在、環境そのものを認識できるかどうかはその人の問題ですが、、、
人間は自分の欲求のためなら犠牲を厭わない生き物です。顕著なのは俗に言う三大欲求ですが、マズローの5段階欲求は犠牲という言葉がとても似合います。誰かのために自分自身を犠牲にする精神の奥底に眠るものが自己実現欲求だとか、自己超越欲求だったとしても、私はそれでいいと思います。損するのは自己だけだからです。それが優しさだったりします。
誰かに認められたい人ほど、努力をします。今まで出会ってきた人たちがそうでした。だからこそ私はその努力を心から認めます。だって頑張ってるからです。最も残酷なのは、認められたくて努力したはずなのに、それが光に照らされていない人です。私はそれを探し出して見つけたいです。そして言いたいのです。「すごいね」って。
この気持ちは自己実現欲求なのでしょうか。それとも自己超越欲求なのでしょうか。自分を犠牲にしてでも、私はそんな人を探して見つけ出したいのです。ろくに努力もしていない、こんな私ですが、それは可能なのでしょうか。私は愛しかない獣なのでしょうか。
客観的に自分を見た時、醜悪な化け物にしか思えません。だからこそ私は、この理不尽さを超越してやりたいのです。運命論だとか、因果論だとか、決定論だとか、摂理だとか、予定論だとか、その全てを認めたくなくなるのです。
ドラマのワンシーンのような毎日を送れるなら、人間は幸せでしょう。だって主人公になれるからです。それが、良いことだろが、悪いことだろうが、関係ありません。人間として生きている都合上、変化のない毎日は退屈だからです。退屈からの脱却、それが私の救済です。そう考えれば、悪いことも受け入れられるからです。
もう、ゆるしてください。おやすみなさい。
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