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夏がやってくる

昨日の昼にツィートしたが、夏の訪れはうれしさとさみしさを同時に与えてくれる。

昨日も今日も、あたりまえのように入道雲が湧いている。それを見ると、ほんの少しさみしい気持ちにもなる。もう、夏を迎えてしまったのだな。そう認めざるを得ないから。
季節の巡りはいつもうれしいけれど、夏はほかの季節より、迎えたときのうれしさとさみしさが、どちらもわずかに多い。空を突き抜ける入道雲は、いましか見られないんだぞ。
だから、夏は「夏だぞ!」と思って駆け抜けようと決めている。

仁科勝介「神田の写真。」より一部引用


私の仕事上の話であるが、コロナ前は、7月の下旬になると10日間ほどに亘ってイベントが行われていた。

熱く参加している者全員が一体となる、夏のイベントである。

一日中、そのイベントに関わる。
へこたれる者も続出する。
叱咤激励が飛び交う。
苦しい時こそ声を出す。
何度も何度も繰り返す。
最大のコツは「できるまでやる。」である。
一喜一憂し、涙を流す。
夕方の風を肌で感じるまで毎日行われる。
同じ姿勢で同じ目線で全員が一人を見守る。
声援を送る。
歓声が上がる。
手を取り合って喜ぶ。

コロナ禍で、この数年間イベントが中止されていたことと、働き方改革の波が組み合わさったことで、何十年と続いてきた本イベントの歴史に幕を閉じることになった。

イベントがなくなって、初めての夏を迎えようとしている。

夏の訪れを未だ感じることができない。
節目であるはずなのに、心の底から感じることができない理由はこれなんだろう。

それでも夏はやってくる。
何もない夏が。

せめて、学生時代以来、十分味わってこなかったプライベートの夏を満喫して「夏の訪れ」を感じようと思う。

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