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緊急事態宣言前の野晒しの文章

4/7に書いていた文章、緊急事態宣言はまだ。
劇団た組のインターネット公演もまだ。
パルコ・プロデュース『裏切りの街』もまだ上演予定だったとき。



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この不透明で未曾有の状況、何を信じたらいいのか、どう生きるべきなのか、改めて突き付けられている中で、急に周りが"この危機を逆手に何を打ち出そうか競争あるいはキャンペーン"のように見えてきて怖い。
こんなことが起きる前からぐるぐる回っている僕の頭はとてもじゃないけどついていけない。
毎日、情報が入れ替わり立ち替わり、ひどいニュースばかり届く。
ああ、とっくにこの国、終わってませんか。
それでも一人一人の命と尊厳が、どうか守られますように。
引き続き、選挙に行こう。


結果、僕は家で映画を観ている。
本を読んでいる。
すゑひろがりずさんのどうぶつの森・バイオハザードの狂言風ゲーム実況を観ている。
僕は、どちらのゲームも持っていない。
でも滅茶苦茶面白かった。


しかもこの動画は、以前『お嬢ちゃん』という映画で共演したカナメさんという人が自ら制作会社を立ち上げたチームで作っているものだ。
コメント欄に、「自死を思う日もあったけど、はしゃいでいる二人を観て救われた」と書いてあった。誰かが今日も誰かに救われている。救っている。


初めてやったオンライン飲み会というのは想像より楽しくなかった。
空間が別だから。間も恐い。我が儘。


今、家の中では尾崎豊の『NOTES』という本を手の届く所に置いて、すぐに開けるようにしている。
すでに傷付き尽くしている人の言葉を読むと心のざわつきを少しは軽減できる。
「少なくともみんな幸せになることを捜しているんだ」うん。そうだ。
同じく尾崎豊の『普通の愛』の後書きには、こうあった。
「新しいものが流行り、また同じような犠牲者が生み出される。社会はその戦いだ。そして勝利か敗北かのどちらかしかない。だから今こうして誓って言うのだが、同じように奪うような者にはなりたくはないと願っていた。」
尾崎豊は死んでしまった。


SNSの言語は、どんなに練られて書かれたものでも、中庸じゃないし、ニュアンスが一切感じられないから、滅入ってしまう。
当たり前だけど、自分で選んだタイムラインは世界の全てではない。


アルパチーノが二人芝居をやっていたというので、その戯曲を取り寄せて読んでみた。読んでる分には面白くない。自分がやるには年齢が足りないのと、難し過ぎるこれ。人間の経験値が足りない。
これは、将来にとっておこうと思う。
ただ声で読んでみるだけでも良いかもね。
亡くなった人の弔い方についての戯曲だった。


休みながら色んなものを観ている。
ジャニーズさんのYouTube。
途中、40万人がリアルタイムで観ていた。
凄いわ。髙木雄也くんと共演が決まっているのもあって興味が芽生えて、初めてHey!Say!JUMPさんのライブというものを観た。
大正義だなあと思えて、華やかで、手放しですげえなあと思った。
高木くんは、演出家の三浦大輔さんの計らいで、顔合わせ前にお会いする機会があった。とても豪快で、人を巻き込んで、自由にさせてくれる方だなあと思った。気の良い、素敵な人だと思った。共演が楽しみ。だけどどうなるか分からない。稽古日程は改めて白紙になっている。

ジャニーズさんのライブを観て、自分のやっていることは何てちっぽけなんだろう、と思ってしまった。


いや、アイドルの皆さんがやっていることは僕には出来ないけれど、僕にしか出来ないことも、きっとある筈だ。


坂本龍一さんのライブも観た。僕は、心臓が弱いので、激しいものを観れない。
心を安らかにしてくれて切迫感を生まないライブ配信は坂本龍一さんのライブぐらいだった。


映画も観た。
アルノー・デプレシャンの『キングス&クイーン』が特に素晴らしかった。
ヒロインの女優さん(エマニュエル・デヴォス)が、劇団た組の好演が記憶に新しい村川絵梨さんに似ていた。厳しい人生賛歌の映画だった。人は、人生は、奥深い。


ワンピースの映画も観たけど、なんだありゃ。
行動原理が単純化されすぎていやしないか。
共闘させる為のシナリオにしか思えなくて、バレットの戦闘描写だけきめ細かくて、何を見せたいのかさっぱり分からない。原作で活躍している人気キャラクターたちが集えば、もうそれで良いのか。




橋口亮輔監督の『無限の荒野で君と出会う日』というエッセイを初めて読んだ。
この本の存在をつい最近まで知らなかった。こんなに素敵な題名があるだろうか。
何度か読んでいて涙が落ちた。
大切なことが、平易な言葉で、たくさん書いてある。
この本の中にある大切なことを大切にしていけば、僕は大丈夫なんじゃないかと思えた。
古本で、間違えて二冊取り寄せてしまった。


「考えるというのは結論を出すこと」だと、
いつか伊勢谷友介さんに言われた。
印象的な言葉だった。

僕のこのぐちゃぐちゃした思考の過程も、発表することは容易いけれど、それで良いのだろうか。


動く人はとっくに動いていて、切迫感が常に強いのだけど、今回のパンデミックは、"立ち止まること"と"思考を止めてはいけないこと"を僕たちに教えてくれている気がしている。
早く元の日々に戻りたいけど、あの日々は、とっくに何かが壊れている世界だった。
もう元になんて、きっと戻らない。
明日は当たり前にやってこない。
セカイ系とか終わりなき日常なんて言葉を引っ張ってくるまでもなく、世紀末みたいな状況はずっと続いている。


2011年の東日本大震災のとき、あの年に大学生になって、初めて2000年代の日本映画を浴びるように観て、演劇と演技をスタートして、色んなシンポジウムに通ったり、山本七平の『空気の研究』とかカレルヴァンヴォルフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』を読み耽ったのもこの頃で、僕の人生観がかなり形成化した時期でもあった。
この頃から、今と同じような気持ちを抱いている。





岡本玲さんとの自主公演で選んだ『ダニーと紺碧の海』という戯曲は、2020年にやるのに相応しい普遍的な題材だと思った。後付けかもしれないけど。
観に来て下さった行定勲さんから「自分の新作のテーマに近いものがあって、興味深く観ました」と言って頂いた。
答え合わせみたいなことはしたくなくて、結果論でしかないけど、自分が人生を通して言いたいことと合致している作品だった。
今後も、そういうことをやっていきたくて、今もその題材をずっと探している。



自分が正しいと思うもの、美しいと思うもの、優しいと思うものを、打ち出していきたい。
こんなご時世だから。



でも僕は正しくも美しくもない。
人は正しくも美しくもない。
けど、正しくて美しいかもしれないと信じたいし、正しくて美しい面も必ずある。
せめてそう思いたい。



世界の何処かに自分のことを分かってくれている人がいると思えば、多少周りから矛盾していたり見えても、何でもやれるね。

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