「しぶい」
昨日、Xでうぎゃあ!! とポストしてしまったことをもう一度丁寧に言語化してみよう、という試みです。あのネタ、そんなに擦るのかよ、と自分でも半ば呆れますが、納得がいくまでとことん腑に落とさないと気が済まない性分なので仕方ありません。
あ、何があったのかというと。
こんな感じです。↓
(そのままXのポストのコピペです。ポスト自体はそのうち消すつもりだったので、消してます。)
弟がメンツがしぶいからバイトの曜日変えた、って言ってて「しぶいってなんなん〜」みたいにつっついてたら「しぶいって使わん?」「使わんねえ」「お前はしぶいって言われる側やもんね」て言われちまってよお、少ない言葉で相手を深く傷つける天才すぎだろ、泣かなかったのえらいなって思うレベル(その後、感想をウダウダ述べましたが以下略!)
この出来事、めちゃめちゃ悲しかったので、その勢いでポストしました。私は、感情のメーターが正でも負でも、どちらかに振れてしまったときにポストをしがち、という習性があるみたいです。ポストしてるときは楽しい! 悲しい! 悔しい! 幸せ!の4つくらいに大別できます。
勢いで言葉を綴ってしまうので、いつか思ってもないことを勢い任せに言ってしまいそうで、一呼吸置くことを大切にしないといけないな、とは常々思っております。
話が逸れましたね!!!
どうしようもなく、悲しかったんですよね〜〜。
いや、「しぶい」ってなんだよ、って。
まあ、なんとなくニュアンスは分かりますよ、なんとなくつまんないし、ぱっとしないな、というような、あんまり良くないイメージ。
そして昨日のポストには、
いや、合う・合わないはあっても「しぶい」とかを他人に対して、さもあたりまえな感じでカテゴライズしちゃだめだろ
「言われる側」に対して「言われない側」じゃなくて「しぶいよね」っ「言える側」だと思ってる辺りもよくない
というように続いてました。まあ、これは昨日時点での私の「正しさ」のものさしで測った発言なので、別に今回主張したいのはこういうことじゃないです。
「しぶいって言われる側」って言われて、胸のあたりに黒い煤がぶわあっと広がったような感覚がありました。透明な水に墨汁を一滴垂らすと、たちまち水が濁っていく、あんなイメージ。ちゃんと傷ついたときは身体の感覚を伴うんだなあ、っていう当たり前のことを思い出しました。
つまり簡潔にいうと、この言葉は私にとっての"地雷"でした。誰かの発言とかに傷ついたり、怒ったりするときは、自分自身がその言葉について反応してしまうバックヤードを形成してしまっているんですよね。
だから、その言葉自体の問題だけでなく、受け取る側の私自身が引っかかるところがあるから、痛い! って思ったんだろうなあって。
「しぶい」っていう言葉から「つまらない」「面白くない」って私は連想してしまうんですよね、そして、それはほんとに言われたくない言葉……。面白くないって言われるのはツライです。あと、「しぶいって言われる側」というのも、相手と私、の話ではなく、世間一般にみた「私」を相手の視点から投げつけられた気がして、「その他大勢」を思い浮かべてしまってダメージ受けちゃったんだろうな……。
話がちょっと逸れるんですけど、小学生の頃「ぶりっこ」と言われたのが悲しくて、次の日の学校を休んだことがあります。言ってきた子に悪意は1ミリもない! だけど、当時の私には「ぶりっこ=キモチワルイ、可愛くない、嫌われる」っていうイメージがあって、それに傷ついてしまったんだろうな、と思うのです。その証拠に、今「ぶりっこだよね〜」って言われても、「よく言われます〜、でも違います〜」って特に何も感じずに言えると思います。(よく言われるんかい)
傷つく、ということは、受け取る側の背景に何があるかにも大きく左右されるな、と改めて体感しました。そう考えるとコミュニケーションってめちゃめちゃ難しいな。背景の違う生き物が分かり合おうとしているのだから衝突は起きますよね。だから面白いんだろうけど。人それぞれすぎる、何に憤るのか、傷つくのか。演劇みたいだね!
ここまでは私の話。
すみませんね、まだまだ続きます。
お次は弟の話。(といっても弟を通した私の話なのかも)
昨日は頭にきていたので、弟、なんてやつだ!
と思っていました、正直。
だけど、弟は「メンツがしぶい」という言葉が会話に自然に出てくるコミュニティにいるのだろうなあと。それは何も否定できない。その言葉のニュアンスに対して私ほど引っかからない人達が集まっているのだろうし。私の価値観では、やっぱり少し寂しさを覚えるところではあるのですが。
同じ両親のもとで育ったとはいえ、ただそれだけで、周りの人間関係はまるで違うので、そこで育まれていく価値観も全然別のものになるのは当たり前の話。だけど、私の「なんかやだな」って感覚でつっかかってしまったのは反省点です。
いろいろ言いましたけど、弟なので良いところも知ってます。そして、彼が買ってくる本が軒並み「人間関係のストレスにはどう対処するか」という本なのも知っています。他人には他人の地獄。
彼の話は私の大学生活とはまるで違うので、興味深くはあります。こんなに近くに同世代の、まるで違う考え方をする生き物がいるのは有り難いことかもしれません。観察のしがいしかない。
それとは別に、昨日のあの言葉には「悪意」のってたよなあ、とも思うのです。
言葉そのもの、に加えて、声の温度とかニュアンスとか。そして姉弟という関係性とかもきっと影響してる。
いろんな要素が重なって、久しぶりに傷ついて、イヤぁな気持ちになって、父親にも母親にも愚痴って(笑)
だけど、傷つく!ってこんな感じか!
と思い出せたのも良かったなあ、と思うのです。何故か。私、舞台上でそんなに傷ついてないわ! って思い出せたから。(ここから急に演劇の話)
舞台上で「生きる」、傷つきやすく、影響を受けやすい状態でその場にいられたら、こんなに苦しい! って思えるのか、と。私ったらまだまだだなあ、と思いました。そして、影響を受けるためには、まず自分の価値観をしっかり理解しておくことが大切。
最近読んだ本の受け売りです、自分が何が好きで何がやりたくて、何が嫌いで、何を憎んでいるのか、を理解するのが大切、というようなことが書いてありました。この言葉の意味がだんだんと染みてきている気がします。
あとは相手に対する目的。「相手を傷つける」って明確に言葉にのるのね〜〜、と思いました……。どちらかというと、「黙らせる」のほうが合ってるかな……?
そんな感じです。
演劇の話になりましたね、最終的に。
演劇やってると、たとえ傷ついても、傷つくってこんな感じか……!って結局、演技の糧になったり、あの言葉どっかでセリフにしてやるってネタになってくれるのでそれはお得ですね。
以上!!!!!!
はー、すっきりした!!!!!!
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