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研究発表における「虚」と「実」

前回の記事でフォロワーがぐっと増えたのだが、その中に、少なからずスタートアップ志向――悪く言えば意識高い系――で、研究のことはよく知らない、という人がいるようである。今回はそういった人向けに、研究倫理上の「虚」と「実」の扱い方の基本をおさらいする。

今から書くことは研究者にとっては常識で修士の学生の頃に習うようなことであり、過不足あれば私が恥をかくだけだが、前回他所の分野を雑に叩いた罰として、このようなものも書いておかねばフェアではなかろうということで一筆認める。

1. 常道の「新規性」しての「虚」

研究を始めるにあたって、過去の知見で何が不足していてこの研究でそれを埋めようとしているのか明白にして研究計画を立てねばならない。その動機は論文でも新規性の主張として書かれる。「まだ世界中の誰も知らないこと」という「虚」を定義するのは研究の基本のキであり、研究者ならば誰でもやることである。そしてその「虚」を実験や実装という「実」で埋めていくのが研究の王道であろう。

論文には「虚」と「実」の双方の記述が必要であり、どちらも欠けてはならないものである。すなわち、「虚」――構想を発表すること自体は、決して研究倫理に反することではない。

2. ビッグ・アイデアと銅鉄研究

前回は、「虚」の部分だけが大きく、中の「実」がついてきていない研究発表ないしは研究計画を問題として取り上げた。私が「ハッタリ」と呼び、別の人は「ビッグ・アイデア」で幻惑する方法と呼んでいたものである。研究にしてもスタートアップにしてもまずは「実」たる結果が大事であり、結果がでないことには話にならない。結果が出る見込みなく「虚」のままで押し通すのは当然問題であるし、結果で嘘をついてはならないというのは言うまでもないことである。

一方で、「虚」の部分が過小な研究も、それはそれで新規性・創造性が不足しているとみなされる。これは古くから「銅鉄研究」という名前で呼び習わされてきた。化学や物性の研究で「銅で確かめたから全く同じ方法で材料を鉄に変えただけでもう一本実験論文を書こう」といったような様子を喩えて言ったものであり、「虚」の部分が小さい分、「実」の部分も楽に埋められる。こういった研究も決して意味がないものではないけれども、こればかりになるとジャンル自体が行き詰まってしまうのが問題である。

ビッグ・アイデアで始めた研究でも、そのアイデアに対応するだけ中身も充実しているなら、それは偉大な研究である。むしろ近年のサイエンス分野では、短期的評価の中で論文数を稼ぐべく銅鉄研究になりがちであり、ビッグ・アイデアに基づいてじっくり行われる研究がしにくくなって発展が行き詰まるのではないかと危惧する声が大きかった。

こういったサイエンスの抱える問題から言えば、ビッグ・アイデアをどう軌道に乗せるかが課題となる。昨今のスタートアップの状況は、サイエンスの状況とは逆であり、とかくビッグ・アイデアのハッタリが先行しがちなのが問題である。両者の課題を合わせれば、「虚」が先行しがちなビッグアイデアを健全に運用していくかが共通の課題と言えよう。

3. 「実」を埋める実現可能性

研究計画を書く段階、あるいは一本の論文だけでは終わらないようなビッグアイデアに取り掛かる段階では、「実」の部分無しで「虚」だけのものを書かなければならない。このとき単なる「ハッタリ」にならないためには、「実」を埋める手段と、その実現可能性の評価を表明する必要がある。

この段階で研究倫理上問題があるのは、実現可能性を粉飾することである。実現可能性が低いこと自体は問題ではない。研究に投資する人は、実現した時のベネフィットと実現可能性を掛け算して期待値を出し、それをもとに投資するかどうか決める。アイデアが実現した時のベネフィットが大きければ、実現する可能性が低くとも投資する価値がある。それが萌芽的研究というものである。その目論見の計算がごまかされることが問題なのである。

実現可能性の粉飾が問題であることは、例えば経済学で言う「情報の非対称性」理論でも扱われる。この理論の教科書的例は中古品の市場である[1]。中古品市場で外見は同程度だが中身の劣化が進んでいるものとそうでないものがあるとしよう。購入者は中古屋の店頭では中身の劣化具合を判断できないため、損をしないために劣化したと仮定した値段で買いたがる。すると売る側も安く買い叩かれるからには本当に劣化したものだけを出すようになり、市場に偽物、まがい物、劣化品だけがあふれる「逆選抜」が起こる。これを研究に置き換えれば、実現可能性の評価が難しい場合には、それが常に低めに仮定され、それに対応して話だけが大きいハッタリ計画があふれかえる、ということになる。

これを回避するためには、自分たちの価値――この場合は、研究が実現した時のベネフィットと実現可能性をかけた期待値――を正しくシグナリングしてやる必要がある。研究が実現した時のベネフィットはアイデアとして提供される。ゆえにもう一つの要素、実現可能性については嘘をついてはいけない。そこの嘘を許してしまうと、まがいものの研究があふれて分野が崩壊することになる。前回は、このシグナリングに嘘が混じり崩壊しているのではないかという危惧を主に扱った。

4. 理想を実現する手段

計画段階で「虚」たるアイデアやビジョンと、「実」に代わる実現手段とその実現可能性を正直に表明するべきだ、ということが実現できれば理想的である。その理想を簡単に実現できれば話は早いが、残念ながらそうもいかない。今回、研究倫理を皆守るという「ビッグ・アイデア」を披露したものの、残念ながら実現可能性の高い手段を持ち合わせてはおらず、皆さん節度を保ちましょう、くらいのことしか言えない。これは私の正直なシグナリングである。

サイエンスの分野では再現性危機という別の問題から研究計画の事前登録(preregistration)や計画段階での査読(peer review)というアイデアが浮上しているが、この段階で実現性の第三者評価を行うというのは〈サイエンスにとっては〉一つの解決手段になるだろう。ただ、スタートアップとなると評価能力が儲けの源泉たる目利きとなるので、なかなかそうもいかないかもしれない。私見ではあるが、アカデミアにおける工学では、サイエンス寄りの解決手段もありかもしれない。



[1] Akerlof, G (1970), “The market for lemons: quality uncertainty and the market mechanism”, Quarterly Journal of Economics 84 (3): 488-500

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