新型コロナウイルス関係の経済対策覚書(事実確認編)

筆者は経済学や行政の専門家ではありません。基本的に自分が納得するためだけに書いたものであり、他者を納得させるために書いたものではありません。いつもなら専門家の紹介をここに書くところですが、今回は人選に迷ったので空欄とします。

こんにちは。もやはフォロワーの2割からしか経済ブロガーとして認識されていないショーンKYです。今回は、経済面に関して覚書をしていきたいと思います。書いているうちに長くなってきたので、前後編、事実確認編と対策編に分けることにしました。前編は事実確認編で、「そんなの当たり前だろ」というような事項を中心に書いていきます。

産業の立ち消え~社会の絶対的損失

■ 現在、所謂ソーシャル・ディスタンシングにより居酒屋、旅行、エンタメなどの業種が存在自体が消えたに近い状態になっている。

これらの産業の消滅は、社会全体にとって絶対的損失となる。例えば、現在イベント業界支援として払い戻しを受けないことを支援する税制が作られたが、それを選択するとカネの流れは変わらずイベントのお楽しみだけが立ち消えする。チケットが無駄になったということであり、これを「絶対的損失」として理解するのは消費者の体感として分かりやすいだろう。払い戻しを受けた場合、生産者側は仕事が空振りして対価を受けられなかったのでやはり絶対的損失である。

カネの問題だけを考えるなら休業補償を出すべきだという意見もあるが、それは当座の帳簿の辻褄合わせにはなっても、今現在サービスが提供されず我々の生活レベルが低下しているということについては変えられるものではない。今年休んだら来年2倍働けるかと言えば無理なので、この生産低下=絶対的損失は我々の人生トータルで取り戻すことはできない。今後の損失を軽くする方策は話せても、損失をなかったことにはできず、誰かがかぶる必要があるし、完全に無為無策のまま進んだとして、相応の失業者の発生と、それによる雇用保険の引当金積み増しで誰しもに負担は来ることになる。

どんな対策を考えようとも、負担感を減らす・均す努力はできるが、負担をなくすことはできない。まずこれは基本的事実として認識する必要がある。

■ では、今回我々はどの程度損をしているのだろうか。居酒屋、旅行、エンタメなどの産業の市場規模を調べると概ね以下の通りになる。

外食産業 25.8兆円
 ▻ 居酒屋やナイトクラブ(料飲主体部門)約5兆円
イベント消費規模 17.4兆円
 ▻ 純イベント市場(イベント会場内の支出) 3.7兆円超
 ▻ 総額は出発前支出、交通費、宿泊費、会場外支出、後の支出を含む
旅行消費額 27.1兆円
 ▻ 国内宿泊 16.5兆
 ▻ 国内日帰 5.0兆
 ▻ 訪日旅行 4.1兆
 ▻ 海外移動 1.4兆

各業種の消費規模推計を単純合計すると約70兆円(対GDP比13%)となるが、3つの推計には重複があるため[イベント消費推計は旅行費・外食費を含み、旅行消費調査は外食費・イベント費も含む]、外食+純イベント支出+旅行消費で約56兆円、おおよそGDPの10%程度というのが影響業種の市場規模と概算してよいだろう。GDP換算するなら付加価値額(大まかに営業利益+人件費+不動産賃料)を厳密に計算すべきだが、外食では材料を供給する農家、漁師も困っており、これを含むよう売上規模に包括してしまって構わないだろう。

記事を書いている現在は緊急事態宣言が出ており、料飲主体外食+イベント産業+旅行業はほとんど停止状態にあり、波及効果も含めて4月は全産業の1割程度が丸々止まっているに近いものと推測する。

また今回のウイルスでは、緊急事態宣言等の措置である程度感染を減速させたのちも、ワクチン開発まで長期的に感染抑止対策は必要になるため(すでに収束の見通しの立った韓国、台湾、NZでもそのような措置が予告されている)、イベントや料飲主体外食(いわゆる「夜の街」)は大きく影響を受け、ホテルの稼働率は3月を参考にすれば例年半分程度で推移することが予想される。中長期でGDPの5%程度の産業が立ち消え状態になると推測する

すなわち、経済的にこのまま無対策でいれば、失業者が+5~10%程度発生するだろう。宿泊業・飲食サービス業に従事する者は364万人で、これは労働力人口約6000万の6%に相当する。全面的なロックダウンをとれば失業率はもっと大きく、例えばミシガン州ではすでに失業率が25%に達しているという。比して、新型コロナウイルスに対し無介入のノーガードで行った場合、死者数は40万人、人口の0.4%程と推定されている。失業者への対策なしにロックダウンをかけるくらいなら、ノーガードで行くほうが失われる命がむしろ少ない可能性すらある。感染対策をとるのならば、人によって偏って生じる経済的負担を均す必要がある。

一方、この負担は「みんなで均等に負担すれば耐えられる」というものでもある。失業率+5%程度という数字は、{確かに重いが、即座に無政府状態に至るほどではない}という程度になろう。失業者の救済の財源としてGDP比で5%税が増える(国民負担率から推計すると所得税が3割増し+消費税が13%になる水準)と、はっきり体感できるレベルで重くなるが、生活が不可能になるほどではない。財源は国債で賄うことも可能だが、今期国内トータルで消費できるサービスが減り生活レベルが低下することは覆せないので、生活の不便さ=「コロナ疲れ」も耐えられないほどではないが体感できるほどに重いと評価してよいだろう。

■ これらの産業以外でも、原則として新型コロナウイルスの感染者が出た場合には、感染防止策としてしばしば職場が閉鎖される。これらも生産の低下として統計に表出する。このほかにリモート勤務の増加によってタクシーや交通の需要が減り、その代り通信や通信販売の需要が増えているが、このあたりは足し合わせれば概ね経済全体に対する影響としては相殺すると概算してもよいだろう。教育等で通信教育化されるので値段が変わらないままサービスの質が一定程度低下する現象が起きると考えられるが、GDPの集計システム上、その質の低下はおそらく反映されない。

手元資金の不足(信用問題)の派生

■ 今現在飲食系の人々からは、「営業自粛でも他で職を探せば耐えられる、しかし家賃は営業しないと稼げない、なので家賃だけでも自粛負担してほしい」というような声が聞かれる。このままいくと、飲食店をはじめとして支払いだけが増えていき、4月末あたりから手元資金の枯渇で倒産する件数は増えていくものと思われる。

我々は、コロナ以前にコロナがないものとして想定して事業計画を立てていた。家賃も銀行からの借り入れも従業員も普通に営業できる前提で計画を組んでおり、当然コロナ発生などといったことは想定外であった。

銀行が飲食店に金を貸し付けたりするのは、飲食店が今後営業できると予測しそれを信用してのことである。コロナの発生でこれらの将来予測はことごとく外れることになったが、その外れた予測に基づいた契約が軒並み負担となっている。借りた側は破産し、貸した側は焦げ付くことになる。都市の過密は今後とも規制され、人口密度が高まるよう開発されてきた不動産もまた価値を失うだろう。これらが連鎖し、信用収縮が起きることが懸念される。

このように、「外れた未来予測に基づいていたため今や重荷になってしまった契約・投資」をどのように清算していくかも、経済収縮から派生した第二の重要な課題となる。

経済学の「いろは」で記述できない現象

■ 経済の問題であれば、経済学で扱うAD-ASモデルのように需要供給バランスなどを考えてみたくなるだろう。実際、何人かの経済学者はそのような発言を行っている。

今回の問題を供給側の問題とする言論としては、例えば林文夫氏は「需要喚起策に意味がない」としている。これは直感にも合うところで、例えば「旅行券」のような需要喚起策に対しては、「避けてもらっているのに促進してどうする」という突っ込みが入りまくった。この状況は、「安全に商品(財やサービス)を提供する能力を失った」として捉えることは可能だろう。

一方で、例えばインバウンド目当ての業種は営業できても誰も来ない状態であり、供給力はあるが需要がなくなったという見方もできる。林文夫氏の論を応用すれば、「観光業、外食産業の供給力を強化する政策を打とう、出店促進策を打とう」などという供給強化策が馬鹿馬鹿しいということで直感的に分かるだろう。

伝統的な需給論の「いろは」では、供給が減れば価格と金利が上昇し、需要が減れば価格と金利が低下するはずである。久保田荘氏がこれについて検討しており、価格や金利が上昇する気配がないことをもって需要減退よりだろうとしているものの、氏も需要喚起策がナンセンスであることを述べている。

現在起きていることは「ある種の産業が立ち消えてしまい、供給強化策も需要喚起策も意味をなさない状態」という捉え方が妥当であろう。久保田氏が述べているように、初等的なAD-ASモデルのような単純な需給バランス論を受け付けず、教科書的な知見をただ延長して適用するのは難しいと考える。

不要不急vs必要喫緊

■ 2月以降「不要不急」の産業――すなわち旅行業やイベント業は軽いところでも自粛、覆せないところでは入国規制や外出・集会の規制により、営業できなくなった。これらの産業で働いていた人に対して、失業対策や救済措置のためカネを入れていく必要があるだろう。

一方で、「必要喫緊」「エッセンシャル」な産業――すなわち、医療、インフラ、ライフライン、物流、小売などの産業では、従業員が感染リスクを負いながら対応しているという不満がたまっている。特に人と接する機会の多い小売店はパートの賃金も高くないため不満と不安が蓄積しており、筆者の知る限りでも木尾歴のあるパートがリスク回避のため辞めるといったケースも見聞する。また、このことから「必要喫緊」産業へのボーナスが検討されたり、実際に払われたりしている。

ただ、「不要不急」産業への対策にしても、「必要喫緊」産業へのボーナスにしても、いずれにしても帳簿上のつじつま合わせに過ぎないことは理解しておく必要がある。産業が立ち消え社会に絶対的損失が発生している――我々の生活レベルが低下していることは、補償やボーナスで覆すことはできない。これでできることは、今期の痛みの分配と来期以降の立て直しの戦略付けだけである。

■ 自粛を求められている産業に従事する人からは、なぜ昼間の通勤は問題ないのか、我々は「不要不急」だからスケープゴートにされているという声が挙がった。これに関しては微妙なところで、昼と夜の職業の性質の差に由来するところが大きい。

昼間の産業、「必要喫緊」な産業では、リモート勤務や時差通勤、職場内の濃厚接触を回避する対策を打ちつつ事業続行を試みることが出来る。接客が不可欠な小売業さえ、レジに透明の仕切り板を導入するなどして感染回避策を講じた上での営業を行っている。

一方、「夜の街」は感染リスクを高める行動それ自体をサービスとして提供している。音楽は配信、外食は個人ブース化や持ち帰り・ケータリングへの転換は可能だが、ライブハウスや居酒屋、ナイトクラブなど{集まってしゃべる}という行為の場を提供している業種は、リスク行為自体を提供しているのであり、リスク回避行動そのものがサービスの質を大きく損ねてしまう。

また、自粛を求められている産業は「不要不急」だからスケープゴートにされているのでもない。家庭用ゲームなどはむしろ推奨されているくらいである。{集まってしゃべる}{同じものを共用する}といった性質が問題になっているのであり、不要不急だから、不謹慎だから云々という理由で禁止されているわけではないことは留意が必要である。

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