進化心理学を名乗るアカウントにご注意ください

近年、ネット上で進化心理学なる言葉を目にすることが増えた。進化による先天的心理現象は、例えばヘビ恐怖はサルの実験ヒトの実験である程度先天的と裏付けられており、科学的な研究対象となっている。

しかしながら、ある形質が何らかの淘汰圧で残ってきたということを論証するのは、直接的な実験は不可能で断片的証拠しか手に入らない過去から推測することになるので、困難である。ましてや現生の生物のある性質を演繹的に示すのはなお難しい。

以前書いた記事から例を持ってくれば、果実食を主張するフルータリアンは「サルだった頃は果実が主食だったのだから、人間は果実を食べるように進化してきたはずだ、ゆえに果実を食べるべきだ」と主張する一方、低糖質食を主張する人は「現生人類は狩猟採集民であり続けたのだから肉を食べるように進化してきたはずだ、ゆえに肉を食べるべきだ」と主張している。「このように進化してきたはずだ」式の主張はどうとでもつぎ足しできてしまうので、これだけではヒトの性質について説明するのに何の意味もない。

そして、身体的な形質と心理的な現象では、論証の仕方も通常の進化生物学と同一ではない。このあたり俗であやふやな理解のまま人口に膾炙しているようなので、一筆執らせていただく。


行動の先天性の証明

進化論がインパクトを残したのは、「機械的に決まり意思が介在しないように思われる動物の身体が、なぜここまで合理的・合目的的に仕上がるのか?」という疑問に対する回答例を示したからである。

一方、心の場合は逆である。ヒトは状況に合わせ合理的な行動をとることは当たり前のことであって、何の不思議もない。状況に対して合理的であると示したところで遺伝的に刻まれた行動であるという証拠にはならない。

ある感覚/行動が生得的なもの、遺伝的にハードコーディングされていると主張するなら、非合理な状況になってもそう感じる/行動することをやめることができない、と証明することが第一段階である。その現象に再現性があるのなら、錯覚現象のようにデモンストレーションも容易なはずだ。

ただ、それだけでは遺伝的にハードコーディングされているという証拠にはならない。ヒトの心的成長もまた柔軟であり、育ってきた段階でそのような慣習・癖が身についただけかもしれないからである。遺伝的コードを主張するには、どのような環境で育ててもそうなるとか、遺伝子を特定してそれに変異があると行動が変わることを証明する必要がある。

さらに(進化生物学でもそうであるように)ある形質が特定の淘汰圧で形成されたことを証明するのは、証拠を得るのが困難で、それが心理現象ともなれば化石にも残らないのでなおさら難しくなる。ヘビ恐怖の場合は上記2条件がヒトでもサルでも成り立つことで示そうとしているが、それくらいは必要である。

「進化心理学」というものを学問的にやろうとするとこの程度の理論的強度は必ず求められるし、それを証明するには相応に手間がかかる。


先天性の証明を書いた俗流の牽強付会

だが、近年、ネット上で「進化心理学」を自称するアカウントが、こういった論証を経ずに何でも「進化の結果」「先天的な思考」と決めつけて非科学的な言説を撒き散らしているようである。例えば次のツイートを見てみよう。

当初の疑問は『「夫がいる女性」を奪いに行く男はほぼいないのに、「妻がいる男性」を奪いに行く女性は大勢いる。なぜですか?』というものである。これは単純に制度的合理性だけで説明可能である:

日本を含むほとんどの国の法律において、男性は親子関係が周知でなければ養育コストを支払う義務がない一方で、女性は必ずコストを支払う必要があり父親が分かっている時のみ応分の負担をしてもらえる構造である。この段階で、避妊をしていても事故で妊娠した時のリスクを考えれば、男性はコスト支払いから逃れるために婚姻関係を変更しないのが合理的であり、女性はコストの請求権を持つために結婚を迫るのが合理的である。加えれば、女性のほうが性的価値の加齢損失が大きいので、恒久的関係を望むなら焦りは男に比べ大きいであろう。

男側にとって養育コストの支払いが容易な場合、他人の妻の強奪は時たまある話で、歴史的に言ってもルクレーツィア・ランドリアーニのような例、現代で言えばセスク・ファブレガスのような例を示すことが出来る。

以上のように、当初の疑問は単に合理的・打算的判断を行ったというだけでそれなりに説明が可能であり、いちいち「精子の質」とやらの概念を持ってくる必要はない。

哺乳類の子育てのコスト構造はおおむね上記の議論と同じであるため、このような思考パターンがが先天的に形成されやすいのだ、という議論は可能である。しかし、単なる合理性でも説明できる以上は先天的だと決めつけることはできない。メイティングの進化を語るなら、サル目全体で見ても有史以来の人間でも乱婚、一夫多妻、一夫一婦のいずれも見られるのであり、そのいずれかを説明する性質をもって「これがヒトの《本能》である」と主張したところでいくらでもパラレルな背後説明を加えることができ、実質的に意味がない。

背後に余計な構造を付け足すのは容易で、例えば現在カトリックは進化論を「聖書に書かれた神の創造は、その手段が進化論であった可能性がある」という言い方で受け入れているが、進化論は背後に神を必要としないし、証明のしようのない後付け説明を論じようとしても神学論争になるだけで、無為なので切り取ってしまうべきというのがオッカムからポパーに至るまでの科学哲学である。背後に証明のしようのない「進化的説明」を挿入するのは、進化を神とする神学をやっているに他ならない。宗教最大手と同じやり方のまさに信者商売である。


ある思考・行動が進化的に形成された先天的なものだと主張するのであれば、最低限それが単なる合理的判断では説明が付かないことを示し、後天的である可能性を消さねばならない。実用的に言っても、それが後天的判断であるなら、単にルールやインセンティブ付けを変えるだけでその性質は消失し、それに伴う問題も解決する。それが素人であろうとも、「それが非合理と分かっている状況でもそう感じる/考えることをやめられない」というデモンストレーションを逐一つけることが出来ないのであれば、「素人進化心理学者」としても認められないレベルである、と言わざるを得ないだろう。

ネット上の自称進化心理学アカウントは、「単なる合理的判断の結果としては説明できない」とする論証を行わず、すべては進化であると牽強付会するだけのニセ科学言説を撒き散らし、「ある行動は本能である」と信じたい人を養分扱いする行為を繰り返しているので、皆様にはお気をつけ頂きたいと思う次第である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?