専門家の提言と世論の狭間

新型コロナウイルス感染症COVID-19についての情報をお求めの方は、厚生労働省の情報ページか専門家の情報をフォローしてください。私は専門家を紹介する立場にはありませんが、例えば以下の方などが穏当かと思います。
・押谷 仁(東北大学
・高山義浩(huffpost記事一覧
・岸田直樹(@kiccy7777
筆者は医療や行政法の専門家ではありません。単なる素人の感想なので医療情報としての信頼は置かないでください。本文でも伝聞調で「ようだ」が多用されていますが、それだけ信頼性がないということです。基本的に自分が納得するためだけに書いたものであり、他者を納得させるために書いたものではありません。

SARSをはじめとして危険な感染症のアウトブレイクでは、全数把握・隔離による封じ込め戦略が既定路線であった。筆者が調べた限りでも、感染症法や検疫法はその前提に立っているし、感染症法における指定医療機関は「医療者と言えど罹患したら死ぬため厳格な隔離を求められる」という前提で高度な隔離システムが組まれ、そのぶん病床数も限られたものであった。

しかし、今回の新型コロナウイルスは、発症しない感染者の多さから(感染すれば発熱で見分けられたSARSや一類・二類感染症と異なり)感染者の確実な発見が難しく、全数把握は容易ではない。また新型インフルエンザ等特別措置法の適用が考えられているほど広がりやすく、そのくせ潜伏期間も長いことから、隔離政策にも困難が伴う。かといって放置していいほど死亡率が低いわけではない。日本の法の想定していた「感染症」像から外れ、対処がしづらいものとなっている。

専門家の提言と世論のギャップ

今回の新型コロナウイルス対策の専門家委員会は、無症状・軽症・検査陰性の感染の多さから完全な全数追跡と封じ込めを前提とせず、ゲリラ的な出現自体は泳がせておき、連鎖感染=クラスターを重点的に潰す戦略を描いている。大まかに言えばインフルエンザ対策と全数追跡の中間的な防護策であり、全数追跡で消耗するより決定的なアウトブレイクを防ぐという守りの戦略であると私は評価しており、日本の医療システム・法システムで今回のような特性を持ったウイルスに対処するにあたって妥当な戦略として賛成する。

しかし、世論を見る限り、少なからぬ人数が全数把握と厳格な隔離による攻めの封じ込めを求めているようだ。例えば中国からの旅行客を全員上陸拒否するよう求める意見や、クルーズ船感染者の隔離の長期化を求める声は多い。この傾向は国内に限ったものではなく、中国以外の全ての国で全数把握での封じ込めが既定路線となっており、かなり多くの国が新型コロナウイルスが発生した国からの入国を一律禁止する、感染者の10倍以上に及ぶ接触者をまとめて隔離する、国境を封鎖する等の強硬措置による完全な封じ込めを前提とした政策を支持している。

現状の日本国内では、現在の専門家委員会が取る守りの姿勢と、世論が(外国を参照して)求める攻めの姿勢の間にギャップがあり、世論の高い不満につながっていると認識している。

国際世論とリスクコミュニケーションの破断

今回問題を厄介にしているのは、外国の世論も厳格隔離を支持しやすい傾向にあるという点である。

私は心情的には上原さんに近い立場だが、残念ながら世界はnasastarさんの反応に近い――「中国人は遮断。日本は中国人を遮断しないなら日本も一緒に遮断」という態度をとるところが多い。

この国際世論の強い方針のため、日本は自国の(全数把握を前提としない)戦略を公言することが出来ない状況にある。実際のところ、(憲法を含む)法制度上、また感染者は必ず目に見えて発症するという前提の下で組まれた防疫システム上、全数隔離はもとより感染確認者の10倍に及ぶ接触者の隔離を行う封じ込め戦略は不可能であり、専門家委員会の採る戦略が最適であると考えられる。このシステムを潤滑に動かすためには、戦略自体の説明というリスクコミュニケーションが必要になるが、これが国際世論の顔をうかがう形で阻害されているのである。

対岸の火事に対する限定的シンパシー

また、隔離に関する国内世論、国際世論を見ていると、結局のところ「私にとって都合がいいようにお前たちが隔離されろ」というのが多くの人の素朴な考えだと感じざるを得ない。

日本でもイベントの中止や休校の要請がされるにつれ、「制限されては生活が持たない」「なぜ私たちが不便を被らなければならないのか」といった不満を口にする。その不満には、「中国人を最初から全面入国拒否にすればよかった」とか「感染者も、感染疑い者も積極的に隔離しろ」という声がしばしば伴う。

これは外国にしても同じことで、遠い対岸の火事の時には強力な行動制限も英断と称えられる。現在イベント屋の間では自粛がいつまで続くかは営業上きわめて不安視する向きが強いが、そのうち何人が中国の強力な移動制限で「営業停止は1~2週間しかもたない」と現地の人が思っていることに思いをはせていたであろうか。また日本では全国一斉休校の「お願い」は根拠が薄弱で副作用が多いとして不満が噴出しているが(私も同感である)、対岸の火事である欧州側から見れば好意的に映る。

その欧州にしたって、中国からの入国制限は早々に敷いたが、いざイタリアで感染が広がると「国境封鎖は過剰反応」等、いまいち決断が鈍い。

対岸の火事の時と自分のところまで来た時の態度の違いは、結局のことろ局所最適と全体最適が不一致となる結果を招いている。こと日本にいると、「外国に感染が広がるほど国内でまともなリスクコミュニケーションが取れるようになる」という他人の不幸を願うような悲しい状況にあることを感じざるを得ない。

人類全体の厚生を考えるならば、「対岸の火事」のうちに封じ込めることが必要なのは確かである。そして、そのために強力な行動制限を支持するのならば、やはり財政的・物的な支援は必須であろう。我々は中国の休業に補償しなければならないし、世界は日本で止めろと思うなら我々の休業補償を支払うべきだし、クルーズ船の船内感染がダメだと思うなら3000人分の隔離場所を提供する補償費を世界が払うべきなのだ。だが、世の中はそうはなってはないのが現実である。


それともう一つ気になっていることがある。今回は、台湾とシンガポールの対策の徹底ぶりは舌を巻くものがあり、早々に中国人の入国を禁止し、感染者の10倍以上の感染可能性のある人までも監視のついた隔離を行って現状封じ込めは成功に近い状態にある。両国とも比較的小さな国であり、かつシンガポールは一時期「明るい北朝鮮」と呼ばれた国であり、台湾は名目上中国と"内戦"状態にあることから、民主主義国家の中では自由権制限をしやすい国で、そういうところもあるだろう。ただ、不幸にも感染が世界ま円したとき、これらの国がどのような対策をとれるかというのは、やや気になるところである。

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