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生殖ビジネスの闇

女女格差としての代理出産

VERY2020年4月号という雑誌に掲載された記事で、女性活動を主題とするアートで知られるスプツニ子氏が、自身の卵子凍結ビジネスの宣伝を兼ねた対談記事を組み、カジュアルに自分のキャリアのために代理出産を勧めるコメントをして炎上していた。不妊治療ならばともかく、単に時間を節約したいと思う理由で代理出産を頼むのは、臓器売買を連想させる、格差を前提としなければ維持できない、女性を「産む機械」扱いした搾取である等という批判である(これは保育でも重なるところがあるのだが、それについてはこちらの記事を参照いただきたい)。

これについては、私はもうもはや語る事はなく、既にインドで代理出産が禁止になった記事や、ウクライナで代理出産ビジネスが盛んになっている記事、あるいはそれらにおいて中絶のコントロール権が発注者にあったり障害児の引き取り拒否があるなど、リプロダクティブ・ライツや子供の人権で問題がある例が多数紹介されている。

こういった生殖ビジネスの闇と言うのは代理出産などに限った話ではない。アメリカでは特に生殖ビジネスが盛んであり、不妊治療など困っている人を助ける倫理的にポジティブな側面と、命・人身を売り買いするネガティブな側面の両方があると言うことで、2005年には実態をまとめた本が出ている。本稿では、代理出産以外の生殖ビジネスにおける闇の側面を少しメモしておきたい。

属性差別が野放しの精子卵子バンクのエグさ

凍結卵子の技術は、精子バンクや卵子バンクと共有されている。これらからの第三者提供では、ドナー(提供者)の属性選別が非常に厳しい。卵子バンクの場合、三代に渡って遺伝的病歴が調査され、ドナー登録に当たって最も重視されるのが「見た目」であるなど、優生思想を連想させるエグいものとなっている。

精子バンクでも見た目が重要視される傾向は変わらず、白人男性という人種への先行が極めて強いことがよく取り沙汰される。白人男性中心主義は現代のポリティカル・コレクトネスの文脈では最も強く槍玉にあげられる事項だが、こと精子を選ぶ段階となると明瞭に白人至上主義的統計が表れる。

誘拐すら行う養子ビジネスの闇

VERY誌の対談記事を受けて、自分の遺伝子にこだわるから代理出産などが必要となるのであり、養子でも良いではないかと言う意見が出た。しかしアメリカの現場を見る限りこれに諸手を挙げて賛成するわけにはいかない。アメリカは養子ビジネスが世界一盛んな国になっているが、養親がある程度どのような養子を取るか選ぶことができる故に、ほとんど人身売買スレスレの状況になっている。最も極端なケースでは、人気の属性を持つ子供を誘拐して調達している疑いがあり、グアテマラ政府は国内で誘拐にあったとして登録された子供がアメリカで養子に出されているとして、アメリカ政府を告発する事態に至っている。

属性差別問題は養子でもあり、黒人のほうが里親待ちの待機時短が長い状態である。

この闇に誰も口出しできない

以上見てきた通り、生殖ビジネスには闇の側面と言うものがどうしてもつきまとう。おそらくはさらに健全に機能するよう法規制も可能なのではあろうが、なかなかうまくいっていない。理由はいくつか指摘できる。

第一に指摘できるのは、これが既に国際的なビジネスと化しているために、一国内の規制では拘束力を十分に確保できないと言う所だろう。

第二に指摘できるのは、これがある程度不妊治療や孤児の保護と地続きであり、良い面と悪い面が不可分になっているからである。不妊治療の一環として精子や卵子の第三者提供を受けるとして、ドナーを選んではいけないという制限を受け入れられる人はどの程度いるのかわからない。養子も少ないうちは孤児の保護などの善行からスタートしているが、養子をとることが自分の善性を誇示する自己顕示的道具にされてくると、これが変質してアクセサリーを買うような感覚で人身売買をするような問題に発展する。

第三に指摘できるのは、不妊治療以外の利用者が、金銭的に豊かで発言力の強い女性活動家あったり、LGBTなど政治的に叩きにくい属性である、と言う点であろう。この指摘自体がディスピュータブルであることは承知しているが、今回の問題は発端がこれに該当するスプツニ子氏であるため、外すことができなかった。

もう一つ指摘できるのは、これが個人の選択の集合であるということである。個人の選択には口を挟むことができないだろう。例えば1人の女性が白人男性中心主義を批判していたとして、その人がある日素敵な白人男性に出会ってそのまま結婚したとしても別にそれに違和感を唱える人はいないだろう。しかしそういった人が軒並み白人男性ばかりをパートナーに選んでいるとしたらグロテスクな話になる。本質的には、自由恋愛もどこか優生思想的でグロテスクな性質を含んでいるが、少なくとも1世代内ではマイルドに見える程度に抑えられている。それが精子・卵子バンクによってそれが効率的に行われることによりグロテスクさが鋭い輪郭をもって描かれる、とういうことであろう。

ある意味の必然

さて、最後にスプツニ子氏の話をしたい。彼女はアート活動において「女性は家事、出産、育児から解放されるべき」という主題を扱ってきた。人工知能学会が家事をする女性型ロボットを表紙にした際に、性役割分担を補強するものだとして強い批判を加えている。今回の代理出産礼賛も、全く同じ「女性は家事、出産、育児から解放されるべき」という文脈から出てきている。これはこれでフェミニズムの従来からのアスペクトの一つであり、彼女はこれが炎上するとは思っていもいなかったのだろう。彼女は社会貢献を自己顕示欲を満たすための「ラグジュアリー」として見ており、「女性からの搾取に反対する」という別のアスペクトを理解していなかった、ということである。今回の発言は女を「産む機械」扱いしていると批判を受けたが、その彼女は大臣が「産む機械」発言をした時にそれを批判する『チャイルドプロデューシングマシン』という作品を作っていたのだから皮肉なものである。

また、スプツニ子氏は所属していたMITメディアラボが人身売買性犯罪者のエプスタインと深くかかわり資金を受け取っていたスキャンダルについて、コメントを出すのが遅れ、残念である云々と一言で済ませていたため、彼女の女性運動への姿勢に疑問を持つ人が今回の炎上の下地になっている。エプスタインは生殖に強い興味を示し女性を「産む機械」とする「牧場」すら計画していたという。彼女の女性運動は、そういった発想と決別していることをもっとしっかり示さないとならないだろう。

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