自意識が芽生えた日

 人それぞれ自意識が芽生えるタイミングは違うと思う。大体は小学校高学年くらいまでに備わるのではないだろうか。多くの人は自意識なんてもの、いつの間にか身に着いているのだと思う。でも俺は自分に自意識が芽生えた瞬間を覚えている。忘れもしない、小学校1年生のある授業の最中だった。

その授業は皆で劇をやるというもので、おおきなかぶをやった。クラスはいくつかのグループに分けられ、グループのなかで役を決めた。俺はおじいさん役だった。授業が進むにつれ、不安が生まれた。その劇には台本がなかったのだ。大まかにかぶを抜くというゴールだけ決められていて、細かなセリフは全て個人に任されていた。劇そのもののは幼稚園の時に経験していたから怖くなかったが、自分が何を言えばいいのかわからなかった。不安を残したまま授業は進み、いよいよ発表の日になった。

不安なま劇がスタートした。自分はおじいさん役だったので一番最初に劇中で話す。話すタイミングになったその瞬間、自分の中に自意識が芽生えた。
ただ何をセリフにすればいいかわからなかった、という単純なものではない。どのセリフなら恥ずかしくないのか、馬鹿にされないのか、という視点がはっきりと自分の中に生まれた。セリフ、言わば答えが欲しかった。小学1年生だった俺は自分が何を発するのかジャッジされているような感覚を覚え、恥ずかしくなり号泣した。

この日が明確に自意識をもって生きるようになった最初の日だった。この日から人の目を気にすることを覚えた。小学校低学年にしては空気を読む、読もうとする子供だったと思う。自分が好きなことをやるよりも、人に褒められることをやるのが好きなタイプだった。人に褒められるのは好きな割にジャッジされるのが苦手だから、褒められるようなことしかしない子供だった。今になって、当時を生き直すかのように、内省に励んでいる。

幼児期の社会性の発達におままごとはとても良い、という記事を見たことからこの日のことを思い出した。思い出してみて、人目を気にしすぎること、もっと言えば他人の正解を当てに行くことばかりしていると成長しないなと感じた。中学まではこんな感じで、高校に入ってついに自意識が爆発した。当時は暗闇の中で何が何だか、って感じだった。でも今は必要な爆発だったんだなと納得している。あの爆発がないと、本当に自分がない人間になっていたと思う。自意識との付き合い方もだいぶ覚えた。


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