3月26日

受けた傷をいつまでも大事に抱えているのも大人としていかがなものかと思うが、なかなか捨てられない。捨てきれない。自分の傷と似た傷を抱える人を好きになったり、抱えていないように見える人が羨ましくなり、嫌いになったり、結局自分に返ってくる。結局自己愛じゃないかと気付いて嫌になる。
自分のことしか見えていない。自分のコンプレックスが好き嫌いに大きく関わっていることを痛感する。自分と似た痛みを抱える人を簡単に好きになってしまう。それでも立ち上がる人、背負う人が好きだ。

傷をあまり感じていないように見える人が羨ましい。男として育ち、男としての役割みたいなものに苦しんできた自覚がある。だからか女性が羨ましい。別に苦しむ必要もないし、それが女性を嫌う理由にはなりえないこともわかっているのに。いまどき女性が嫌いなんて、ユダヤ人が嫌いくらいアホな主張だとわかっている。でも自分が女性ならこんな苦しい思いはせずに済んだのではないかと考えると苦しくなる。多くのミソジニーはこういう思考の変遷で女嫌いを主張しているのではないかと想像する。

自分のコンプレックスを人にぶつけてはいけないとわかってるのに、今の彼女にそれを投影してしまう。早くそんなくだらないものさしは捨てればいい。コンプレックスになっているのは、そのものさしを内面化してしまっているからだ。男だから高収入でマッチョで主体的で頭がよくある必要はない。

自分が勝手に背負ったり背負ったつもりになってるだけだ。勝手に疲れてるだけ。気楽そうに生きてる人をみてイライラするのやめよう。暴力だよそれ。


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