見出し画像

『二人のソクラテス』第12話

 神聖で厳かな空気が流れる時間。私はお帰りな祭が始まる前に市内にある県内屈指のパワースポットである神社を訪れた。


 閑散とした境内は残暑を感じる事はなく,澄み切った空気が全身を包み込む。


 本殿前で賽銭をして御祈祷をした。神様にお礼を伝えたかったから。


「神様、私の願いを受け入れてくれてありがとうございました」


 あの時、駅の構内で死にかけの私は、老婆からネックレスを受け取った後に死を迎え入れて両目を閉じた。


 不思議と意識だけがはっきりしていて、幾つかの時空を彷徨う浮遊感を味わった。行った事はないけれど、遊園地のジェットコースターに乗っている感覚に近いのかも知れない。


 その最中に私は老婆が言った心残りを願った。星哉くんに会いたいと。

 

 途中、意識が断ち切られて目が覚めると、この世界に立っていた。それから、今日までこうして私は生きている。


 これは神様の所業にしか思えない。こんなSFな体験を話したって誰も信じない。


 そして私は今夜行われる、お帰りな祭で星哉くんとお別れな気がした。


 だから最後に神様にお礼を言いたかった。あなた様のお力で私は星哉くんと再び会えたと。

 

 無宗教だが,身に起きた出来事を考えれば人外力を感じずにはいられない。それは神様の所業を言わざるを得ない出来事だった。


 でも,そのおかげで私は素敵な経験が出来た。


 これは私の感謝の気持ちであり,一つのけじめだった。

 

 それはこの世界に来た時から薄々と感じていた事。神様だってそんなに太っ腹じゃないはず。恐らく期限付きのものだって。


 それに体よく死者の魂が蘇る,お帰りな祭があるって聞いたら,きっと私も終わったら消えちゃうんだろうなって察しがつく。

 

 無宗教なくせに,都合よく事ある事に神様にお願いしてきた。特に苦境に立たされた時に。


 私がまだ小学生の時,両親が離婚して意地悪な親戚に引取られた時。中学,高校と陰湿極まりない同級生にいじめを受けた時。周囲の大人達に助けを求めてたのに、誰も私に手を差し伸べてくれなかった時。


 神様は一度だって私を助けてくれなかった。それが最後の最後に星哉くんと会える事が出来た。今まで幾つかの救いの場を纏めて大きな一回のプレゼントしてくれたのだと思う事にした。

 

 御祈祷を済ませ,踵を返した時に眼前には見下ろすように灯りが灯った街並みが見える。大気を伝って,太鼓の音や歓声が聞こえてきたような気がした。終わりが近い事に感傷を浸る気分になる。

 

 仮住まいの部屋に戻って身支度を済ませる前に,部屋を掃除した。


 短い間だったけれど,お世話になった部屋にも感謝しなくちゃいけない。掃除が終わると春菜さんからもらった花柄の着物を着ようか迷った。大切な浴衣を着て私が消える時,私はどうなるのだろう。


 その浴衣も消えてしまう可能性があって怖かったから折り畳んだまま,部屋の中央に置いといた。春菜さんには申し訳ない。それに一人じゃ流石に着付けは難しかったから。

 

 本当に奇妙な生活だった。星哉くんの家の向かい、道路一本反対側に住んで星哉くんの仕事を手伝う貴重な時間。リビングに向かって頭を下げて部屋を出ると空は暗く、星々が煌めきを見せている。


 店の裏口から顔を出すと、星哉くんと春菜さんが私を出迎えた。春菜さんの隣に座る小さな女の子が気になった。


「ほら、舞? 挨拶するって言ったでしょ?」


「はーじめまーして。まいと言います」

 

 舞ちゃんの目線まで座って「お利口さんだね。由夏です。よろしくね」と頭を撫でた。ショートカットに大きな目をした可愛らしい女の子だった。どことなく頭の良さそうな子に母親の春菜さんの血が色濃く出ている気がする。


「前に春菜さんが言っていた小学五年生のお子さんが?」


「そうそう。流石に一人にするには可哀想かなって」


 そこにはすっかり母親の顔の春菜さんがいた。店を出る前に春菜さんに着物の件の断りを入れると「気にしないで。言われてみれば一人じゃ大変よね。私が手伝えば良かったのに」と悪びれた様子を見せた。


 思い返せば、春菜さんにはお世話になった。仕事上、春菜さんと一緒の時間が多くて話をする機会が多かった分、最後にこんな一面を見せられたら、流石に情が湧く。こんなお姉さんがいたら楽しかったんだろうなって。


 店を出てから星哉くんとは言葉を交わさなかった。互いに目も合わさず、気のせいか星哉くんの目は赤かった。どこか不貞腐れたような俯いた様子。私もこのままだと星哉くんと気不味い感じになる。何を話せばいいのかわからない。


 いつも通りの感じではどうも星哉くんと接する事が出来ない。はっきりしている事は、このままではいけないという事だけ。

 

 商店街通りを抜けて国道沿いを歩き、斉藤さんと訪れた神宮に向かう。神宮の敷地内に入ると多くの人々と行き交った。小さな子供から大人、お年寄り達まで。それぞれの想いが伝わってくる。


 過ごしてきた家族の数だけ思い出の時間がある。それらを皆、噛み締めて過ごしているように見えた。この人達の中に迷い人がいて、今を楽しんでいる。見た目からはわからない、ごく普通の家族達。限られた時間を惜しむように、今の私と同じように、迫り来る最後をどう迎えるのだろう。


 山道を抜けて境内に入ると、露店が目立ってきた。焼きそばやジャガバターの香りが鼻腔をつく。こんなお祭りのイベントに初めて訪れた。無邪気な子供の声、太鼓の音が大気を伝わり振動する。


「それじゃあ、ここから別行動ね」


 春菜さんが突然、言い出した。私が呆気に取られていると「ほら、舞がぐずついちゃって」と舞ちゃんは四方八方に広がる露店に興味を持っているみたいで春菜さんのズボンを引っ張ってねだっている。正直、さっきから気にはなっていた。


「それならついて行きーーー」と星哉くんが話している最中、春菜さんが星哉くんに近づいて何やら耳打ちをした。終わると今度は春菜さんが近づいてきた。


「思い残しのないように楽しんで。それと……また会おうね。由夏さん?」

 

 淡い光に照らされた春菜さんの目にはうっすらと涙が溜まっているようだった。


 その言葉を受けて私も込み上げてくるものを隠せない。春菜さんの優しさにまた触れた。


「舞? あっちに綿飴があるよ、行こうか?」


 春菜さんが舞ちゃんの手を取って離れていくと、私は春菜さんに手を振って別れを告げた。春菜さんも歩きながら手を振ってくれた。


 残った星哉くんは言葉を探しているようだった。私もそう。きっかけが欲しくて胸の高鳴りが聞こえてくる。


 どちらから声をかけようか。この後、どうしようか。そんな堂々巡りを頭の中で何周もした。


「……なんかさ、調子狂うな」


 星哉くんが頭を掻きながら近づいてきた。私は苦笑しながら頷いた。さっきから互いにいつもと違う。理由ははっきりしているから、互いに咎めない。


「とりあえず、何か食べようか?」


 私が提案すると「そうだな」の一言だけ。その一言をきっかけにいつもの感じに戻った気がした。


 私は男の子とデートをした事がなかった。お祭りに一緒に行ける家族や友人もいなかった。射的をすると景品の駄菓子が取れて喜んでくれる人も、焼きそばを食べて口元にソースがついていて、教えてくれるような人も。歩き疲れて近くのベンチに座り、アイスを並んで食べる事も全てが初めてだった。

 

 こんなに楽しいものだと知れた。知ってしまったから、余計にまた体験したいと思ってしまう。こんなに穏やかな空気の中、笑い合って、美味しいものを食べて、楽しい時間が有限なものだと思いたくなかった。


 また来ればいいと簡単には言えない。


 私には『また』がないのだから。

 

 突然、大気を伝って轟音が鳴り響いた。人々の歓声が聞こえ、視線は空に向かっている。


 見上げると、空一面に花火が上がっていた。


「……綺麗だな」


 隣に座る星哉くんの顔が花火の灯りで照らされる。ナイアガラの滝の水滴のように火花が滴り落ちる。空を見上げる星哉くんの横顔がこんな大人な表情をするんだって知ると脈打った。


 柔らかい風と一緒に星哉くんの香りが鼻腔をくすぐる。汗の匂いと入り混じった、男の子特有の匂い。この匂いは以前嗅いだ匂いより大人の匂いだった。


 次々と打ち上がる花火は色濃く円を描き、断続的に空に舞う。鼻腔をつく火薬の香り。大気を伝って届く、振動と轟音。全てを記憶として刻み、私は消えていくんだ、きっと。


「これ、受け取ってくれないか?」


 星哉くんが差し出してきたのは裸状態の指輪だった。


「……どうしたの?」


「さっき、そこで買ったんだ。なんて言うか、今までのお礼? 色々頑張ってくれたし、助けてくれたからさ」


 照れ臭そうに頭を掻く星哉くん。さっきは大人っぽく見えたのに、今度は子供っぽく見えた。いろんな表情を見せてくれて、こんなプレゼントをくれる優しさを持つ星哉くん。


 星哉くんが私の左手を持って指輪を薬指に嵌めてくれた。装飾もないありふれた指輪。それでも私にとって初めての女性的なプレゼントだった。嵌めてくれた指輪を花火の灯りに照らして掲げる。銀色の指輪が光照らされた。


「あっ、ありがとう」


 思わぬプレゼントに感極まり、零れ落ちる涙。女性としての幸せを感じた。夏祭りと花火、サプライズのプレゼント。


 星哉くんは照れ笑いをしてくれているけれど、目の奥底では物悲しげさが垣間見えた。


 それが妙に現実を連想させた。


 嬉しさが絶頂に至った時に、胸の奥底に眠っていた負の感情が目覚めてしまった。


 私にはこの世界に来た時からみんなに秘密にしていた事があった。


 それは私が迷い人じゃないという事。


 星哉くんやチエさんがいう、迷い人は死の直前の記憶が無くなると言ったけれど、私には記憶がはっきり残っていた。


 こっちの世界に来る前に、高校を卒業して勤めていた不動産会社の経営破綻による関係者からのクレームに頭を悩ませて失業し、精神が崩壊。金が底をついて家を飛び出し、飛び出した先にかつての高校の同級生に蔑み、見捨てられて駅構内に辿りついた。疲労困憊や栄養失調による吐血を繰り返し、意識が朦朧とする中で謎の老婆から青い宝石が装飾されたネックレスを受け取ると私は息を引き取った。


 この事をチエさんに問い質された時に、正直に答えれば良かったのかも知れない。チエさんがどうして私を迷い人だと言ったのかわからないけれど、この世界がどんな世界なのか、わからない状況では正直に答えるより、流れに身を任せた方が都合が良いと判断した。


 あの時は斉藤さんがご家族を迷い人として蘇らした直後だったから余計にその方が良いと思った。それにチエさんがどんな人か私にはあの時、わからなかったから。でも今にして思えば、あの時にネックレスをくれた女性は、どことなくチエさんに似ていた気がする。今のチエさんはどこまで知っていたのだろう。


「来年も再来年もずっと、お前を呼び続けるよ」


 星哉くんの目には涙が溜まっていた。くしゃくしゃな笑顔の中に寂しさと後悔が残っているようだった。


「私が死んだ時って、誰が悲しんで涙を流してくれたんだろうなってずっと考えていた時期があったの。死んだらニュース速報が流れる訳でもないし、財産争いが起きる程、財産がある訳でもない。そんな小さな人間が死んで泣いてくれる人ってどれだけいたのかなって」


 私にはわからなかった。この世界に来るまでの間、いくつもの誘惑があった。誰かはわからない何十人の神様らしき声が聞こえた。


『このまま生き返って愛しき人と会わずに生きていくか、限られた時間だけ過去の愛しき人がいる世界に行って再会する事を望むか』


 似たような質問を何十回も受けて私は何がなんだかわからなかったけれど,後者を選んだ。心残りを解消する為に、目的を忘れない為に。それで目覚めたらこの世界に立っていた。

 

 だからきっと私は迷い人ではないと思う。じゃあ、私の存在は何なんだろう。残る可能性はチエさんが言っていた、自らの意思で蘇りを望んで、この世界に蘇った。でもそれも私には漠然としていて、しっくり来なかった。


 私は死んでいないのかも知れない。変な夢を長く見ているのかも知れない。それにしては、やたら現実味がある世界。

はっきりしている事は、もうすぐ私は消えていなくなる事だけ。これは数日前からわかっていた事。


 時々、意識は途切れる事があった。まるで死期を悟るような感覚。この世界から消えた後の事はわからない。本当に戻れるのか,戻っても死んでいるのか。それこそ神のみぞ知るってやつなのかも知れない。

 

 そうなると,これが本当に最後の星哉くんとの時間になる。


 あれだけ愛おしく,慎ましい時間に終わりが見えてくると、想いは加速していった。


「でもお前は良いよな。ずっと歳をとらないんだから」

 

 確かにこの世界では星哉くんの言う通りかも知れない。星哉くんは高校二年生のあの日、同級生として河川敷で出会った時のまま。


 でも私は違う。私は高校を卒業して就職をして十九歳の誕生日を迎えた。


 だから星哉くんが今の私を想ってくれているのは、あの時の私と違う。


 私は十九歳で、星哉くんは十七歳。

 

 私はずっと後悔していた。高校を卒業して社会人になって、死ぬ間際になってもずっと心残りだった。心の奥底に大きな蓋をして、日々の生活に余裕が無くなってきた時には目を背けた事もあった。

 

 あの時、星哉くんの家に行った帰りに星哉くんは私を家の近くまで送ってくれた。その際に星哉くんが『明るい未来はやって来ない』に返す刀のように私が証明すると言った。


 幸せな生活を見せると豪語した後の星哉くんの表情が目に焼き付いている。あの何とも言えない、物憂げで悲哀に満ちた目に反した口元は苦渋を決断したように尖らしていた。

 

 どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。


 私は星哉くんの想いや考えを尊重しないで、寄り添わず、土足で星哉くんの心の中に入って暴れ散らかした。


 言い訳をするならば星哉くんの言葉に意地になり、話していくうちに願望が塵に積もって発してしまった。

 

 今思えば、あの時に一緒に幸せな生活を過ごそうとどうして言えなかったのだろう。


 去り行く星哉くんの背中に何も言えなかった、あの背中に言ったら星哉くんの足は止まったのだろうか。


 言ったら星哉くんは何て答えを返したのだろう。愚かだと笑うだろうか。あの時の星哉くんなら言い兼ねない。


 どうして助けてあげられなかったのか。一方通行で身勝手な想い。


 私は星哉くんに謝りたかった。


 あの時、あんな事言ってごめんねと。あの時、あんな事を言わなければ、その後の星哉くんが変わる事はあったと考えただけで頭を悩ました。


 謝って済む事じゃないかも知れない。この世界で生きている星哉くんがあの時の星哉くんじゃないのかも知れないけれど、私は謝りたかった。


 花火が打ち終わると、拍手喝采が沸き起こる。暫くすると、露店は店仕舞いのように畳み始めた。あれだけ多かった人々もまばらになってきて、方々に帰っていく。


「まぁ、お前と再会してから何だかんだ、楽しかったよ」


 星哉くんが日々成長して前向きに過ごしている事がとても嬉しかった。


 未来を変えたい、未来を楽しく過ごしたい。


 ずっとそう思っていた。


 最初からわかっていた事。


 覚悟していた事。


 それなのに今の星哉くんの顔を見ると愛おしくて,愛おしくて堪らない。


 神様には申し訳ないけれど、もう少し欲張っちゃ駄目なのかな。


「……ごめんね、星哉くん」


「うん? 何が?」


「ううん、何でもない」


 言葉にしてみても感情は湧いて来ない。心残りだなんて大層な理由なんてなく、謝罪は建前だったという事。


 私は星哉くんにもう一度、会いたかっただけなんだ。


「由夏が謝る事なんて何一つないからな。お前のおかげで僕は変われた。あの日に再会してから僕を支えてくれた。助けてくれた。だから、そんな顔をするなよ?」


 もう十分だった。星哉くんからたくさんの愛をもらった。


「……また、会おうな」


 少しずつ体が軽くなっていく体感。薄らと光を帯びた全身は、次第に透けるようになっていく。


 これは星哉くんとのお別れの時間なのだろう。辺りにいる人々も光を帯びて、私のように淡く黄色く光出している。彼等は迷い人なのだろう。小さな子供からお年寄りまで様々だった。


「なぁ、何か言ってくれよ? しんみりするのは無しだぜ?」


 星哉くんの顔は涙で崩れていた。星哉くんの顔を見れただけで胸がいっぱいだった。


 それでも笑顔で頷いた。きっと,再会はないとわかっていながら大人の女性として背伸びした。


 だって私の方がお姉さんだから。神様のいたずらがない限り、訪れる事はない。


 光は段々と強く放つようになると、星哉くんの顔は見えなくなってきた。


 何も見えず、何も聞こえない無の時間。これで私は本当に最後になるのだろうか。


 焦りや困惑はもうない。心残りはすっかり済んだ。


 思い残しもないけれど、可能ならば神様? 来世は星哉くんと一緒に生きて行きていきたいです。


 ペンダントも何もないけれど、強く願った。この気持ちだけは来世でも変えたくない。


 一説に恋というのは、一時的な自分本位であり、愛は永遠で他人本位だと何かの本で読んだ事があった。


 それなら私は恋を知らない。


 この気持ちは、きっと愛だから。


 天国に行っても、永遠に星哉くんを思い続ける。


 私は恋を知らずに愛を知った。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?