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『眠れる海の乙女』第12話

『架純はもう、隼人君の前には現れない』

 俺の聴力に異常をきたしていなければ、目の前に立つ聡は確かにそう言った。

 その言葉の意味が、俺にはどうしても理解が出来なかった。三年越しの再会を果たし、再び恋人関係になったばかりにも関わらず架純が会わないなんて理解に苦しむ。

「……どっ、どういう事ですか? 架純が現れないって?」

 口を閉ざし、目頭を押さえながら俯いて言葉を発そうとしない聡。痺れを切らした俺は、結衣に問いかけた。結衣は聡の方を見遣ると両者の視線が合わさる。聡が頷いた事を確認した結衣がゆっくりと口を開き始めた。

「架純ちゃんが、部屋を解約しに来たのよ。社長が亡くなった後くらいにね」

「……どうして? そんな事、架純は一言も――」

「隼人君はここの二階に住み始めたから気付かなかったのかもね」寂しそうに見つめてくる結衣に困惑を覚えた。こんなに悲しみを帯びた表情の結衣を初めて見た。

「ちょっ、ちょっと待って下さい。それと架純がいなくなるのと、どういう関係が?」

「だめ、これ以上……私の口からは……」嗚咽を堪える結衣にこれ以上問い質す事は出来ない。携帯を取出して架純に電話をした。逸る気持ちとは裏腹に無情な呼び出し音が繰り返されるだけだった。

「……っつ。架純……どうして」俺が何かしたか? 架純に嫌われるような事をした覚えがない。強いて挙げればあの時だ。あの時から架純に会っていない。正和の棺守りの際、正和を失った喪失感に侵された俺が、架純に距離を置くように言った事。だがあの程度の一言で架純が離れるとは考えにくい。架純に会っていない間、一体何があったんだ。

「さっきも言ったけど、その日記を読めば全てわかるよ?」聡が再び俺が持っている日記を指差した。このぶつけようがなく、やるせない気持ち。頭に血が昇った状態では難しかった。だが二人を見遣っても俺が日記を読む事を視線で促していた。渋りながらも俺は一呼吸をついてからゆっくりと日記を捲った。

 始めの数ページを捲り読み始めていくと、そこに書かれている内容を信じる事が出来なかった。そこに書かれている事実は俺が知る事実ではなく、架純や結衣、そして正和や小百合達が知っている事だった。

「……何だよ、これ」全てを読み終える前に開いた日記を閉じた。もうこれ以上、読み進めるには余りにも酷だった。

「架純ちゃん、店に来た時にそれを渡しに来たの。隼人君が落ち着いたら渡すようにって……」

「……落ち着いたら?」

「架純ちゃんがどうして私に渡したのか、少しは気持ち考えなよ? 社長が亡くなって、悲しむ気持ちもわかるけど……もっとさ、架純ちゃんの気持ちも考えなさいよ。私だって苦しかったんだよ? 社長の件だってあったから、なかなか渡せなくて……それでも架純ちゃんは隼人君が落ち着いたらって言うから……もう、どうして気付いてあげられなかったのよ?」語気を強めた言葉を放った後に、結衣は再び声を押し殺すように涙を流し始めた。結衣が最近、不機嫌だったのはもしかしたらこの事だったのかと合点がいったものの、混乱した頭に綺麗に内容が入ってこなかった。

「そんなに信じられないなら、自分の目で確認して来たらどうだい?」差し出された架純の部屋の鍵。まだ腑に落ちない俺に聡が提案してきた。暫くアパートに戻っていない俺にとって俄かに信じ難かった。

 高鳴る気持ちを必死に押さえながら聡から鍵を受け取りアパートに向かった。店を出てから足早に歩く俺の足は次第に加速を始めると走り出した。車で向かう方が断然早かったにも関わらず思考が回らなかった。

 何故架純は、俺に何も言わずに消えてしまったのだろう。

 何故架純は、俺に黙っていたのだろう。

 何故架純は、俺の前に現れたのだろう。

 何故……どうして……何百回繰り返された疑問に答えが出ぬまま、アパートに辿り着いた。荒ぶる呼吸と滴り落ちる汗を拭い、架純の部屋まで向かった。玄関扉の前に立っても、中に人がいる気配が感じられない事で結果は見えているようだった。それでも俺は、鍵を取出しゆっくりと扉を開けた。

「……嘘だろ?」

 まさに蛻の殻だった。埃臭さと生活臭だけが部屋に居座っていた。以前架純が引っ越して来た時の、荷解きした書籍やシステムラックもない。落胆しながらも室内に入り隅々まで見て回った。

「……何なんだよ、あいつ」

 次第に頭に血が昇り出すと苛立ってきた。単純に他の場所に引っ越ししただけだろう。そんな考えに及んだ。架純は大学に通っている訳だから、そう遠くに引っ越す訳がない。もしかしたら駅前にある女子大に行けば何か手がかりがあるかも知れない。そう思い立つと俺は部屋を後にして大学に向かった。正和ホームのある交差点まで戻り商店街通りを抜けて駅の北口まで向かえば大学は目の前。

 大学に着いたら架純の事を知る友人に聞き込みをしてみよう。そうすれば、何かきっかけが掴めるかも知れない。

 無心に走り、気付けば商店街通りまで辿り着いた。結衣のお気に入りだったタピオカドリンクの専門店がある店の看板が右手に見えてきた。だがそれと同時に、俺が知る顔が視界に入った。専門店の並びにある数軒手前の雑貨店。動かしていた足を止めて立ち止まった。

 以前結衣のお使いでタピオカドリンクを買いに来た時、店先で架純と一緒にいた同級生。名前は確か、雅美と言っていた。下手に大学まで行って聞き込みをするより断然手っ取り早い。店先に立つ雅美に向かって歩いて行った。

「……あの、こんにちは」幾月日も経っていた雅美との再会に、若干の緊張を覚えながらも雅美に声を掛けた。すると雅美は俺の顔を見るなり驚いた様子を見せた。若干、俺に対する慄きを見せたので「あの……僕の事、覚えています? 架純の……」と自身の顔を指差しながらおどけた様子で尋ねた。

「……架純ちゃんの彼氏?」恐る恐る質問を質問で聞き返してくる雅美に「そう……思い出してくれた? 前にここで架純と――」

「あぁー、もうやっぱり? 心配していたんだけど。架純ちゃん、どう? 元気にしてる?」と俺の言葉を割って入ってきた。

「……いや、俺がそれを聞きたくて来たんだけど。架純と連絡取れなくて……大学一緒なんだよね? 架純の事、何か知らない? 架純、急にいなくなって」話しながら雅美の表情が曇っていく事に気付いた。雅美は架純の事を何か知っている。だが雅美は俺が話終えると視線を逸らすと口を閉ざした。

「……ねぇ? 何か知っているんでしょ?」それでも口を閉ざす雅美に対して苛立ちを覚えた。

「隠してないで、知っている事教えろよ? なぁ、おい?」雅美の両肩を掴み、声を荒げた。店先の出来事に通行人の冷たい視線を背中に感じた。店には雅美しかいない様子。雅美は俯いていた顔を上げると冷めた目を向けながら、ゆっくりと口を開いた。

「……何も聞いてないの?」先程の甲高い声色とは違い低く、くぐもった声で雅美が尋ねてきた。

「……どういう意味だ?」やはり雅美は架純に起きた出来事を知っている様子だった。

「初めに言っておくけど私、架純ちゃんとは大学の同級生でもないし、架純ちゃんも私も大学に通ってないから。あと私、架純ちゃんより年上……つまり、あなたより年上。これ、離してくれる?」

 突如飛び込んできた事実に、思考が追い付かず立ち尽くした。俺が掴んでいる雅美の両肩に力が入っていない事に気付いた雅美は、ゆっくりと俺の両手を払った。その様子を見た雅美は「……本当に知らなかったのね」と俺を憐れんだ。

「……順を追って、話そうか? もう話して良いよね? 架純ちゃんはあなたに内緒にしていたみたいだけど……」躊躇いがちに話す雅美。

 その言葉に頷いて意思表示をした。それを見た雅美は「……あらぬ疑いをかけられるのも御免だしね」と仕方なしの様子で口を開いた。

 雅美が話した出来事は、俺が全く知らない事ばかりだった。雅美が嘘をつくようなタイプの人間ではない事は感覚が言っている。それを信じるなら事実なのだろう。だが俺には、それを受け止められる強さもなく気力もなかった。

 ただただ、足が赴くままに街を彷徨っている。歩いている実感もなく風が流れる方向に背中を預け、押されるようにただ動いているだけ。放心状態に陥った俺を行き交う人々が不審に視線を向けている事に自身は全く気に掛ける事もなかった。

 架純が大学に通っていない事。雅美が働く雑貨店でアルバイトをしていた事。アクアマリンのネックレスに惹かれていた事。だが架純は、二週間前に辞めた事。そして何より、その理由が俺の心を痛めつけた。

「なんだよ……なんなんだよ、架純」

 架純が目を患っている事を雅美から初めて聞いた。にわかに信じがたい事実だった。そんな様子をおくびにも出さず、架純は一人苦しんでいたというのか。最初に会社を訪れた時も……鴨川に行った時も……花火を見た後過ごした、あの夜の時も……。

 突然俺の前に現れて、こうしてまた突然俺の前からいなくなるのか。

 勝手過ぎるだろう……なぁ、架純。

 どうして俺に隠していたんだよ……。

 俺の気持ちは……この想いはどうしたらいい……。

 架純に伝えられていない想い……。

 これから先、当たり前に一緒にいると思っていたのに……。

 どうしてこんな回りくどい事を……。

 一縷の望みを抱き、こうして再び架純が住んでいた部屋を訪れても架純はいない。架純の考えや想いがわからなくなっていた。玄関先で膝から崩れ落ち、突っ伏した時にようやく店を出てからずっと持ち歩いていた日記帳に目をやった。

「……架純」

 全てを読む事がとても怖かった。怖かったから、聡と結衣がいたあの場では途中で目を背けてしまった。読んでしまったら、この状況を受け入れる事になるから……。

 涙は枯れ果てて、零れ落ちる事もなくなった。

 もう充分悲しんだ。架純がいなくなった事実はもう受け入れた。

 俺はゆっくりと日記帳を開いた。 

                

          ※※※


『隼人君と三年振りに会った。あの頃と変わらない、素朴な雰囲気で、ほっとした。でも私の顔を見た時、隼人君、全然気づいてくれなかった』

 当たり前だろう? まさか架純が尋ねてくるだなんて、考える訳がないだろう。大人っぽくなった架純に、戸惑った事を今でも覚えている。妙に緊張して、ぎこちなく会話した事も。

『隼人君に何しているのと聞かれて、咄嗟に女子大に通っていると嘘をついた。デザインの専門学校を辞めて引っ越してきたけれど、本当は大学に通って語学の勉強をしたかった』

 架純、専門学校に通っていたのか。だからって、大学生ってどうして嘘なんか。

 その後は、引っ越し後の家庭の様子が断片的に書かれていた。初めて知る事実に、読み進める事を躊躇う程だった。病気と診断された経緯も書かれていた。

『隼人君と部屋を見に行った時、これから始まる展開に、すごくワクワクした。でも、隼人君の余所余所しい態度が気になった。だから先手攻撃を開始。思い出のキーホルダーを見せてみた。隼人君、すごく焦った様子だったけど、ちゃんと持っていてくれた』

 架純の事を想い続けていた自分と、俺の事を想い続けていた架純。あの時は、架純と同様俺も嬉しかった。だが妙な照れが邪魔をして素直になれなかった。

『隼人君にカレーを作った。本当は、私から夕飯を誘うつもりだったのに、隼人君から声をかけてくれた。あの時は、すごく嬉しかった。きっと結衣さんが隼人君に言ってくれたのかな? 美味しそうに私が作った料理を隼人君が食べてくれて、食卓を囲う空気は、なんだか新婚夫婦みたいだった』

 結衣から聞かされていたものの、初めて家族を意識した時だった。温かく、仄々した時間を過ごした事を覚えている。

『隼人君に鴨川に行こうと話をした時は、すごくドキドキした。カレーを口実に誘ったのは、ちょっと強引だったかな。でも、どうしても隼人君と行きたかったんだもん』

 俺も鴨川と架純の口から聞いた時は意識した。三年前の出来事を。少々強引さを感じつつも、架純が紡ぐ言葉を待っている自分があの時いた。

『アルバイトの面接を受けに行った時、隼人君と会って、本当に驚いた。雅美さんにはあの時、悪い事しちゃったな。目が見えなくなる前に、アルバイトをしてみたかった。でも、不安があった。雅美さんが気さくな人で嬉しかった。隼人君が言っていたけど結衣さん、タピオカが好きなんだ。今度、お世話になっているから、奢ってあげなきゃ』

 あの時がそうだったのかと合点がいった。

『来週の鴨川、ちゃんと行けるかな? 隼人君は大丈夫って言ってくれたけど。不安だったから、もう一度夕飯に隼人君を誘った。もし行けなかったら、隼人君と過ごす時間が少なくなるから。同じカレーだったけれど、隼人君は喜んでくれた。それにしても隼人君のあの一言は許せなかったな。私も癇癪起こしちゃったけど、あれは隼人君が悪いんだから』

 その時は既にスケジュールが調整ついていたから問題なかったのに。架純に妙な心配を与えてしまっていたのだと後悔した。

『結衣さんに連絡した。タピオカ好きなら、今度買っていきますって。でも話したら、結衣さんが気遣ってくれて、隼人君に買い出し頼まないって。隼人君に働いている所、バレたら嫌だからって。だから、こっそり結衣さんに買って渡しに行っていた。隼人君、知らなかったでしょ? 結衣さんは、今でもタピオカ好きだから、買ってあげなよ?』

 結衣が突然タピオカを飽きたと言った時に疑問に思っていたが、架純が関係していたのか。この辺りから、俺を意識した書き方に違和感を覚えた。

『あと、夕飯の時に隼人君が言っていた男の人。何となくだけど、お兄ちゃんじゃないかなって思って、メールしたの。そうしたら、やっぱりお兄ちゃんだった。隼人君に声かけられたって。だから、怪しい人じゃないから、隼人君、心配しないでね』

『隼人君と鴨川に行く前夜。楽しみ過ぎて、全然眠れなかった。早く起きてお握り作ったりしようと思っていたのに、ちょっと寝坊しちゃった。前の日の夜、隼人君からメール来たけれど、隼人君も寝れなかったんじゃないのかな。もしかしたら隼人君、この前の事を気にしていたんじゃないかな』

 そうだよ。あの時は俺も無神経な一言を言ったと反省した。今度からは乙女心ってやつを考えないといけないな。加純は俺が思っていた以上に気にしていなくて良かったよ。

『隼人君が運転している姿は隣で見ていて、とても新鮮だったな。ちょっと運転が荒かったけど、緊張していたのかな。でもあの時は、驚いた。いきなり、彼氏いるのって聞かれて。お互い想い合っていたのかなって、思ったら嬉しくなっちゃった』

『隼人君とのデートは楽しかった。でも、不安が残りながらの時間は、夢中になれるものじゃなかった。水族館に着いた頃から……だから、あの時……』

 架純が書いてあるあの時は、クマノミの色を見間違えた事だろうか。

『隼人君と一緒に行った、思い出の場所。あの時、私から気持ちを伝えるつもりだった。でも隼人君から言ってくれた。もう一度始めようかって。嬉しかったと同時に、私はとても複雑だった。寂しい思いをしたくないと言った隼人君に、私は応えられるのか不安だった。いずれ訪れるであろう、私の闇に隼人君が覆いつくされた時。私はどうしたらいいのって』

『あの時間が私にとってとても神秘的で、心が満たされた時間だった。そんな予感めいた事を感じていたから、こっそり隼人君とのデートを録音していた。今でも不安に押し潰されそうな時、思い出に想いを馳せている。隼人君の声を聞いて、心が満たされるの。でもそれは、一時的な現実逃避に過ぎないのかも』

 俺の目に次第に涙の粒が溜まり始める。

『想像していた以上に、薬が効かなくなってきた。先生は、個人差があるって言っていたけれど、このままじゃ一年ももたないかも知れない。もっと隼人君と一緒にいたい、もっと隼人君と触れ合いたい。せっかく再会したばかりなのに、止めどなく溢れ出てくる想いをどうしたらいいの』

 この辺りから文字が歪んだり、霞んでいた。

『雅美さんのおかげで、隼人君を花火に誘えた。焦っていた私にとって、それはとても嬉しい出来事だった。だけど同時に、もう最後にしようと決めた。隼人君と過ごす最後のデート。それに、雅美さん達にこれ以上迷惑をかける事は出来ない。皆、心優しい人達だから、こうして隼人君と過ごす事が出来たんだって、感謝しなくちゃ』

『お母さん、やっぱり心配していたな。浴衣の着付けを手伝いに来てくれたけど、いつまで一人暮らしするのって。だから、お母さんに聞かれた時に最後だって伝えたら、すごく安心していた。だからお母さん、あんなに泣いちゃって』

『花火を見た帰りの夜、すごく嬉しかった。私にとって初めての体験が、隼人君で本当に良かった。好きな人の顔を見れている時に、愛に満ちた経験が出来た』

 俺にとっても、初めての経験だった。あの時の悲壮に満ちた架純の目が印象的だった。だからって、こんな展開になる事を予想出来る訳がない。

『花火みたいに、パッと隼人君の前からいなくなろうかなって。このまま一緒にいたら、隼人君だって困るに決まっている。重い話は、隼人君に似合わないから。隼人君の人間としての良さが霞んじゃう。隼人君の輝きに、私の闇が覆い尽くす事は絶対にいけない事。今の隼人君には、似合わない。自分勝手だよな。隼人君は、怒るかな。心配もしてくれるだろうな。もし、隼人君に寂しい思いをさせちゃっても、その時は許してほしいな』

 嗚咽を繰り返し、呼吸もままならない程に切なさと悲しさが込み上げてくる。

『でもね、隼人君にこんな姿を見せる事が、すごく恥ずかしい。隼人君に私の目が見えなくなる事を同情して欲しくないし、憐れんで欲しくない。隼人君の前で私の全てを曝け出す事が、とても怖い。一人の女性として、接して欲しかった。だから再会した時に、大学に通っているだなんて、見栄張っちゃったのかも』 

『それでも隼人君に知っていて欲しいから、こんな日記を書いている。矛盾しているな、私。きっと、隼人君がこれを読んでいたら、面倒臭い彼女だったなって笑ってくれたら、嬉しい。隼人君の笑顔が一番好きだから……』


          ※※※


 最後に書かれていたページは、なんとか読み取る事が出来た。文字が間延びしていた。そして架純の日記はここで終わっていた。

 俺が気付いていたら、どれほど変わっていただろう。いや、気付いていた所で、俺に何が出来ただろう。どれほど架純の事を隣で支えてあげられたのだろう。募る想いは後悔の連続だった。

 架純に会いたい。

 架純が例え、俺と会う事を望んでいなかったとしても。その時、開けた玄関扉から靴音が響いてきた。やがて背後から陰りが差し伸びて、俺を覆い尽くした。涙を拭い、振り返るとそこには大きな人影が見えた。逆光で判別出来ない人影が一歩室内に足を進めると、ようやく人影が聡だと判別出来た。

「……隼人君」

 心配そうに聡が声を掛けた。人前でこんなに泣き苦しむ姿を、他人に見せた事はなかった。今の俺には恥じらいや羞恥心など一切気にならない。無様な姿だと思われてもいい程に俺の心は疲れ切っていた。

「……かっ、架純が……架純が……いない」

 子供のように泣きじゃくる。聡は自身に向けられた視線を逸らした。目頭を押さえ、顔を上げると決心したように俺に問いかけた。

「……架純に……架純に、会いたいかい?」

 言葉の意味を一瞬、理解が出来なかった。涙を拭いもう一度聡に問い質す。

「……会ってくれ、架純に」

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