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『二人のソクラテス』第5話

 私は多くを望まない性格だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。

 

 慎ましい日々を過ごす中で欲が出てきて、この日々が永遠に続けばと思ってしまう。


 理想と現実の狭間で苦しい時間が訪れると、そんな事を思う日々だった。


 私なんて、所詮はそんな人間。


 心のどこかで薄々感じてはいたけれど、眼前にいつか思い描いた願望が手の届く距離まで近づけば欲望が露わになる。


 商店街通りに提灯や垂れ幕など飾り付けがされ始めた。


 街並みは一層厳かになり雰囲気が一層増す。来週に控えたお帰りな祭に向けて街中が活気づいてきた。

 

 街中がそんな状況にも関わらず、ここだけは変わっていなかった。


 星哉くんは相変わらず、のんびりデスクに座ってパソコンと睨めっこしてサボっているし、春菜さんは淡々と事務処理をこなしている。


 私は雑務を一通り終わって、手持ち無沙汰の状態。良い加減、星哉くんに対するきっかけが何か欲しい状況だった。


 にも関わらず、何も掴めないまま時間だけが過ぎている。


 いつまでここにいられるか、わからない中で悪戦苦闘が続いていた。


「昨日はどうも」


 突然姿を見せたのは、須田さんだった。


「どうして、ここが?」と星哉くんがデスクから立ち上がり尋ねると「小さな街だしな。それに記者を舐めるなよ」と挑戦的に答えた。


 私はあまりこの人を好きじゃない。最初からそうだった。


 不遜な態度に相変わらず汚らわしい格好。髭も伸びきって清潔感がない。


「それで、何の用ですか?」と星哉くんのやや圧をかけた問いに対して須田さんは「家を借りたいんだ。小さくていい。そうだな、家賃は五万以下。期間は一ヶ月でいい」と当然のように答えた。


「……目的は何ですか?」


 私も思わず尋ねてしまった。こんなに執着して粘着質な態度を見せつけられると、嫌気が差してくる。


「お嬢ちゃん、昨日言っただろう? お帰りな祭について教えて欲しいって。誰も教えてくれないからさ、車中泊で疲れたんだ。ホテルや旅館は空きがないし、それで短期で貸してくれる所がないかってきた訳。だから俺は客なんだよ?」


「あなたの事は街中で噂になっていますよ。小さな街ですから。横柄な態度を取られているようで。あまり私達を困らせないで下さい。これ以上やると警察を呼びますよ?」


 あまり見た事がない星哉くんの毅然とした態度に胸が躍った。それに応えるように須田さんは「それで、賃貸はどこかあるのか?」と横柄な態度。


 私が思いつく賃貸は二件あった。うち一件は私が間借りしている部屋の下。つまりこの店の向かいにある。


 それを星哉くんが貸すとは思えないし、貸して欲しくない。私が何だか嫌だから。


「星哉さん、例の場所にこちらの方をお連れしたらどうですか? 時間的に今なら間に合うと思いますが」と春菜さんが何か星哉くんに伝えた。


「いっ、いや。さすがにそれは。それにチエさんが了承するとは思えないですよ」


「チエさんには私がこの後に連絡をしますので」


 どうやら二人には何か考えがありそうだった。


 すると星哉くんは渋々といった様子で頷くと須田さんに「お見せしたい場所があります」と話した。

 

 須田さんがにやりと笑った後、星哉くんが先頭で店を出ると須田さんが跡を追う。


 私が行く末を見ていると春菜さんが「由夏さんも一緒に行ってあげて」と言った。


「でも私が行った所で何も。それに仕事だって残っているし」


「仕事は私が引き継ぐから。それに由夏さんも見た方が色々都合が良いと思うの」


 何の都合が良いのだろうと思ったけれど、春菜さんの押しに身を任せて、二人の跡を追うように店を出た。


 少し先を歩く二人に追いつくと何やら話し込んでいた。


「……本当に死んだ人間が蘇るのか?」


 須田さんがあとを追ってきた私をちらりと見た後に星哉くんに尋ねた。


 さっき見た時より気のせいか須田さんの目が鋭くなっていた気がする。


 ようやくお目当てのものが分かるからか活き活きとしていた。


「正確に言えば蘇るとは違います。多くの神話や宗教の考えであるように、例え亡くなったとしても霊魂は残ります。その霊魂を可視化させる事によって、まるで生き返ったように思われる方がいますが、実際には蘇っていないのです」


「その……どれくらい蘇っていられるんだ?」


「そうですね。大体、お帰りな祭が終わった頃でしょうか。お盆が過ぎれば呼び寄せた霊魂は、また黄泉の世界に戻りますからね」


 その答えを聞いて明らかに肩を落とした須田さん。


 淡々と説明する星哉くんは、何だか機械的で少し怖かった。


 星哉くんを先頭に私達が向かっている先はどこかと思っていたが、見慣れた景色が前方に見えてきた。


 いつか来た商店街のアーケードが前方に見える。


 アーケード前の大通りの交差点で信号待ちをしていると、星哉くんに集る小学校低学年くらいの子供達が何やら星哉くんに話しかけていた。


『なぁなぁ、これからチエ婆ちゃんがすごい事やるんだってよ』


『俺ら、これから見に行くんだ』


 それらを星哉くんはちょっと面倒臭そうに相手していた。


 チエばあちゃんという人物がどんな人物か私は知らない。時々、耳にする程度の存在。勝手に物凄い力を持った、まるで映画やドラマに出てくる占い師のような仰々しい服装をしている人物が、脳内で作られた。

 

 信号が青になると横断歩道を走ってアーケードを潜り抜ける子供達。私達もあとを追うように歩いて行った。

 

 行き先がようやくわかってきた。恐らく、先日亡くなったメンチカツのお爺ちゃんの所なのだろう。


 そのお爺ちゃんをチエさんが蘇らす。それを星哉くんは須田さんに見せに行こうとしているに違いない。


 案の定、暫く歩いていると人集りが出来ている場所があった。


 そこは先日、救急車が来て人集りが出来ていた場所、星哉くんが小さい頃に通っていたメンチカツ店の前だった。


 人集りはざっと、三十人くらい。その中を星哉くんと須田さんは掻き分けて進んでいく。


 私もあとを追うと円の中心には、杖をついた七十代くらいの老婆が祈るように目を閉じて立っていた。


 見窄らしい服装と言ってしまえば終わりだが、どこか見覚えがあるような既視感を覚えた。


 恐らく、あの人がチエさんなのだろう。そのチエさんの前に女性と小さな女の子が両膝をついて合掌して頭を下げている。


 まるで神様に祈るように。


 須田さんに気付いた取り巻きの人達に星哉くんが「チエさんの了承はもらっています」と説明すると、取り巻きは渋々頷いた。


 それで如何にチエさんなる人物が力を持った人かどうかわかった。


「……おい、何が始まるんだ?」

 

 須田さんが小声で星哉くんに尋ねた。私も不安だった。


 如何にも商店街に買い物にきたお婆ちゃんのような出立ちの恐らくチエさんなる人物を目の前に、取り巻きが固唾を呑んでチエさんを見守っている、この状況。


「霊魂が姿を現します。チエさんが今、呼んでいます」


「……嘘だろう?」


「本当に死んだ人が蘇るの?」


 俄に信じ難い。俄に信じ難いが、心のどこかで信じてしまう自分がいる。


 チエさんはただ、皆に見守られながら、ただ右手に杖をついて少し頭を下げながら祈るように目を閉じて立っているだけ。


 それが五分くらいだろうか。その状態が続いた。


「……なぁ、悪いが俺は帰るぞ。こんな事実がある訳なかったんだ」

 

 愛想を尽かした須田さんが星哉くんに告げて踵を返そうとした時だった。チエさんの足元から突如、眩い光が発光される。


「なっ、なんだ?」


「真実を……見て下さい」


  私も眩しさに手で遮る。とても前が見える状況じゃない。やがて光が収まり、周囲のどよめきと喧騒音が収まる。


 チエさんと小さな女の子とその女の子の母親らしき女性の間に水色のパジャマを来た老人が立っていた。


「ふぅ、成功じゃ。ご苦労さん」


 チエさんが祈りを捧げていた二人の肩に手を当てた。


 二人は間に立ってる老人に抱きついて「うっうっ、お父さん」と泣き叫び、「うわぁぁぁ、おじちゃん」と泣いていた。


「なっ、何じゃお前達。どうした?」


 蘇った老人は状況を理解出来ていない様子だった。


 戸惑っている老人にお構いなしに二人はチエさんに頭を下げると店の中に入っていった。


 取り巻き達の拍手喝采。


 その後、方々に散っていった。


「ほら? メンチカツの店主が蘇りました」


 星哉くんは鼻高々に私達に話した。確かにあの時、私も救急車に運ばれる所を見ていた。


 その後に亡くなったと話も聞いた。それなのに目の前に広がる事実。


 これはお帰りな祭を信じるしかない。有り得ない事が起きたんだ。


「……なぁ、今のが本当に?」


 両肩を小刻みに震わせながら、星哉くんに尋ねている須田さん。


 須田さんは目の前に起きた現実が本当の現実なのかどうか、何が起きたのか。


 あまりの衝撃だったのだろう。似合わない程、無様に見えた。


「ええ、そうですよ。迷い人です」


「……まっ、迷い人?」


 私は思わず聞き返した。


「この時期以外の霊魂は本来、あたりを彷徨っているんです。だから蘇った人の事を迷い人と呼びます。そして私達がその迷い人を蘇らす事を、お帰りな祭と呼びます」


 要は本来、戻るべき場所。この地に住んでいた人が亡くなり、霊魂が彷徨っている人をもう一度、この地に呼ぶ。


 だから、お帰りなさい。つまり、お帰りな祭って事なのだろう。


「あっ、あの?」


 須田さんがチエさんの元に駆け寄って、頭を下げた。


 あまりに突然の事で制する事が出来なかった。


「どっ、どうか私も蘇らせて頂きたい人がいまして」

 

 今までの言動からは似つかわしくない程に須田さんは、チエさんに両膝をついて深く頭を下げた。


 呆気に取られているとチエさんが「お主か? 街中で噂になっているやつは」と怪しそうに見下ろしていた。


「チエさん、お疲れの所、申し訳ないです。春菜さんから連絡は?」


「おぉ、星哉か。何じゃ、この男は」


 星哉くんが須田さんの横に近寄って、事情を説明し始めた。するとチエさんが「場所を変えようかの」と話した。


 チエさんが杖を上に上げるとどこから来たのかスーツ姿の男性が姿を現してチエさんはその中年の男性に何か話した。


 するとそれほど時間を経過しないで、商店街に似つかわしくない、黒塗りの車が私達の前に停まった。


 車に詳しくない私から見ても高級車だと分かる。

 

 私達はそれに乗せられると、十分も乗らずに車は停まった。


 移動中、星哉くんは物怖じせずに車窓を眺めていたが、私と須田さんはどこに連れて行かれるのか、聞くにも聞けなかったので緊張し切っていた。

 

 車を降りると、どうやら神宮だった。境内を横切り、チエさんとスーツ男性を先頭に後ろをついて歩く、私達三人。


 澄んだ空気が綺麗で木々の囀りがとても耳心地良い。石段をいくつか登り、山道のような細道を抜けると、開けた場所に出た。


「ここはの、地上で一番霊魂が集まりやすい場所なのじゃ」


 辺り一体は木々に囲まれていて広場のような場所。その中心に小さな石碑のようなものが気になった。


「さて、ここまで来た理由がある訳じゃが……」


 チエさんは杖を両手で持って、力強く地面に向かって刺した。


 その一瞬で周囲の空気が一変して厳かな空気になった気がする。視線は須田さんを捉えていた。


「その前にお主、本当の事を話してもらわないとな……何も出来ぬぞ?」


 須田さんに探りを入れているチエさん。


 何の事かわからないけれど、当の須田さんは苦虫を噛み潰したような顔を私と星哉くんに向けている。


「いいか、お主。本当に心の底から望んでいる事を叶えたいのなら、プライドもクソもないんじゃよ。泣いて懇願しろ。恥をかけ。みっともない所を見せてみろ」


 何かを須田さんは私達に隠しているのは、何となくこれでわかった。須田さんが呻き声を上げるとチエさんの前で膝をついた。


「わっ、私は妻と娘を生き返らせて欲しいです」


「……それで? 他には?」


「くっっ。彼等に話したのは事実と異なります。彼等に話したのは全て私の事です。私の本当の名前は須田圭吾ではありません。以前、趣味のテニスサークルで知り合った際にもらった名刺を見せて彼等を騙しました。私の名前は斉藤修二。半年前に海難事故で妻と娘が行方不明になり、家族を失って教員の仕事も辞めて、私の人生は絶望の日々です。ひとえに私の見栄でした。奇異な視線を向けられる事が怖くて、そんな怪しいお帰りな祭の話を真面に聞いた所で煙に巻かれるだけだと。記者として取材すればいけるだろう。だから、私は……」


 泣きながら自白する須田さん、いや斉藤さんが惨めに見えた。


 自分の奢りや自尊心を保つ為に不遜な態度をとって、大きく見せようとした。それでも家族に向ける想いは本当なのだろう。


 それだけに今まで苦しんできた斉藤さんに対しては、同情すら覚える。


「要はお主は、妻と娘が生きているのかどうか、はっきりさせたいのじゃな? 生きていれば迷い人として出てこない。もし、亡くなっていれば迷い人として姿を現すと?」


「……はい。仰る通りです」


 きっと斉藤さんは今まで人生を前に進めていけなかったのだろう。どこかこの人も私達と似ているのではないかと思った。


 人生に答えが欲しい。自分は何の為に生まれてきたのか、散々追い求めてきた私と。


 半年前、行方不明になった奥様と娘様の生死を確かめたい。確かめなければ前に進めない。痛い程、気持ちがわかった。


「あの人も僕達と同じだったんだな」


 星哉くんが呟いた。星哉くんも私と同じ感想を持ったみたい。チエさんは斉藤さんの独白に満足気だった。


 広場の中央にある石碑のようなものを指差して斉藤さんに読むように促した。


「……何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われる?」


「ここにはかつての偉人達の言葉が詰まっている。この場所は地上でもっとも霊魂が集りやすい場所でな」と話し出しながら杖先を斉藤さんに向けた。


「今、お主は余計な誇りを捨てた。それはある意味ではもっとも誇りを高く保ったと言っていい。誇りを保つ為に誇りを捨てた。その結果、妻と娘に対する愛情が私を動かした。さぁ、始めようかの」

 

 チエさんはようやくやる気を出したようで何やら斉藤さんに指示を出した。


 斉藤さんは懐から財布を取り出すと写真らしき物をチエさんに渡した。


「これは家族三人で動物園に行った時の写真です」


 泣きながら話す斉藤さん。思い出が詰まった写真だから常に持ち歩いていたのだろう。


「いいか? 迷い人を召喚するには蘇りを誰が望むかが大切じゃ。迷い人が望むか、生きている大切な人が望むか。その者が望むのであれば強い想いが必要となる」


 斉藤さんは先程のメンチカツの店主を呼び寄せた時の妻と娘のように、両膝をついて祈り始めた。


「そしてこの場所は霊魂がもっとも集まりやすい場所。市外の霊魂を呼び寄せるには最適な場所という事じゃ」


 斉藤さんが行方不明になった場所は市外の海。だからこの場所まで連れて来られたのかと合点がいった。


 チエさんが両目を閉じて祈り始める。果たして、斉藤さんの奥様と娘様は迷い人として現れるのか。


 現れなければ生きているという事になる。私にはどちらの結果も斉藤さんにとっては苦痛でしかないように思えた。


 生きているのであれば、どうして半年も斉藤さんに会わないのか。連絡をとる手段はいくらでもあるはずなのに。


 それとも会えない状況に陥っているのか。だとしたらどんな状況なのだろう。


「……なぁ?」


 星哉くんが話しかけてきた。この場所に来てから口数が普段より少ない気がする。


「僕達にも僕達の事を大切に思ってくれている人っているのかな?」


 らしくない言葉だなって率直に思えた。斉藤さんの事を見ていて心境の変化でも出てきたのか。


「少なくとも私は大切に想っているけれど……それじゃあ、駄目かな?」


 星哉くんの答えを待たずして前方から眩い光が再び、私達を襲った。さっきと全く同じだった。


 違うのはこの光が発するまでの時間。さっきのメンチカツ店主が召喚されるまでは数分あった。

 

 でもこれは数分も経っていない。それだけ、ここの場所に強い力があるからなのか。


 それとも斉藤さんの想いが強いからなのか。

 

 光が和らぎ、視界が安定してくるとチエさんと斉藤さんとの間に艶やかな色合いの水着姿の女性と女の子の姿が見えた。


 恐らく、斉藤さんが求めていた二人なのだろう。いずれにしろ、奥様と娘様の生死はこれではっきりした。


「うっ、うわぁぁぁーーー」


 斉藤さんの雄叫びが大気を伝い、こちらまで届いてくる。滅茶苦茶な感情がその声にこもっているようだった。


 歓喜と悲哀。希望と絶望。期待と不安。内混ぜになった斉藤さんには辛い現実に違いない。


「あら、あなた? こんな所で何をやっているの……って、嫌だ。あれ、ここってどこなの?」


「ねぇ、パパ? この人達ってだあーれ?」


 斉藤さんの心情とは関係なく、妻と娘はこの状況が不思議なのだろう。


 水着姿で当たりを見渡したり、突っ伏して泣いている父親の背中に乗って遊んでいる娘。


「迷い人は死ぬ直前の記憶は無くなっているものだ。何かのきっかけで蘇る事があるかも知れないが、そこだけは注意するのじゃよ?」


 チエさんの言葉に言葉を発さない斉藤さん。突然、目の前に突き付けられた現実。


 愛する妻と娘が亡くなっていた重い事実に、斉藤さんはこれからどう向き合っていくのだろうか。


「お帰りな祭が来週に控えている。それまで三人で大いに楽しく過ごしなさい」


「……ありがとうございました」


 絞り出た斉藤さんの言葉を聞いたチエさんがにっこりと笑顔を見せた。


 そしてこちらにゆっくりと近づいてくる。


「これで良かったのか、星哉よ」


「ええ。お疲れ様でした。ありがとうございました」


「まったく、春菜のやつも無茶を言いおって」


 首を回しながら疲れた様子を見せるチエさん。


 ここに来る前に春菜さんが言っていた事はここまで見込んだ上での事だったのだろう。


 星哉くんもわかった上でだったに違いない。


「……ところで星哉。こちらの女性は?」 


 鋭い視線を向けてくるチエさん。正面に捉えたチエさんの顔にどこか見覚えがあった。


 思い出そうとしても遠い記憶の事のようで映像が脳裏に浮き出て来ない。


 何故だろう、懐かしささえ感じる。


「あぁ、由夏って言うんだ。高校の同級生で」


 星哉くんの紹介に倣ってチエさんに頭を下げた。


 顔を上げるとチエさんは私を値踏みするように視線を離さなかった。


「……ほう。お主も迷い人か? どこから来た?」


 不敵な笑みを浮かべるチエさん。そのチエさんの一言で空気が一変したのは明らかだった。


「えっ、ちょっとチエさん? 何を言っているんだよ」


「なんじゃ、星哉。知らんかったんか? この女の霊魂は間違いなく過去のものじゃよ」


 星哉くんが明らかに取り乱している。まさかこんな展開が待っているだなんて予想だにしなかった。


「……嘘だろう」


「じゃが、わしがこの女を呼び寄せた記憶はない。いや、待てよ? もしかしたらーーー」


「なぁ、由夏? お前、記憶はどうだ。何か覚えている事はあるか?」


 星哉くんが私の両肩を掴んで問い質してくる。その目にはうっすらと涙が溜まっていた。


「正直に答えなさい。さっきの男を見たじゃろう? 隠し事をした所で、何一つ良い事はないんじゃよ」


「でっ、でも私、本当に何が起きているのかわからなくて。だから何も……」


 正直に話した。嘘じゃない。嘘はついていなかった。


 私の返答に二人は互いに顔を見やって考えを巡らしているようだった。


「恐らく、記憶の混濁があるのじゃろう。この女は来てまだ日が浅いのか?」


「ええ。まだ最近の事です」


 どうやら私が迷い人だと認識されてしまったようだった。


「それにしても、一体誰が由夏を蘇らしたのか。由夏が亡くなった事を知っていて、且つお帰りな祭の事を知っている人物」


 星哉くんは私が迷い人だという事を割り切ったようで、誰が呼び寄せたのか思案し始めてしまった。


 チエさんは私の事を引き続き、値踏みするように見ている。


 何だがとてもこの場の居心地が悪くなってきた。


「……まぁ、今日の所はお開きにせんか? わしは疲れたからの。下まで送っていこう」


 チエさんの一言で私達は、乗ってきた車に再び乗ると、その場をあとにした。


 来た時は日が明るかったのに、夕焼けが綺麗に空を照らし始めていた。 

 

 店の前で下されると、既にシャッターが閉ざされていた。


 裏口から星哉くんと一緒に店内に戻ると、カウンターに春菜さんの手書きで『お先に失礼します』の置き手紙があった。


 営業時間まで一時間あったが、星哉くんが「帰っていいよ」と一言残して二階に上がって行ったので、私は向かいの部屋に戻っていった。

 

 私がチエさんから迷い人だと宣告されてから、何となく星哉くんと気不味い関係になってしまった。


 戻ってくる車中から今の今まで口数は少ないし、さっき二階に上がる前の星哉くんの顔は以前見た、死に関する自分の考えを話している時の顔と似ていた。

 

 星哉くんは私の事をどう思っているのだろう。死んだ人間が蘇るなんてSFの世界。


 帰りの道中は互いに言葉を交わさず帰路に着いたけれど、布団に入っても寝れなかった。


 体は疲れているのに頭が冴えて寝付けない、そんな感じ。

 

 ふと窓を開けて向かいの建物を覗くと、屋上で星哉くんが望遠鏡を空に向かって覗いていた。


「……そっち行っていい?」


 周囲に迷惑にならないよう声を出したつもりが、予想以上に反響した。


 星哉くんが私を認めてOKサインを向けてくると、再び星哉くんの元に向かった。

 

 向かっている最中、心中は複雑だった。星哉くんに嫌われてしまったのか。


 今の自分は本当にチエさんが話す迷い人なのか、それとも幽霊の類なのか。


 生きているのか、死んでいるのか。様々な考えが脳内を駆け巡っているけれど、はっきりしている事は星哉くんと話をしたい。

 

 星哉くんが私の事をどう想っているのか知りたかった。


「この望遠鏡から覗く先に未来が見えたらなって時々思うんだ」


 屋上に着くと星哉くんは、望遠鏡から顔を離して私に話した。


 何かを達観したような、どこか諦めたような表情は、暗がりでもはっきり見えた。


「何の為に生まれて、何をする為に生きて、何を感じる為に日々生きていけばいいのか。僕達にとって、未来が見えるのは安心するよな?」


「でも、全てわかっちゃうのも楽しみが無くならない?」


 近くにあったベンチに腰を下ろした。かつて私達が散々話した議題に今でも答えは見出せていない。


「楽しみよりも答えが欲しいな。相対性理論ってあるだろう? 時間は人によって流れ方が違うやつ。あれを上手く使って未来がいつか見れたらなってさ」


 地球という小さな星に生きている私達。


 果てしなく広がる宇宙の中では、所詮私達の存在は塵すらならない程、小さな存在。


 そんな小さな存在の人間社会で、裏切りや期待、悲しみと怒りなどの様々な感情が蠢いている。


 事件や事故、天災による大きな被害。


 様々な事が起きている社会に身を置いている私達は、何故その中に身を投じて生きているのか。


 星哉くんの疑問を正面から否定する事を私には出来ないけれど、肯定する事も直ぐに出来なかった。


「僕も由夏と一緒だよ」


「……えっ?」


「自分という人間がどんな人間なのか、時々わからなくなる。僕の人生、迷い人だわ」


 両手を広げて、空を仰ぎながら自嘲気味に嘆く星哉くん。


 本当に悩んでいるのか、それともふざけているのか。今の星哉くんは恐らく後者だと思った。


「もしかして、私の事いじってるでしょ?」


 星哉くんはくすっと笑うと私の隣のベンチに座った。やっぱりふざけているだけだった。


「どうして死んだんだ? 事件に巻き込まれたのか、それとも事故に遭ったのか?」


「わからない。上手く思い出せなくて」 


 迷い人なら死ぬ前の記憶がないと聞いた。それは星哉くんだって理解しているはず。


「いつか由夏は言っていたよな? 幸せな生活を見せてくれるって」


「あぁ、あったね。星哉くんが私達には明るい未来がやって来ないって。だから生きていても意味がないって豪語していた」


「そうそう。だから生きていたって無駄だって。そうしたら由夏が生きていつか幸せな生活を見せるって息巻いていたよな」


 そんな会話をした事は覚えている。でもその後だった気がする。星哉くんが変わってしまったのは。


「それで由夏は生きていて幸せだったのか?」


 その質問に言葉が詰まった。一瞬で再生される私の人生。それほど中身は薄く、内容のない人生だった気がした。


「まぁ、死んじゃったならしょうがないよな」


 星哉くんが勢いよく立ち上がり出した。


「……えっ?」


「大人は簡単に自殺するな、目の前から逃げるなって言うけどさ。それらは全て綺麗事だよ。結局、その場やその状況を体験したやつしか言ってはいけない言葉なんだよな。それを平気で外野から言われたところで胸に響く事はない。だって、野球の試合の解説に元プロの野球選手じゃなくて、ただの学生の時に野球やってました的なタレントが解説していたら鼻につくだろう?」


「たしかにそうだね。なんだか説得力がないね」


 思わず笑ってしまった。こんなに面白い例えを星哉くんが話す印象を以前は持っていなかった。


 私が笑っているのを見て星哉くんも嬉しそうだった。


「なぁ? 真っ青な晴天の空と煌めく星が満天に広がる夜空、どっちが好き?」


 空を眺めながら考えた。今は点々と光る星空が綺麗だけど。


「うーん。晴天かなあ」


「じゃあ、死亡確認をしたにも関わらず、その数十時間後に生き返った話を聞いた事は?」


「へぇー、何それ知らない」


「有り得ない事が起きる事の例えで、空から豚が降るって諺を聞いた事は?」


「……ないけど、それよりさっきの話―――」


「それだけ世界には不思議な事が起きているって事だよ」


「えっ?」


 面食らった。星哉くんは至って真面目な表情を浮かべていた。


「ただ意味のない話をしたくなっただけ。生きている事を実感出来ただろ?」


 私の事を気遣ってくれたのかもしれない。


「極端な事を言えば、由夏だってどこか遠くの星から来たのかもしれないしな。可能性なんて何一つゼロにはならないんだから」


 星哉くんはなんだか鋭いなって思った。


 未来を変えたい、面白くしたいという想いが、そう思わせたのかも知れない。

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