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『二人のソクラテス』第13話

 お帰りな祭が終わった街並みは、静寂に包まれていた。


 提灯などの類はすっかり無くなって、以前の風景を取り戻している。


 自分の中で一つの区切りがついて喪失感を覚えた頃,春菜さんが参拝に行こうと持ちかけてきた。

 

 翌日の定休日,まだ残暑が残る快晴の中,自宅から春菜さんの運転で車を走らせる事,十分程度の距離にある場所であり、お帰りな祭が行われた場所。

 

 本殿前の賽銭を入れて二礼二拍手,合掌して感謝の気持ちを伝える前、目尻に隣に立つ春菜さんが、両目を力強く閉じて神様に願いを届けている様を捉えた。


 春菜さんのその様子はとても新鮮に思えた。普段,クールで感情を表立って見せない春菜さん。ジーンズに白シャツのラフな私服姿が拍車をかける。最後に一礼を済ませると,互いに顔を見合わせた。


「境内を少し,歩きませんか?」


 春菜さんの提案に応じて本殿裏手に回る。心地よい風と木々が揺れる騒めきは,耳心地が良かった。気分が落ち着き,春菜さんの声が自然と受け入れられそうだった。


「恐らくですが,由夏さんは迷い人ではなかったのかも知れません」


「……えっ?」


 思わず足を止めた。いくら神聖な空気が流れていても、耳を疑わざる得ない。春菜さんの話はこうだった。


 チエさんが言うには、自らの意思で蘇ったとしてもチエさんの儀式が必要だという。チエさんには由夏を蘇らした覚えはないらしい。加えて春菜さんが由夏に仕事を教えていた時にやたら要領が良すぎた事と、教えてもいない物件検索のやり方を知っていた事が大きい。これについては経験した節があったようで、春菜さんが由夏に尋ねても煙に巻かれたらしい。


「あれは不動産会社に勤めていた経験がないと難しいです。もしかしたら由夏さんは働いていた経験があったのかも知れません」


「いや、それはさすがに。だって由夏は僕と同級生でーーー」


 そこでいつもの立ち眩みから頭痛が襲ってきた。境内に敷き詰められた砂利に足がもつれると春菜さんが僕の上半身を支えてくれた。


「ちょ、ちょっと大丈夫ですか?」


 今度はモノクロ画面のように鮮明さを欠いた映像だった。静止画ではなく、まるで動画のように流れる。


 視点は僕の視点ではなくて、少し高い所から俯瞰的に捉えられていた。春菜さんと僕が肩を落として暗い表情で店に入る。雨が降っていたのだろうか。体が濡れているようだった。


 僕が足取り重く、二階に登って行くと春菜さんは僕の背中を見送る。


 春菜さんは頭を抱え、溜息を大きくついた所で映像が途切れた。


「……ありがとうございます。もう、大丈夫です」


 心配そうに顔を覗き込んでくる春菜さん。初めての動画だった。あの映像に全く心当たりがない。


 それにいつもは静止画の映像だった。何を示唆しているのだろうか。先程の動画には春菜さんが出ていた。


 何か春菜さんなら知っているのだろうか。


「……時々、変な映像が頭に浮かぶんです」


 何の前触れもなく襲ってくる目眩と頭痛。瞬間的に襲ってきた後に脳内に流れる映像。


「映像?」


「さっきの映像に春菜さんが初めて出てきました。僕と一緒に暗い表情で店に戻ってくる。雨が降っている感じでした。僕が二階に上がる様子を春菜さんが見ている。そんな映像でしたが、何か心当たりはないですか? 僕には全く心当たりがなくて」


 春菜さんの表情が強張っていた気がする。


 そんな気がしたのは一瞬で、そんな表情を見せただけで直ぐに「ごめんなさい。心当たりないです」と言って前を歩き出した。


 そんな漠然とした内容なだけに思い当たる事は多々あるのだろう。


 それでも釈然としない。特徴的な何かがある話ではないし、もしかしたら実は、夢のような映像なだけであって現実に起きたものではないのかも知れない可能性だってある。

 

 出口に向かって歩いていると最後に絵馬を描かないかと春菜さんから提案があった。


 春菜さんはこれからも会社で働けるようにと書いてあった。僕も仕事の事を書いた。


 これからも不動産売買を続けていく事,高校を卒業したら会社を残す事に注力する事。

 

 絵馬を掛ける絵馬掛所に春菜さんと並んで掛けていると春菜さんが「星哉さん、これ」と興奮した様子で隅の絵馬を指差した。


『星哉くんの人生が明るく、楽しい人生になりますように』


 由夏の名前が書かれた絵馬だった。間違いない、由夏の丸みを帯びた字だった。


 本来ならば自分の願いを書くのが絵馬なのに、他人の幸せの願いが書かれている。


「やっぱり、由夏さんは優しい方ですね」


 口元を抑え、押し殺すように由夏への想いを話す春菜さん。こんな形で由夏と再会するとは思わなかった。


「そんなに僕の人生って不憫で哀れなんですかね」


 軽口を叩かなければ感情が溢れそうだった。いつもあいつは自分の事は二の次だった。


 何でも僕の背中を押して応援していたし、支えてくれていた。本気で僕の事を心配して助けてくれた。


 由夏の願いを叶える為にも、僕は前向きに生きていかなければいけない。

 

 それから数日後、普段と変わらない日々を過ごしていた。以前は平凡で退屈な変わり映えのしない生活だったが、今は違う。


 宅建取得に向けて通信教育を受けて勉強三昧の日々と春菜さんに不動産売買の指導を受けながら業務に励んでいる。


 以前では考えられない変化だった。


 大変だとか、面倒臭いとかそんな事すら考える隙間は微塵もない。


 それが辛くはないし、息抜きしたいとも思わない。自分が頑張っているとも思わないし、頑張る中で苦痛を覚えて逃げ出したいとか思う事は自分に向いていないと持論がある。


 だから楽しい。毎日が新鮮だし、苦労と思わない事に前向きに取り組める事が、自分に向いている事なのかも知れない。


 それに気付けた事と、続けられる事に日々感謝の気持ちでいっぱいだった。


 この前は大手不動産掲載サイトとの契約を済ませた。これからは無理のない範囲で不動産売買も行っていこうと春菜さんと決めた。


 これからの店の経営、費用対効果などを纏めていた時、店の出入り口が開いて姿を見せたのは服部夫婦だった。


「こんにちは。その節は大変お世話になりました」


 最初に店に尋ねてきた時とは打って変わり、明るい表情を浮かべながらご主人が頭を下げると、続けて奥さんが頭を下げた。


 先日、引き渡しである決済を迎えたばかりだった。引っ越しは済んだのだろうか。


「こちらこそありがとうございました。どうぞ、こちらにお掛けください」


 奥の接客室に二人を通す。内心、引き渡しを終えたばかりなのでクレームか何か面倒な事でも話にきたのかと疑心暗鬼になっていた。未だにそこは治っていなかった。


 春菜さんがお茶を二人の前に配膳すると、春菜さんが僕の隣に座った。夫妻の話を一緒に聞いてくれるようで安心した。


「……それで、今日はどのようなご用件で?」


 若干、緊張感を帯びた声だと発した瞬間に思った。


 夫妻は互いに顔を見合わせると口元を吊り上げ、正面に座る僕達に頭を下げてきた。


「本当にこの度はありがとうございました。おかげ様で昨日、引っ越しを済ませたのでお礼を言いたくて」とご主人の話を引き継ぐように今度は奥さんが「正直お話しますとこちらの会社を訪ねる前に何社も不動産会社に問い合わせしたんです」と神妙な面持ちで話し始めた。


「でも、どこも営業の方は私達の話に耳を傾けてくれなくて、自分本位な話ばかりで。早く契約しましょうとか、早く申し込みしないと売れちやいますよって急かされたんです。でもお二人は違いました。ちゃんと話を聞いてくれましたし、私達が不安に思っている事、疑問に思っていた事も丁寧に説明してくれて信頼出来る方々だなって」


 なんて情けないのだろう。二人が何かクレームを言いにきたと疑った数秒前の自分が恥ずかしい。


 それに、なんて素直な二人なのだろう。こんな関係性だとしても年下の僕にも頭を平気で下げて感謝の気持ちを示してくれる。

 

 社会的には当たり前なのかも知れないけれど、その当たり前が出来ない、しない大人達がどれだけいるだろうか。

 

 僕が何も言えず、唇を噛んで俯いている状況を察してか、隣に座る春菜さんが「わざわざご丁寧にありがとうございます。こちらとしても、そのように仰って頂いて嬉しく思います」と頭を下げた。倣うように僕も頭を下げて感謝の意を示した。


「あっ、それともう一人女性の方、いらっしゃいましたよね? 事務の方だと思いますけど、今はいらっしゃらないですか?」とご主人が辺りを見渡した。


 恐らくご主人が言っている人物は由夏の事だろう。


 それに気付いたのか春菜さんが「すみません。外出しておりまして」と申し訳なさそうに答える。


「……そうでしたか」と肩を落とすご主人。


「彼女が何か?」


 また互いに顔を見合わせて微笑む服部夫妻。本当にこの二人は仲が良い。見ていて嫌な気分にならず、微笑ましい。


「私達がこちらを最初に訪れた時の事、お二人は覚えていらっしゃいますか?」と僕と春菜さんを交互に見やり尋ねてくる奥さん。


「先程申し上げたように、こちらを訪ねる前からいろんな会社に問い合わせをして、正直家を探す事に疲れていたんです。こちらを最後にして一旦、探すのを辞めようかって話していたんですが、お二人が物件の資料とか準備されている時に話し相手になって下さって。『新婚だなんて羨ましい』『新婚生活に最適なお家を一緒に見つけましょうね』など色々言ってくれて。それがなんだか嬉しくて、ほっとしたというか」


 あの時の僕は春菜さんに言われるがまま、物件資料を用意したり、書類を作ったりでそこまで気が回っていなかった。


 思い返せば、僕達の資料待ちをしている夫妻に由夏が話をしてくれて場を繋いでいてくれていた。


 あの時の由夏が話していた数分が夫妻にとって大きかったんだ。

 

 最後に夫妻から菓子折りをもらい二人を見送った。


 表に出て春菜さんと並んで夫妻を見送っている時「こうしてお客様に感謝される事は本当に稀です。だからこれからもーーー」と話しかけられたが、顔を背けて店に戻った。感情を抑える事が出来なかったから。

 

 初めての経験だった。


 他人に認められ、精一杯取り組んだ事に対して評価をされて感謝される。込み上げる感情はとても暖かく、それを認識した途端に涙が溢れ出した。


 声にならない声を恥ずかしげもなく泣き上げながら突っ伏していると、背中に温もりを感じた。


 振り返ると春菜さんが僕の背中に手を当てて一緒に涙を流してくれていた。


「わっ、私も嬉しいですよ。こうして星哉さんがちゃんとお客様と向き合って頑張ったから、服部さん達はあのようなお言葉を頂けたんですから。これからも自信を持って下さい」


 春菜さんが鼻を啜る音が聞こえる。春菜さんが今まで抱えてきた想いが背中から伝わってくる。


 ここまで一緒にやってくれた事に達成感や言葉に出来ない感情を初めて味わった。


 辛い事や苦しい事もあった。


 何度も挫折を味わった。


 それでもこうして今、この瞬間を迎えられた事によって全てが救われた思いで一杯だった。


「春菜さん、十五時から木村様の案内ですよね? もう一度打ち合わせしませんか?」


 振り返ると春菜さんが目元を拭っていた。


 僕の問いに春菜さんは大きく頷き「そうですね、書類の確認含めて打ち合わせしましょう」と力強く答えた。

 

 僕の未来が明るくなるように、由夏が願ってくれた想いに応える為、目の前の仕事に精一杯取り組むだけ。


 それだけで僕の人生に希望を持つ事が出来た。


 いつかの僕には考えられない事だった。

 

 それら全てが由夏のおかげだった。

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