「チェリまほ」にはまった作家のひとりごと 第10話

まだ十話を見ていない方は、ネタバレしてるので、ご注意!チェリマホ、十話もすごくよかった。コロナ禍でストレスがたまる中、癒しを与えてくれるドラマに出会えたことは本当にラッキーだった。
黒沢君と安達君の「デートの練習」の微笑ましかったこと!メリーゴーランドに乗った二人の楽しそうなこと!
私はつくづく思った。至極当たり前のことだけど、「幸せ」って「どこで何をするか」じゃないんだなあ……。メリーゴーランドに乗って、アイスクリームを食べるだけで、あんなに幸せになれるのは、「誰と一緒か」という一点に尽きるのだ。
黒沢君が言っていた。
「楽しいよ。安達と一緒ならどこでも」
一緒ならどこでも楽しいと思える関係は素晴らしい。この二人はこの先もずっと「一緒ならどこでも楽しい」だろうなあと思う。
 ものすごく残念なことに、一般的にはそういう感情はそう長続きしない。恋の賞味期限はさほど長くはないからだ。新婚さん以外で一緒にいるだけで楽しそうな夫婦なんて滅多に見たことがない。
 だけど、この二人が例外だと思えるのは、恋の土台に相手を自分より大切に想う「愛」があるからだ。まだ恋が始まったばかりだというのに、takeよりgiveの気持ちの方が強いという稀有な関係だからである。
 黒沢君の安達君を見つめる瞳の中にある慈愛の深さ。安達君の瞳の中にある尊敬と信頼。それが「好き」にプラスされているのも恋に厚みを持たせている。
「黒沢には笑っててもらいたい」
 安達君のあの言葉は、愛の一番基本的な形だ。そして二人は、互いを見つめ合うだけでなく、自分自身を見つめて、よりふさわしい人間になろうと努力している。その気持ちが恋という枯れやすい花に水と栄養を与えて長く咲かせ続けるのだ。
 それにしても、あんなに深く思い合っている二人であっても、気持ちがストレートに伝わるのは何と難しいことか。
「黒沢が考えていることがわからない!」
安達君は頭をかきむしって叫んだ。安達君は魔法使いだから黒沢君の心が読めたけれど、予告編を見ると、どうやらそのことが二人にとって問題になりそうな予感。この先安達君は柘植さんのように脱魔法使いをするかもしれない。多分、するだろう。だけど彼が魔法を使えなくなっても、大丈夫だと思う。魔法は自転車の補助輪に過ぎず、たとえなくなってもちゃんと風を切って走れる。
安達君の魔法は、黒沢君との恋のスタートを早めたかもしれないが、もし魔法が使えなくてもきっと二人は結ばれたんじゃないだろうか。あれほど一途に思っていた黒沢君の想いが届かないはずはない。しかも、あの黒沢君である。
好きにならずにいられないではないか。実際、黒沢君の強い思いが伝わったから好きになったというわけではない。他の人では恋に発展したりしなかったはずだ。
 自分に置き換えて考えてみた。私に安達君と同じ魔法が使えたとして、果たして「時々サイコパスな夫」との関係に変化が起きるものだろうか。答えは「ノー」である。相手の気持ちがわかったからと言って、それだけで愛が芽生えたりしないし、関係が良くなるというものではないのだ。
魔法は二人の間に溝や隙間があれば、それを埋めるだけの力はないし、元々ない愛を生み出す力もない。
安達君が魔法を使えなくなれば、黒沢君の心を読み間違ってしまうこともあるだろうし、言葉という道具の使い方を間違って喧嘩になることがあるかもしれない。それでも互いに「笑っててもらいたい」「一緒にいるならどこでも楽しい」と思えるならば、魔法はいらないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?