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キルギスからの便り(29)パスハ

投稿日 2022年3月29

 冬送りの行事「マースレニッツァ」を紹介した前回に続き、今回はマースレニッツアの7週間後に行われる復活祭の日の思い出を記してみたい。日本で復活祭は英語の呼称「イースター」として知られているが、ロシアなどキリスト教東方正教会ではギリシア語由来の「パスハ(пасха)」と呼ばれている。

 パスハは春分を過ぎた最初の満月の直後の日曜と決まっていて、2022年は4月24日である。前回も記したように、西方教会はグレゴリオ暦、東方正教会はユリウス暦を採用しているので復活祭の開催日にもずれが生じる。日本では1週間前の4月17日に「イースター」だと耳にするだろうが、これはカトリックやプロテスタントなど西方教会の復活祭だ。

パスハの日の菓子「クリーチ」を発見

 キルギスでマースレニッツァを知った私は、パスハにも興味を持った。興味を持ったと言いながらも、仕入れていた情報はただひとつ。パスハの日には、その名も「パスハ」というチーズケーキ状の菓子と「クリーチ(кулич)」というパンを食べるということだけだった。この2つを当日に食べてみたいと思っていただけで、他には何の下調べもせず、当日の午後になってやおら外に出た。

アイシングとカラフルなチョコスプレーがかかったクリーチ

 向かった先は7週間前にマースレニッツァのお祭りが開催された広場だった。パスハの日もそこで楽しい催しが行われるかもしれないと勝手に考えたのだ。しかし期待は外れ、人はいないし、ステージも飾りつけも何もなかった。ただテーブルがいくつか、ぽつんぽつんと並んでいて、クリーチが売られていた。客もいないのに店開きをしているのも寂しげだったが、たまには私のように通りかかった人が足を止めるのかもしれない。

 クリーチは円筒形の菓子パンで、中には干しぶどうなどのドライフルーツが入っている。上部にはアイシングがかかり、その表面にカラフルなチョコスプレーがまぶされている。直径、高さとも20センチ程の大きいものから、7、8センチ程の小さいタイプまでいくつかのサイズが並んでいた。食べたかった目的物のひとつは発見できたのだからまずは収穫である。大きなサイズのものをひとつ買い求めた。

 クリーチで膨らんだバッグを肩にかけて広場を後にしたが、日はまだ高い。このまま帰るのも面白くない。どうしよう。そうだ、教会へ行こう。

 思いついたらすぐ、地図で近くにある教会を調べた。イスラム教徒が大多数を占めるキルギスではモスクは点在しているが、教会の数はそれほど多くない。一番近い教会でも広場から30分以上はかかりそうだった。しかも学校とは反対方向だから、帰り道はもっと時間がかかる。でもパスハ気分を味わいたくて、躊躇することなく地図を頼りに教会へと向かった。

初めて入るロシア正教の教会

 アスファルトなのに砂ぼこりが舞う道を歩き続け、目的地が近づいてきた。普段はまず行くことのない地区だった。住宅に囲まれているせいか、教会らしき建物はなかなか見えない。近距離へ来てようやくその姿が目に入った。

 外観をしばらく眺めていたが、出入りする人はいない。ひっそりしている。扉は開いているだろうか。ここでも当てが外れて中へ入れないのではないか、と不安になりつつ、敷地へ足を踏み入れた。

 すると突然、目の前に初老の男性が現れた。彼は笑顔で声を掛けてきたが、とっさのことで何を言っているのか聞き取れなかった。まあ当時の私のロシア語力では、とっさでなくても理解できなかっただろうけど。こんにちは、初めましての挨拶ではなかったから、たぶんパスハを祝う言葉だったのだろう。

 一体どこから現れたのかと思ったら、教会の前の守衛所のような小屋から出てきたのだった。見慣れない外国人の私が教会の外をうろついているのを中から見ていたのかもしれない。

 おどろく私に男性は「パダーラック!」と言いながら、あるものを差し出した。パダーラック(подарок)は「贈り物」の意味だ。差し出されたのは何とクリーチだった。つい先ほど広場で買ったのとほぼ同じサイズである。どこの誰とも、何をしに来たかも分からない私にいきなりお土産をくださるとは。これがパスハの日の教会の習慣なのだろうか。教会を訪れた人すべてにクリーチを渡していたのか、男性の手元にたまたま余り物があっただけなのかは謎だが、「スパスィーバ(спасибо、ありがとう)」と言って受け取った。

教会の中にはたくさんのイコンが飾られていた

 男性は教会の中へ導いてくれた。入り口に立って一見すれば建物内部の様子はすぐに分かる小さな教会だ。聖像はなく、かわりにたくさんのイコン画が壁に飾られている。以前にヨーロッパで見た世界遺産のような荘厳さはないけれど、ロシア正教の教会へ入るのは初めてだったから興味深く、ゆっくりと眺めた。

 礼拝者は誰もいない。パスハの行事はないのかと聞いたら、一連の儀式は夜中から朝にかけて執り行われたので日中は何もしていないという。

 残念だったが、予備知識もなく来たのだから仕方がない。教会内を見られただけでも満足だったし、その上大きなクリーチまでもらったのだから、十分に面白い体験だった。 

贈り物の味は?

 クリーチは思いがけず2つも手に入ったが、パスハの方はまだ見つかっていない。帰り道に2、3軒の店へ立ち寄ったが、どの店にもクリーチは置いてあってもパスハはない。店員に聞くと「パスハ?何のことを言っているの?クリーチの勘違いじゃない?」という顔をされた。もしかして家庭で作る菓子であって、店売りはされていないのかもしれない。キルギスでのパスハ事情を掘り下げようにもすでに日は傾いている。歩き疲れたので探すのは早々にあきらめて部屋に帰った。

広場で買ったクリーチ(左)と教会でもらったクリーチ

 自分で買ったクリーチとパダーラックのクリーチ。その夜、どちらから食べようかと考え、まずは購入したクリーチを切ってみた。見た目はイタリアのパン「パネトーネ」に似ているが、味としてはこのクリーチの方があっさりしているように感じた。サイズは大きいがふわっとしていてあまり甘くないため、半分ほどはすぐに食べてしまった。

 パダーラックのクリーチもおいしいうちにお腹に入れようと思い、翌日、同僚と分けて食べた。こちらは広場で買ったものより若干パサついていた。もしかするとパダーラック用に長い間保管されていて、すでに乾燥していたのかもしれない。同じクリーチでも材料の配合具合、家庭での手作りと市販品などの違いで食感は変わるのだと思う。

 結局、宗教行事としての「パスハ」もお菓子の「パスハ」も味わうことはできなかったけれど、贈り物をくださった教会と、それを分かち合って食べる仲間がいたことに心から感謝した。

 それにしてもキルギスにいた時の私はフットワークが軽かったようだ。コロナ禍で巣ごもりに慣れた日本での今の生活では、何も調べずに行き当たりばったりで動いて半日を過ごすなど考えられない。

 春である。日も長くなってきたし、たまには知らない場所へ足の赴くまま向かってみようか。思わぬパダーラックがあるかもしれない。

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