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キルギスからの便り(31)バザールの魚売り場

投稿日 2022年6月28日

  バザールでは現地の人々の日常の生活が見える。食品や雑貨など彼らにとっては当たり前の品々が並んでいるのだが、外国人の目から見ると「何これ?!」とおどろくような光景も時々ある。キルギスからの便り(24)では羊の頭にびっくりした事をお伝えしたが、今回の写真のような売り場も日本ではほぼ見かけない。

バザールの入り口付近で段ボール箱に無造作に積み上げられた魚を売る店

 ご覧の通り、魚が並んでいるのでこれは魚屋だ。キルギスは海のない国で、牛や羊など肉を中心にした食生活なので、バザールにも魚売り場は少なく、この店も時々は見かけるが、いつでも開いている訳ではなかった。

 日本では魚屋のことを鮮魚店と言うくらいで、色つやが良く「新鮮そう」に見えることが魚を購入する際の前提である。現代の日本の魚売り場といえば、冷蔵ケースかあるいは氷のはられたケースに個々の魚が傷つかないよう広げて並べられているのが普通で、このように屋外で温度管理もなく朝から晩まで段ボール箱に大量の魚が積み上げられていることはまずない。

 11月に撮った写真なので日中でも気温は低く、屋外にこの状態で置いてあっても腐りはしないだろうが、購買意欲はわかない。日本人の私としては、並んでいる魚がぐったりしたような、くたびれた姿にしか見えず、売り場の前を通っても商品を直視することができなかったし、どんな種類の魚が売られているか気に留めることもなかった。

 だが今、改めて写真を見直し、値札を読んでみると、「караси」とか「змей голов」と書かれている。карасиは フナ、змей головは正式にはзмееголовとつづり、英語だとsnakhead(ヘビの頭)で、つまりライギョである。いずれも淡水魚だから海のないキルギスで売られているのも納得できる。 

 現地で「日本人は魚が好きでしょう?」と聞かれても、安易に「はい」とは答えられなかった。彼らにとって「魚イコールこのバザールで売られているような状態のもの」であるとすれば、日本人もこのような魚を毎日食べていると勘違いされても困るからだ。

 「私たちが日常的に食べている魚は、種類も違うし、新鮮だよ」と答えてみても、その実際を完全に伝えることはできない。何より、彼らが魚の味に執着がなければ〝新鮮だから何なのさ?”という話である。

 確かに、私がキルギスで2、3回程度口にした魚は、決して不味くはなかった。しかし魚は新鮮さが信条だと疑わない自分にとって、バザールの魚売り場にはついぞ近づくことができなかった。

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