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なぜ「里の縁日」をつくるのか(自分に向けて#02)

世界基準は誰が作ったのだろうか。
グローバルスタンダードというやつだ。
世界基準に合わせて物を作った方が効率が良いから。
みんな同じ規格にした方が、どこに行っても同じように使えて便利だから。

確かに、グローバルスタンダードのお陰でとても便利な世の中になった。
どこに行っても、どんな場所でも同じ物が手に入り、同じサービスや同じインフラを使えるようになった。
しかし、同時に、同じ景色になった。

私の目には、世界基準という四角い箱の中に、土地から湧き上がる丸い個性を無理やり押し込んで、四角く矯正しているように映っている。

同調圧力

常識的に考えたら、こういうものだから。
今どき、これを持っていないのはおかしい。
え?お前の街には、まだ〇〇(チェーン店)出店してないの?

私たちの価値観、個性が多様性に富んでいるように、日本のすべての土地も本来は多様性に富んでいるはずだ。

中央集権、統治、標準化によって、全国どこでも「共通のもの」を増やし管理しやすくしていった。
そういう進化の中で、土地から湧き上がる丸い個性が押し出され忘れ去られようとしている。

5月は田植えの時期だ。
田んぼに張られた水には、青い空とゆっくり流れる雲がうつっている。
その中に小さくてかわいい緑の苗が並んでいる。
鳥のさえずり、土のにおい。

里の景色をぼーっと眺めているとなぜか心が落ち着く。
でも、この景色は生活の景色。人が生きるために生まれた景色。
それなのに角張っていないのは、なぜだろうか。

きっと、自然との関係が良好だからだろうと私は思う。
人を取り巻く、すべてのものとの調和があるからこその豊かさ。

かといって、この価値観やここにある豊かさは、強制するものでもなく、偉ぶるものでもなく、訴えるものでもなく、対立し合うものでもない。

私たちのまなざしを、ここにある営みの中に傾けたいと思っている。
私のあこがれは、今や遠くにない。
里に立つ自分の姿に心ときめいている。

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