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大丈夫だよ。

子どもを大丈夫って思えない。=それを見ている親の私が大丈夫って思えないものを思い切り体現してる我が子。

こんな点数とってきて、うちの子どうなっちゃうのぉ。

・・・って全くもって大丈夫だったわけ。

見事なまでにそんな数字で評価される世界から、自分で飛び立ってた。

でも本当のきっかけは、「なんで美沙はバカなんだろう。〇〇くんとノート取り替えたら頭良くなるかな?」ていう一言。

それまでなんとか、違う違う、きっと周りのみんなに追いつくから。

そう祈る思いで親としてあれこれ手を打っていたけど。

・・・それ、無駄な抵抗ね。親として、大人として、本当に無駄な抵抗だったのよ。

学校にもああしてほしい、こうしてほしい、そうお願いしていたけど、どうにもならなかった。

発達障害のお子さんも見ますと謳っている高校へ行っても、テストにふりがな振ってくださいとお願いしたけど、「国語はレベルが下がっちゃうから」っていう理由で却下。
ぬーーーん
なんだよぉ。なんだよぉ。ってとても悔しかったけど。

・・・そーんな私の、親の思いなんて関係なく、学校がどうあろうと関係なく、この人は自分の足で、時には暗黒なトンネルを自分で歩きながら今、大きく自由に自分の世界を飛んでいる。

子どもが持って生まれた感覚は、時に教室という枠では狭すぎることがある。

でも、その狭さを知るからこそ、それをバネに、いろんなものを見て感じて、暗黒な色ですら自分の彩りにして、自分の世界を羽ばたく逞しさ、あったりするんだ。

だから、大丈夫なんだ。

子どもの大丈夫は周りの大人がどうだろうと、自分で勝手に大丈夫にしてるから、もうその親として大人としての大丈夫は明らかに自分のものとして、それをじっくり眺めてみるといいよ。
笑っちゃうくらい大丈夫だから。

・・・そんな自分も、かつてはそんなたくましい子どもだったんだよ。

今日もよき日に。ありがとう。


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