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環境への視点をひらく

科学の今


  森羅万象の元素を表すことばとして、古代中国では木・火・土・金・水を当て、仏教では五大といって地・水・火・風・空を使う。これらの考え方は、現代の科学にも通じる手法を用いている。物事を要素に分解し、要素同士の関係やふるまいを明らかにする。違いは再現性の検証と要素細分化の細かさ。元素とその結合体である分子を要素単位とすることで、さまざまな分野で確かな法則が見いだされ、科学的手法が課題を解決に導いた。
 今、物理・化学・生物学の境が消えつつあり、分子をコンピュータ上でモデル化し、ふるまい、反応を表現できるようになってきている。微細な要素に分割し、それらの関係が宇宙規模であったり、地球規模であったり、生体内の代謝であったり、生物の生理機構であったり、様々な面で解明、分析、応用がなされている。
 それらは、すべて人間のため、人間の幸福のため、のはずであった。ところが、その科学の進展が我々を戸惑わせている。二酸化炭素は人間にとって、また環境にとって有害なのか? 脱炭素社会ってどうゆうこと? 炭素は悪者なのか?等。エビデンスとして用いられた科学的根拠が我々を混乱させている。我々は、どう考え、どう行動すれば良いかの答えが、遠いものになり、五感と繋がらなくなってきている。我々は今、筋道を見失いつつある。

環境を理解する軸

樹木を中心にした環境の捉え方

 人間を神聖視する環境の捉え方は限界にきている。人のためと思ってやってきたおこないが、人間のエゴとして環境を破壊し、牙をむいている。「地球にやさしく」は、人間が健康で快適に生きるためであるし、「自然を守ろう」は、本来、環境に守ってもらっている人間が放つ、滑稽なことばである。人間は数万年かけて環境を破壊し続ける主体であり、それでも、環境の恩恵を受けたいと思っているのだ。
 東京農業大学の濱野周泰客員教授最近の投稿で次のように述べている。「46億年前の地球誕生から20億年ほど過ぎた27億年前から7~8億年前までの約20億年の間、緑色の生物、いわゆる植物が酸素を絶え間なく放出してきたことでオゾン層が形成されました。つまり生物が地上で生活することのできる環境を自ら形成したのです。」(月刊誌グリーン・エージより)
 環境を創り出した主体は植物であり、樹木である。樹木を中心に据え、人間が消費者を自覚することにより人と環境の関係はすっきりする。
 「上の「環境を理解する軸」の図を見て欲しい。右側にある【緩やかな循環】は、生物の立ち位置も示している。植物が生産者、動物が消費者、微生物が分解者。我々人間は、消費者の一部に過ぎない。消費者である人間がその立ち位置を忘れ、環境の中心にいるが如くふるまえば、当然、しわ寄せが出てくる。環境の主役は自ら環境を創り出すことのできる植物が相応しい。

樹木医という仕事

 樹木医という資格があり、職業がある。文化財である名木・古木の樹勢の維持、あるいは回復を担う技術者として1991年に制度化された。一見、生物学のなかで、樹木に限定した技術者の制度と思うかもしれない。しかし、さまざまな樹木について解決しようとすると自然科学の手法でできることは限定されてくる。また、樹木医の扱う領域は、名木・古木以外にも、街路樹、公園樹、工場緑地、寺社林、個人邸、森林などにおよび生育環境の違いは多様である。先ほどの図の天、地、水、火に目を配らざるを得ず、いにしえの5元素の組み合わせの様相を呈してくる。環境を自ら作り出す樹木の不調の原因を知り、樹木の力を引き出す条件を整える技術者とならなけばならない。

解明が遅れている分野

 樹木が健全な状態であることは、人間をはじめ多くの生き物にとって生きやすい環境となりやすい。逆に言うならば、人間の健康と快適性を求めるのなら、生命力ある樹木に囲まれた環境をつくれば良いのである。ところが、「生命力ある樹木に囲まれる環境」をつくる際に、ほとんど手つかずの解明されていない分野がある。上の図の、水の青い丸の左に書かれた【小さな循環】の世界である。二列の流れが書いてあるが、土中の根を通してお互いが影響し合う。植物生理の分野では、SPAC(Soil → Plant → Atmosphere Continuum)と云い、植物を通しての循環の説明は、圧力差のモデルとして説明がなされている。水の脈動、そして脈動と植物との相互作用について詳しく書かれた文書には、いまだに出会えてない。私が大地の水の脈動に関心を持つのは、このような理由からである。果たして、どんな手法を用いて、大地の水の脈動が解明されていくのだろうか。楽しみだ。