御堂狂四郎、南へ

 北へたどり着いた御堂。淀は、ボウメイ!ボウメイ!とキャーキャー言ってる。他の名前も知らないメンバーは旅を楽しむ感じでもなく、怪しげな文庫本を読んだり、難しい顔で独り言を言ったりしている。御堂は、辺りを見渡した。日本とあまり変わらない風景、少しガッカリした。もっと、雲海に包まれた古代遺跡や角笛の音色響き渡る大自然を求めていたのに、これじゃあ何もつまらないと思った。

 一行は廃校になった学校の校舎を根城に当てがわれた。で、ここで何をするのかと案内役の男に尋ねると、聞いた事の無い言語でペラペラと説明してくれた。御堂は、なぜ外国の人は外国の人に平然と外国語で話すのだろうと思った。理解できるわけがないのに。結局、何も分からないので、そこでしばらくゴロゴロしていた。他のメンバーはというと、危険な感じのする小説を執筆したり、革命について語り合う会合に参加するなど、生産性の無い行為に耽っていた。

 淀はというと、怒っていた。なぜ怒っているのかというと、淀は悪事を働かない御堂に苛立っていたのだ。御堂がどういう暮らしをしていたのかというと、近所の人の畑仕事を手伝って野菜を分けて貰う、子ども達と遊ぶ、歌を歌うなど、悪事とは程遠い事をして生活していた。淀は御堂に言った。何のためにここへ来たの!さっさと拉致でもテロでも何でも良いから加担しなさいよ!御堂は言った。そんなに悪事を働きたいなら、自分でやれば良いじゃない。この辺りの人達は野菜を作ったりネズミを獲ったりするので必死で、それどころじゃないんだよ。実際、御堂の暮らしている廃校の周囲はやけに寂れていて、活気が無く、テレビで観ていた北の様子とは随分違っていた。誰も彼も金が無く、不衛生で、疲れていた。こんなに裏表が有るなんて、まるで企業みたいだなと思った。

 淀はいつの間にか居なくなっていて、御堂は静かな暮らしを楽しんでいたのだが、そうもしていられなくなった。なぜかというと、近所の子どもと鬼ごっこに興じていた時、一人の子どもが地べたに金色のウナギの絵を描いていたからだ。
 御堂は身振り手振りで子どもに尋ねた。ねえ、そのウナギはどこに居るの。すると、意思が通じたらしく、子どもはそこへの道筋を地べたに描いてくれた。それによると、どうやらウナギは南に居るらしかった。御堂はその子どもに礼を言うと、すぐさま荷物を纏めて旅立った。目的地は南、北の南なのだった。

 御堂が旅立つ事を仲間、というか亡命機に乗り合わせた人達に伝えると、彼らは激怒してそれは止めろと言った。なぜかというと、自分達は志を同じくする、つまり同志であるからして、身勝手な行動は許されないという。御堂は言った。僕はそうした目的の為に来たわけではないですよ。すると連中は瞬く間に御堂を捕縛し、地下のボイラー室に監禁してしまった。御堂が理由を問うと、スパイの可能性が有る者を捕えるのは当たり前の事だと言った。御堂は、またこれか。人間はどうしてこうも人を疑い、捕まえたり暴行を加えるのが好きなんだろう、と思った。

 幹部を名乗る平山という男が、御堂の尋問を担当していた。尋問と言われても話す事など本当に何もない御堂は、毎日毎日ウンザリするようなくだらない時間を過ごしていた。
 平山が言った。お前は本国のスパイだろう。冤罪に慣れている御堂は冷静な口調で言った。あのね、僕が本当にスパイなら、わざわざ君達に出掛ける事を伝えると思うかい?大体、君達の素性だの活動だのの気の抜けた情報をどこかに持ち帰ったところで、誰が喜ぶっていうのさ。ただ、訳の分からない繰り言をワープロで入力したり、ウロウロしてるだけじゃないか。青春の浪費はせめて快楽に使いなよ。僕はただ、誰もしないような土地を旅したいだけなんだから。御堂の言葉を聞いて平山は完全にキレてしまい、手に持っていた警棒で御堂を徹底的にどやしつけた。ボロボロになり意識を失った御堂は、そのままボイラー室に放置された。錆びた床に唇が触れ、生暖かい鉄の味。

 御堂はそのまま眠り、ビートが響き渡るお祭りの夢を見た。熱帯のジャングルで黒人達が原色のフルーツを山積みにし、ヤシの実酒をがぶ飲み、両端に炎が燃え盛る棒を振り回し、歌い、みんながダンスをしていた。御堂はそこで、ガルナという女性と結婚した。敗残兵も落武者も脱北者もユダヤの民も琉球の漁師も、みんなが二人の結婚を祝福した。ガルナは裸で、狼の皮だけを頭に被っていた。その草木や花の香りがする魂は、漆黒の肌に包まれている。御堂とガルナの前に、口から尻に丸太で串刺しにされた大きな豚の丸焼きが置かれた。新郎新婦に贈られるご馳走、本能に語りかけてくるご馳走。御堂はよだれが止めどなく溢れる、たまらず全裸になり、ガルナと二人で身体中肉汁塗れにして、腹を、足を、内臓を、尻を、頭を、貪り食った。御堂がガルナの身体に豚の油を塗りたくると、ガルナの黒い肌は艶々と光った。そして、ヌメヌメとした感触に二人は激しく欲情した。ガルナもまた、御堂の身体に油を塗る。ネチャネチャと音を立てて擦れ合う身体と身体。豚の肉を食いちぎり、骨をしゃぶり、油で遊んで興奮する。二人はもはや一つの物体だった。思考も不安も恥も外聞も無く、有るのは快楽に没入する単一的思考のみ。ヤリタクテタマラナイ中坊並のIQ。誰も傷付けないアホ状態。その様子を見て、世界から零れ落ちた不遇者達は、今度生まれた時は必ず南へ行こうと誓い、涙を流しながら盛大な拍手を送った。
 白人と黄人のブルジョア達は、その様子をテレビで見ていた。そして、息子に言った。こうしたサル以下の人間をよく見ておきなさい、人間として恥ずべき姿だ。知恵ある人間は、こういう事はしないものだ。息子は言った。美味しそうな豚だなぁ。
 御堂は目を覚ました。目の前にカビの生えた小麦粉団子と、汚れたペットボトルに入った水。ため息しか出ない。しかし腹は減る。カビ団子は寒さの味、水は灰色の味。寒さに触れ、少し自分が好きになったものの、すぐさま膨大な悲壮感がのしかかり、座ってなどいられず、また眠った。

 朝。人間とは一晩でこうも変わるものなのかと御堂は思った。猛烈な腹痛・吐気・下痢・発熱。平山に助けを求めるが、悔い改めよの一言のみ。何を懺悔して何を改めるのか分からない御堂は、とにかく時間が治してくれる事を祈った。不思議な事に、これほどの苦痛に襲われながらも、御堂は豚の丸焼きとガルナの事を考えていた。豚と女が欲しい。それだけを熱心に願い続ける事が、体調不良に耐える力となっていた。御堂は思った、あんなに憧れた北の寒さとはこういう物だったのか。俺はバカだった。本当の飢えや孤独は、生半可なモノではない事を知らなかった。寒さとは身を斬る、知った気になって分かっていなかった。母親が、貧乏だけは二度と味わいたく無いと言っていた意味が、ここへ来てようやく分かった。人は労働し、安全に籠城し、金で身を守らなければ、豚肉を食べたり恋をする事もできない生き物なのだと。御堂は北を出ようと思った。三幻神より肉酒女。こんな当たり前の事に気が付かなかったなんて。

 数日後、御堂は5キロの体重を代償に一命を取り留めた。もちろん、栄養不良でヘンテコな状態になっていたが、次の目的が決まっていたため、死ぬような事はなかった。実際、決まっている事というのはヤバい状態でも変わらないものなのだ。泥酔しても家を忘れたり、人を刺したりしないでしょ?それはそれが決まっている事だからだ。そりゃあ限度は有るけどね。
 動けるようになった御堂は早速、脱出の準備として平山にこう言った。平山さん、僕は目が覚めました。平山は驚いてこう言った。なんだ、一体どうしたんだ。御堂は続けた。私が間違っていたのです。平山さん達の志を理解せず、神経の弛緩した国民共に感化され、ぬるま湯と平和主義とかいう戯言に翻弄されていた自分に気がつきました。平山さんも私を目覚めさせる為に敢えて厳しい措置を取っていたのだなと、痛感しています。本当、文字通りに痛感しているのです。骨が軋み、肉が裂け、歯が折れ、飢え、ケツから血を流してこそ大切な事に気がつく。平山さんが伝えたかった闘争の真理、武力の意味、私は全て分かりました。御堂がこう言うと、平山は動揺した。なぜなら、平山にそんな気は一切無く、ただフラストレーションの捌け口として御堂に暴力を加えていたからだ。しかし、この状況でそれを正直に話す人間は居ないだろう。平山は御堂に、そうか分かってくれて嬉しい、と言った。御堂の言葉も全てが作り物なので、この場は嘘と嘘が飛び交い、しかもそれがまかり通る欺瞞の空間と化した。御堂はこれを狙っていたのだ。御堂が言った。私を特殊工作員として使って下さい。適当な飛行機に大量の爆薬を搭載し、首脳陣が集う日を見計らって飛び立つのです。後はあえて言うまでもありませんね?ええそうです、自爆テロです。しかも、自国に対してそれを行うのです。体制を覆すには、これぐらいの事をやらなければいけません。知ってますよね?私がゼウマーに所属し、その中心人物として活動していた事を。正直に話しましょう、私はあなた方を舐めていたのです。何も行動せず、ただ机上の空論にうつつを抜かす、形だけの革命軍団だと侮っていたのです。愚かでした、バカでした、下劣でした。あなた達こそ、国を、いや世界を、この地球を変えるに相応しい英傑である事に気がつきました。私にその活動の口火を切らせて下さい。後の事はお任せします。どうか、私を正義の弾丸として撃ち込んで下さい。

 御堂は血走った目で平山に詰め寄った。平山はその迫力に圧倒された。ダメだとは言えなかったが、かといっていきなり自爆テロだなんて常軌を逸した作戦を行う覚悟もない。腕を組んで黙り込んでしまった平山を見て、御堂はしめたと思って言った。ああ!くそう!やはり信じてもらえないのか!悔しい!俺がバカだったばかりに!ダメだ、こうしてはいられない、こうなったら北の人に取り合って、今すぐに三幻神の封印を解いてもらわなくては!平山さん、行ってきます!御堂はそういうと廃校を飛び出し、走った。平山はポカンとしたまま、御堂の後ろ姿を見送った。

 こうして、御堂は平山達革命グループの元を抜け出し、自由の身になった。が、その自由は極めて不自由なシロモノである事は言うまでもない。何しろ、言葉は通じないし、金は無いし、知り合いも居ない、飯も食えない。まるで沼地の休暇みたいな不自由だったが、地下室で殴る蹴るの暴行を受けないで済むだけマシだなと御堂は思った。

 御堂がウロウロしていると、血色が良くやけに綺麗な服を着た男が声をかけてきた。
 男は言った。私は日本から来たカメラマンのヤマザキと言う者です。あなたのその、傷だらけでボロボロの様子、私は革命グループから粛清を受けたのではないかと睨んでいます。御堂は、鋭い人だなと思い、はいそうですと答えた。すると、カメラマンは感激したような表情を浮かべ、やっぱり!何て酷い事を…と、言った。そして、私はたった今仕事を終えて、次ははるか南の大陸に行く予定なのです。そこで、土の民と呼ばれる人々の暮らしを撮影するのです。どうですか、あなたも一緒に行きませんか?ここに居ては、北の兵士か革命グループに捕まって、いずれにしても激しい暴力と監禁が待っていますよ。と、言った。監禁と暴力がフグ毒より嫌いな御堂は、ヤマザキの手を取って言った。あなたのような人と出会う為に私はこの地に来たのかもしれない、革命だの独立だのと私も無軌道な活動に関与してきましたが、どれもこれも私の理想とする物では無かった。全てまやかしです。若気の至りの肥大と、古代より連綿と受け継ぎ練磨され出来た恨み辛み方程式のサグラダファミリアと、無知の破裂と、想像力の欠如が生み出した妖怪に過ぎません。これからはピースフル、つまり平和運動を、やります。例えば、戦争を知らない人々の思想に触れ、瞑想をします。大麻を吸ってヤシの実酒を飲み、踊りを踊ったり祭に参加したりします。結婚し、畑を耕し、夕焼けを見、泣き、凍え、オウムと会話し、占いをし、全ての存在に神様を見出し、裸になり、埋もれ、忘れ、学を排除し、経験を培い、身分を拵え、アホになり、白痴になり、夢を信じ、今日だけを生き、女を見て勃起し、蝶々を追いかけ、火を起こし、無駄な時間を過ごし、侵略され、支配され、バカにされ、奴隷にされ、植民地になり、奪われ、恨み、殺され、殺し、いつの間にか軍事国家、そんな風にしようと思います。御堂が言い合えると、ヤマザキは、そうですね。と、言った。二人は屋台で薄いお好み焼きのような料理を食べ、ヤマザキの借りている宿に向かった。

 次の日、あれよあれよと言う間に船に乗って、御堂とヤマザキは南にやって来た。南は暖かい、というか暑く、空気が乾いていて、虫がぶんぶん飛んでいた。御堂は暑さが大嫌いで、こんな所は1分でも早く逃げ出し、クーラーの効いた部屋でファンタオレンジを飲みながらゲームボーイをやりたいと願っていた。
 
 ヤマザキは本物のカメラマンで、南の風景を撮影したり、何かをノートに記録するなど、らしい事をしていた。御堂もはじめはそれに付き合っていたのだが、段々とバカらしくなってきて、やめた。なぜバカらしくなってきたのかと言うと、ヤマザキは、半壊した寺院や、働く少年や、商店街等の美しい物しか撮影せず、足の無い物乞いや、幼い売女や、腸が外にはみ出た子供や、飢え死に寸前の人や、盗人や、麻薬の売人等は被写体として取り扱わなかった。そうした世の中の影をフレームアウトさせる行為に、御堂は『カメラマン』を見出せなかったのだ。そんな写真ならそこらの写真集にも載っているので、撮るのはよせと言うと、ヤマザキは苦笑いするだけでやめようとせず、御堂はもう何も言わなかった。

 御堂が一人でブラブラしていると、少し遠くで爆発が起き、銃声が聞こえ、小規模な戦闘が始まった。訳がわからないまま逃げていると、スリに遭った。ヤマザキから借りていたお金をさっぱり失い、無一文になった。ふんだりけったりの始末で、なんて酷い所なんだと文句を言いながら帰り、ヤマザキにコトの次第を話すと、もうフラフラせずにホテルでジッとしてて下さいときつく言われ、とにかくピリピリしていた。
 御堂は思った。そもそも、南というけどここはどこなんだろう、と。なぜなら、御堂がイメージしていた南の国とは随分と様子が違っていた。美しく黒光りする肌の女性も居ないし、みんな服を着ているし、海は無いし、祭は無いし、料理は変な香辛料が効きまくった謎の米料理だし、ジャングルは無いし、危険なことばかりだし、とにかく砂でジャリジャリする乾燥した土地ばかり。御堂はヤマザキに、もっと南に行かないのかと聞いた。すると、ヤマザキは、もっと南は病気が沢山有って危険なので行かない、と言った。御堂は、病気よりも砲弾の方が危険だと思ったが敢えて言わず、ここほど自分の興味をひかない土地は無いんですと言って、ヤマザキに南行きの船を用意してもらった。

 こうしてヤマザキと別れ、御堂はたった一人でさらに南の土地を目指して旅立った。
 オンボロ雑魚寝のむさ苦しい船室でスシズメになりながら御堂は思った、自分はなぜこんな事をしているんだろう、と。

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