連葉 その五

店内には四人掛けの机が五つほど。後はカウンターにいくつか席があるだけであった。カウンターの奥で何やら作業をしている大柄な男がモキタであることは、直ぐに判断できた。その娘であろう少女はモキタの妻と共に給仕をしているようであった。彼女らは机に料理を運んだり、その机の何者かと会話をしているようではあったものの、旅人には料理もほかの客も見えなかった。ただ、モキタの妻と娘がせわしなく動いているだけであった。
「お客さん、ごめんよ。見ての通りいっぱいでさ、ここしか空いてないんだけどいいかい」
モキタがカウンターの奥から一つの席を指して声をかけた。旅人はその言葉が自分に向けられたものでないことを認識したうえで頷き、そちらへと歩み寄った。旅人は僅かな期待をもって座席に触れようとしたが、当然、それは叶わなかった。旅人は仕方なくモキタが示した席の傍らに佇んだ。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
後ろから声を掛けられた。振り向くとモキタの娘、白いエプロンを付けた少女が笑顔で佇んでいた。健康的な日に焼けた肌、肩を少し越すほどまで伸びた髪は頭の後ろで一つに束ねられていた。愛嬌のある、賢そうな少女であった。その手は皿でも持っているような形であったが、やはり、旅人には何も見えなかった。やがて少女は「承知しました」と元気な声を出すと、笑顔を残してカウンターの奥へと戻っていった。
「お客さん、ありがとね。おかげでちょうどオムレット、完売したよ。実は娘が作ったんだ。味もいいし、店で出してもいいだろうとは思ってたけど、こんなに早く完売するとは思ってなかったよ。あ、これオムレットと、俺からのサービス。食ってくれ」
モキタがカウンターの奥から話しかけ、何か旅人の前に置いたようであった。しかし、やはり旅人がそれを見ることはできなかった。
「エール、お持ちしました」
今度はモキタの妻がエールを持って来て、それを旅人の前に置いたようであった。肌が抜けるように白い、美しい女性。彼女の容姿は一見して、先程の少女と全く似ていなかったが、その知性を湛えた目は間違いなく彼女が少女の母親であることを物語っていた。旅人は再び、この母親に娘の面影を探そうとしたが、残念ながら彼女は突然「はい、ただいま」と声を上げると背後の机の方へと行ってしまった。
 次に旅人がカウンターの方へと顔を向けた時、そこには花束を抱えたモキタがいた。しかし、先程までの様子とは異なり、彼の頭髪はすっかり白くなり、体格からは、体力の衰えが感じられた。
「ありがとう。この店がここまでやってこられたのは、あんたたちのおかげだ。明日から、店主は変わるけど、よろしくな」
そういって、かつての陽気な店主は隣に立つ、女性の肩を叩いた。旅人にはその美しい女性がかつての少女、モキタの娘であるとすぐに判断できた。成長した彼女の容姿はやはり、母親に似ていなかったが、旅人はかつて少女だったその女性が間違いなくあの母親の娘であったことを瞬時に確信した。そして、この場に、その母親の姿は無かった。
「今日は俺の奢りだ。みんな飲んでくれ」
無人の客席から歓声と拍手が沸き起こり、新旧の店主も笑顔を見せた。

 

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