連花 第二話


 いやはや、お久しぶりですな。先に私の馬鹿げたお話にお付き合いいただいてからどのくらいになりますか。ああ、そうでしたか、もうひと月になりますか。早いものですな。光陰矢の如し。ハハハ。さあ、これが前回お話ししたカヌレですよ。どうです。面白い形をしていましょう? 小さいプディングのようだと? 鋭いですなあ。味もプディングに近いですがね、これは焼き菓子ですよ。まあ、一寸食べてご覧なさい。どうです? なかなか良い味をしていましょう? これだけの味のものを出す店はそうありませんよ。イヤイヤ、私は甘味に目がありませんもので。ハハハ、仕方のないものですな。

 さて、わざわざご足労いただいたのは他でもない。例の「オジャケバサエルの花」についてですよ。やはり、貴方の目には映りませんか? ウム、そうですか、残念です。最近ますます美しくなってまいりましてね、新月の夜にはうっすらと光を放つようになりまして。夜空に浮かぶ大きな薄桃色の花弁が儚く発光しているその様を思い浮かべてみてください。どうです? 今、貴方の想像したよりも数段美しいですよ、あれは。なんと言いますか、浮世離れしているんですな。エ? 香り、ですか。そうですなあ。ウム、仄かな瑞瑞しい香りで、そういえば何かに似ている……。そうそう、水蜜桃ですよ。あの香りに似ています。と言っても水蜜桃よりもよっぽど淡いですがね。それがまたなんとも……。
 イエ、今日貴方にお話ししたいのは花の美しさについてでは無いのですよ。あれの美しさは一度見てみない事にはどうにも仕方ありませんよ。
オット、失礼な物言いでした、謝ります。どうか今日もしばらくお付き合いください。ご承知くださる。ありがとうございます。では早速本題に入りましょう。実は私もあれから花について、いくらか調べましてね、と言ってもそれとなく方々の人に尋ねてみたというだけですが。ですから時には随分と妙な顔をされることも多ございましたよ。アッハハハ……。一度なんか異常者だってんで交番に引っ張られるところでした。まあ、こんな髭面の中年が妙なことを尋ねるのですから無理もありませんがね。ハハハ。しかしね、そのおかげで得るものもございました。と言うのは、居たんですよ! 同志が! 今では私も含めて四人になりましたよ。もう最初の一人と出会った時の感動と言ったらありませんでした。お互いにあれが見えると分かった時には思わず手を取り合って喜んだものです。と、その時にふと頭に浮かんだのが、他でもない、貴方の事ですよ。すぐにこの感動を分かち合いたかったんですがね、一人見つかったんですから他に居てもおかしいことは無かろうというのでその同志と話しましてね、二人それぞれで調べてみることにしたんですよ。そうしてお互いが一人ずつ同志と巡り会えたというわけで。定期的に集会を開こうということになっているんです。イヤア、実に嬉しいことです! 感動ですよ! 
 失礼、少し興奮してしまいました。同志四人で集まって話してみましたところ、少しずつですがあの花について分かってきたことがあるんですよ。たまたま同志の中に帝国大学を主席で卒業したという学のある者がいましてね、彼を中心にして研究しているのです。
 まず、私が「オジャケバサエル」と呼んでいるあの花の名についてですが、概ね合っていたようです。何ですか? ハア、「概ね」と言うところが気がかりだと。アッハハハ。イヤイヤ、敢えてそう言ってみたんですよ。貴方ならきっとそう尋ねてくださるだろうと思いましてね。アハハ、あまり良い気はしないでしょうが、どうかご勘弁ください。私は貴方が好きなのですから。どうかお許しを。
 それで「概ね」と言う点についてですが、どうもあの花の名前については我々日本人の舌では発音が難しいようなのです。それで個人差が生まれたのでしょう。ある同志はあれを「オヤケバサエル」と呼んでおりましたし、他にも「オヤークバザル」、「オジャバザル」と四人が四人ともわずかに異なる名前で呼んでおりました。しかし、それらの名を聞いても私は、いや、四人とも何の違和感も覚えませんでした。確かにそんな風にも思われたのです。不思議なものですよ。やはり、私一人が気が違ったのではなかったということがはっきりと証明されたということですからね。アッハハハ。
 そうして次に、どうして我々にはその花が見えるのか、また、何故見えないという者の方が圧倒的多数なのかと言うことについて議論しました。そして一つの仮説を立てたのですよ。つまり、あれは高次元の多様体であろうというのです。即ち「オジャケバサエルの花」は非エウクレイデス的幾何学体であり、局所的にはエウクレイデス的幾何学体と捉えられる。そしてその局所的な存在を観測できる存在というのが我々四人であろうというのですよ。我々の視点のみが何らかの影響で局所的に可測となっているからこそ見えるという訳ですな。
 お分かりでない? ハハハ。実は私もなんですよ。今のは例の学のある同志の受け売りですよ。私も何のことだかさっぱり分かりません。なんでも彼は大学で幾何学を専攻していたようでその見地からの仮説だそうです。しかし、マア、おこがましいようですがね、早く言うと、花が見えるのは我々の何か先天的な能力のようなものの為だろうという結論に至りまして。いや、決して自慢のためにお話ししたのではありませんから、どうかご機嫌を損ねないでいただきたい。私はただ貴方と「オジャケバサエルの花」について語りたいのです。妙なもので同志四人で議論しているよりも貴方とこうしてお話ししている方が私にはよほど愉快なのですよ。

 アア、申し訳ございません。また喋りすぎてしまいました。オヤ、カヌレが一つ余りましたな。どうぞ、お召し上がりください。

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