連葉 その七

「さて、行きましょうか」
そういって再び瓦礫の町を歩き始めた老人の後ろを、旅人は黙ってついて行った。辺りは夕方から夜へと移り変わろうとしていた。鮮やかだった橙色の光は消え失せ、藍に染まった空には僅かばかりの星がダイヤのように輝き、彼方の地平線が淡く色づいていた。前方の影は時々振り返りながらも、しっかりした足取りで瓦礫の街を進んだ。彼はもう旅人に注意を促すことは無かったものの、二人の間では幾度となく暗黙のコミュニケーションが交わされた。
 やがて、大きな十字路に出た。賑わいをみせていた筈のその古い往来は、とうにその役割を忘れ去ってしまったかのように、停止していた。藍色の空気の中、周囲の廃屋が黒く鮮明な影を地面に描いていた。
「昔、そこの角にそう大きくない木が一本ありましてね」
舗装された硬い地面のうち、老人が指したその一角だけが微かに柔らかい土に覆われていた。
「ある時期から、夜遅くになると決まって一人の絵描きがやってきておりました。若い絵描きでしたよ。当時の彼は看板やポスターなどを描く安い仕事をこなして何とか食いつないでいました。彼自身、その仕事を楽しいとは思っていなかったようでした。どこにでもいる、売れない絵描きでしたよ。そんな彼がどういう訳か、毎晩、ここにやってきては街灯の明かりを頼りに絵を描くようになったのですよ。絵と言っても、スケッチブックと鉛筆による、風景画ばかりでした」
 十字路に差していた最後の夕日までもが藍に飲まれてしまう刹那、旅人の前に亡霊のような、薄い絵描きの姿が現れた。細身の、疲れた目をしたその青年は抱えていた画材道具を地面に乱雑におくと、何かにもたれかかり、絵を描き始めた。旅人の目には映らないものの、恐らくそこには件の木があったのだろう。旅人はしばらくその場に立ち尽くして絵描きが穏やかな目で鉛筆を動かしている様子を眺めていた。しかしそのうちに、この青年がどんな絵を描いているのかと、彼の後ろに回り込んでスケッチブックをのぞき込んだ。

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